ある商人の記録・2
「戦乙女ナリーヤの神話は御存知ですか?」
新たに注がれた酒を飲んでいると、尼僧が言った。少し休憩だと言い出したのは向こうなので、これは物語の本筋とは関係ない話と見るべきか。
もちろん商人は知っていた。恐らくは、この国に住んでいて知らない者は少数だろう。子供の頃、誰もが聞かされたことのある話だ。
戦乙女ナリーヤは、神の使いとして魔の軍勢と戦い、人々を救う役目を担っていた。しかし愚かな争いを繰り広げる人類にナリーヤは希望を失い、戦いを放棄し人間世界に隠れ潜んでしまった。神々の説得にも耳を貸さぬ。たちまち神の軍勢は魔の軍勢に押され、劣勢に立たされた。
困り果てた神々は一計を案じた。彼女が剣を持つことをやめたのは、戦う理由を失くしたからだ。ならば、それを作れば。彼女が命を懸けてでも守りたいと思える存在を用意すれば。
白羽の矢が立ったのは純朴な青年アーサーだった。神々の奸計により引き合わされた二人は、紆余曲折を経ながらも絆を深め、恋に落ちた。予想通り、ナリーヤは再び立ち上がった。アーサーを、ただ彼一人を守るために。
戦いが激しくなるにつれ、ナリーヤの命は縮まっていった。アーサーの不安は募る。そこで彼は、とうとう神々の奸計に気づいた。何もかもが仕組まれたものだと知った彼は、ナリーヤとともにすべてを捨てて逃げる道を選ぶ。神々は怒り、自ら追手を遣わし、さらに人間達をも操って二人を追い詰めていく。
逃避行の末、遂に逃げ道を失った二人。ナリーヤは神の命を受け入れ、アーサーの命を保証することと引き換えに、三度剣を取る決意をする。彼女は神の口を通じ、人間達に告げさせた。
私はこの戦いで死ぬだろう。命と引き替えに魔の軍勢を滅ぼそう。しかし人間よ、私を崇めるな。私はお前達のためになど戦ってはいない。私の命は、そう、すべて最愛のアーサーのために。
ナリーヤは魔の軍勢へと突撃し、その命を空に散らした。
この話にどういう感想を持つかは人それぞれだ。人類の身勝手さを描いた風刺的なものとも取れるし、アーサーとナリーヤの考え方を独善的であると批判する者もあろう。単に戦記ものとして読んでいる者も多いと聞く。
だが、何故今その話を。
「ナリーヤのような物語は、ある種別の神話として括ることができます。そしてこれは、私のお聞かせする物語の根幹にも関わってくるのです。ご存知ありませんか? では、この機会にどうぞご記憶ください。――閉塞神話、と言うのですよ」
休憩もそこそこに、物語は再開した。