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見捨てられた街(10)

 あの時何故、シャベルなどを持ち歩いていたのか。そう聞かれても答えられない。前後のことは、すっかり頭から抜け落ちてしまっている。


 ぴくりとも動かない、薄汚れた男を前にして、それを死体と思い違えたのも無理からぬこと。どこに死体が転がっていてもおかしくない、このスラムにおいては尚更である。手にはシャベル、足元には剥き出しの土。お膳立てもいいところだ。


 かくして、カイラルは発狂した。


 現在まで尾を引く死体恐怖症、それに連なる死体埋葬癖のスイッチが入ってしまった瞬間であった。気付いた時にはキエルに殴り飛ばされていた。目の前には、穴から引っ張り出される男の姿。


 それが死体ではないと知って、盛大に吐いた。


 意識が回復した後、ペリットはカイラルの土下座と共に事の成り行きを知らされたが、驚きの次に浮かんだ表情は笑顔だった。結局、罵倒一つせずに謝罪を受け入れた。どころか、自分を殺しかけた少年との友情を育むことを選択した。


 ダウルは否定したが、記憶喪失の原因も自分ではないかと、カイラルは未だに勘繰っている。生き埋めの後遺症かもしれない、と。おかげでペリットにはずっと頭が上がらずにいる。


 今や上司であり、最大の友人にして相談相手でもあるエセ神父は、少年の心を解き放とうと心血を注いだ。同じ被害者を出すまいという気持ちもあるのだろうが、何よりもこの歳の離れた親友を気遣ってのことである。


 しかし。


 当の本人に、真実と向き合う力がなければどうしようもない。



「どいつもこいつも、好き放題言いやがって」


 闇に包まれた廃墟の街を、カイラルは自宅に向かって歩いていた。


 何も聞いていない、などというのは嘘であった。はっきりとは聞き取れなかったが、二人が自分のことについて話しているのはわかった。あのまま聞けていれば、新たな事実が母親の口から出たかもしれない。


 盗み聞きが癖になっているという自覚はあった。この街で生きるためには必要なことだった。どんな下らない噂にでも耳を傾ける。時として、有益な情報を得ることもある。実際、自分を罠にはめようという計画をつかんだこともあった。もちろん先に襲撃をかけ、再起不能にしてやったが。


 無知は敵だった。視界の外で得体の知れないものが動いているのは、精神の安定を損ねた。それがいつ災厄となり、自分や周囲の人々を脅かすかわからないからだ。まして、自分が知らない自分に関することを他人がこそこそと話しているのは、怖気が走る以外の何物でもなかった。


 キエルは知っているのか。息子を惑わせる、あの幻の真実を。


 知りたかった。しかし、恐怖がそれを上回った。触れてはいけない何かがあの光景にはある。そう自分に言い聞かせ、本心とは裏腹に幻との対話を避け続けてきた。もしキエルの側から真実を打ち明けてきたとしても、その場で発狂してしまいかねなかった。


 こめかみにまた痛みが走る。夕飯まで戻してしまっては敵わない。今日は頭にくることが多すぎた。こういうときは、さっさと寝床に潜り込むに限る。周囲に気を払いつつ、カイラルは足を速めた。


 自宅は教会から徒歩十分ほどの場所にある。ただそれは、崩れた壁などの障害物をすべて乗り越えて進んだ場合の話で、開けた道を行くと倍近くかかる。瓦礫の撤去などほとんど行われていないので、街は見た目以上に入り組んでいた。市街戦を仕掛ける側とすれば、最悪の要塞だろう。流石のカイラルも、夜は遠回りを選んだ。そうでなくとも腕を負傷しているのだ。


 自宅という名の廃屋が目に入り、ようやく眠れると安堵した時、それは起こった。


 大地がわずかに揺れた。立ち止まり、周囲を警戒する。揺れは徐々にその大きさを増し、やがて下から突き上げるかのような巨大な衝撃が襲ってきた。シャベルを杖代わりにして倒れるのを防いだところで、カイラルは事の重大さに気付いた。何とか身を隠そうと動いた時、真上から金属の軋む音が聞こえた。見れば、廃ビルの錆びた看板がぐらぐらと揺れている。そして当然の如く、ばきりと音を立てて枷を引きちぎった。カイラルの意識は真っ白に染まった。



 我に返ると机の下にいた。無我夢中で家へと駆け込み、物陰で頭を抱えてうずくまっていたらしい。あちこち打ち付けたのだろう、手足を動かすと鈍い痛みが走ったが、それがかえって逃げおおせたという実感を与えてくれた。


 机から這い出て、自分の判断が正しかったことを思い知る。椅子は倒れ、そこら中の棚が開いて中身が飛び出ていた。わずかしかない服や食器が散乱している。食器がもう使い物にならないことは言うまでもない。


 カイラルの脳裏には、かつての凄惨な光景が当然に浮かんでいた。未だに真相が判明していない奇怪な事件。この街を壊滅に追い込んだ未曾有の惨劇。幼い頃の自分は、今の揺れと似たような事態を経験している。


 またしても眩暈に襲われ、壁に寄り掛かってどうにか耐えた。頭を鷲掴みにし、頭蓋が割れるほどの力を込め、脳を蹂躙する痛みを抑え付けた。


 落ち着け。想像で人を殺すな。死人が出ると決まったわけではない。もしかすると、案外被害は大したことはないのかもしれない。しかし、助けを待つ人々がいる可能性も否定できない。ならば、取るべき最善の行動とは何だ。


「――くそっ! 見てろよ!」


 カイラルは奮起した。死体に遭遇する恐怖より、これ以上死体を増やしたくない気持ちが勝った。開いた戸棚の奥を覗き込むと、薬箱が鎮座していた。中身にも乱れはない。いざというときに役に立たなくなっては困ると、しっかり固定しておいたのが功を奏した。


 薬箱を引っ掴み、入口へと駆け寄る。愛用の得物も一緒だ。救助作業の役に立つかもしれないと判断した。そして祈った。これを『本来の用途』で使うことがないようにと。


 まずは外の様子を確認するべく、慎重に扉を開け。


 カイラルはそこで、信じ難い光景を目の当たりにした。


「………………え?」


 数十秒の混乱の後、浮かんできた言葉はただ一つ。



「どこだよ、ここ……」

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