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見捨てられた街(9)

「相変わらずですね、カイラル君は」


 ペリットがぼやくと、隣に立つキエルが事もなげに言った。


「そうね」

「もう少し気にかけてあげたらどうですか。このままだと、彼は永遠にこのスラムを彷徨い続けますよ」


 二人は教会の屋上にいた。いざ事が起これば狙撃兵が配置される場所から、夜のスラムを眺めている。雨は上がっていたが、大気は冷え切っており、月明かりも拝めない。闇に包まれた廃墟の街は、まさしく地獄の入口である。


 柵に寄り掛かって街を見渡すと、所々ぼんやりとした光が望める。住人が明かりを灯しているのだろう。無論、持ち主を失った建物を占領している場合が大半なのだが、かつての我が家に住まい続ける頑固者も間違いなくいることを、キエルは知っていた。


 リバーブルグの復活は多くの人々の悲願だ。それを実行しているのが犯罪者の集団であるという事実の下でさえ、支持の声は止むことはない。かつての市民達の愛情は、今なお揺らぎを知らないのである。


 中心となっているのがハーウェイ・カルテルであるという要素も大きかった。都市同盟の成長は、常にこの組織とともにあったと言ってよい。しばしばその暗黒面をのぞかせながらも、産業を興し、サービスや娯楽を提供し、時として弱者の救済も行ったこの悪党どもに、庶民達は一定の支持票を投じてきたのだ。それは今や最高潮に達していた。


 国に見捨てられてなお、この街は復興へと歩みだしている。


 それは美談であり、後世まで語り継がれる価値のある物語だ。


 しかし。


「どうして誰も、この違和感に気づかないのかしら」


 雲の隙間が月へと差し掛かった。暖かな光が漏れ、街全体の姿がほんのわずかに照らし出された。薄ら明かりの中、街を南北に分かつレム河を遠方に望むことができる。多くの支流とともに古くから水運に利用され、商業都市としての発展に貢献し、観光名所としても名高かった街の象徴である。それもあの崩壊事件の際には、衝撃波の煽りを食って津波と化し、街を飲み込んでしまった。何とも皮肉な話だ。両岸を繋いでいた巨大な橋も崩落し、当然ながら再架は行われていない。


 今や完全に分断された北岸の街は、こちら側以上の無法地帯であると言われている。事実、侵入して帰還を果たした者はおらず、内部の状況はまったくつかめないままだ。


 その北の街に、遠く離れたこの場所からでも拝める巨大な膨らみがあった。一見して単なる丘に見えなくもないが、実際には中央が大きく窪んでいるはずだ。


 人々に【リバーブルグの風穴】と称されるあの膨らみこそ、かつてこの街を滅ぼした大災害、その発生地点とされているのだ。同時に、調査に向かった兵士達が連絡を絶った場所でもあった。


「最終的には、あれも修復しなければならないのね」


 キエルは柵に腰掛けると、自動式拳銃を取り出し、弾倉を弄り始めた。


 誰が知ろう。この世界が、かつてとはまったく違う姿になっていることなど。


【教授】と呼ばれる人物が率いた異能者集団、コロキアム。『単位の出ない授業』を意味し、実際にとある大学で開講されていた授業だったという。やがて思想の相違により、コロキアムは分裂。他の組織も巻き込んだ抗争に発展したのだった。


 その最終決戦で、キエルの祖先は教授に直接戦いを挑み、敗北したという。


 それから千年近く。切り刻まれたセカイは、プログラムに従い物語を展開させている。滅亡と再生を繰り返し、過去を知る者はほとんどいなくなった。このセカイにおいても、キエルにカダル、ミンツァー他わずかな人間だけだ。閉塞世界に仇なす血筋として、真実を語り継いできたが、それも限界が近づいている。自分達の血統を維持できているだけでも奇跡的なのだ。


 しかし、終わりを目前にして、世界が変調をきたしていることもわかった。十年前の事件がそうだ。あれはセカイを包む壁の崩壊だったと、キエルは知っている。問題は、その後始末だ。死の街と化したリバーブルグは、凄まじいばかりの閉塞力を放っている。【穴】が塞がっていないことに加え、荒廃した街並みがそれを増幅させていると推測された。数年以内には、ここを起点にして物語が始まるおそれがある。


 カダルら、真実を知る者達は判断を迫られた。


 こちらから街を修復し、閉塞力の減少に努めるのか。


 世界の機能が弱まっていると見て、攻勢をかけるのか。


「正直、わからないわ。クインシーの言う通りなのかもしれない。敵が隙を見せた今、こちらから攻めこむべきなのかもしれない。もし復興が間に合わずに物語が始まれば、あの子が巻き込まれる可能性は高いもの。そうなる前に、私は決着をつけたいのよ」

「……何を仰りたいので?」


 曖昧な言い回しにペリットが困惑した時である。


 ごり、という感触が額を襲った。いつそうなったのかさえわからなかった。反応できないほどの速度で、一瞬にして間合いを詰められ、銃口を押し付けられていた。


「冗談はやめてください」

「冗談に見える?」


 言ったキエルの顔には、笑みの一つもなかった。


「結局皆、自分の目に映るセカイがすべてなんだわ。原因も結果も社会のしがらみも置き去りにして、セカイと自分との関係の構築にいそしんでいる。世界とは、自分とはこうなんだという勝手な結論を出して、閉じた殻の中で悶えている。あの子のように」

「病んでいますね」

「そう。病んでいるのよ。この街が、この国が、この世界そのものが病んでいる。恐るべき病魔に蝕まれながら、それに気付くことなく衰弱していく」


 わずかな間が置かれた。言葉の意味を理解するには足りなかった。


「あの子の監督者としての意見を聞こうかしら。正直、あの子をどうすればいいと思ってる?」

「……今の状態では心を解きほぐしてあげるのが精一杯です。原因を突き止めれば、また話は違ってきますが」

「ふうん」

「私なりに推測しましたよ。この際はっきりさせましょうか。彼を苦しめる幻影、あれはリバーブルグ崩壊の時に」

「死体と出くわしてトラウマに、なんてオチじゃないでしょうね」

「できればそうであってほしかった。ですが事はそれほど単純ではないようで。……赤の他人の死体に駆け寄ろうと思いますか? 彼はあの時失ってしまったのです、大切な誰かを。今の人間関係から察するに、それは彼の……」


 言いかけて、ペリットは背中から倒れこんだ。右頬を殴り飛ばされたのである。キエルの顔には、明らかな怒りの色が浮かんでいた。


「ちょっとくらい私の秘密を知ってるからって調子に乗るんじゃないわよ。拾われた行き倒れの上に記憶喪失の分際で。あんたにわかるの? 私達が背負ってしまったものの重みが。あの子に何を背負わせてしまったかが」


 ペリットは立ち上がった。血の滲んだ口元を拭い、銃口を向ける女と対峙した。うろたえる様子もなく彼は、


「……確かに私は、偶然あなたの秘密の一部を知りえただけの人間です。あなた達の事情に口出しする資格がないこともわかっている。ですが」


 痛烈な皮肉を言い返した。


「彼やあなたを見ていると、痛々しくて仕方がないんですよ。空飛ぶセカイ使いさん」


 闇夜に銃声が響いた。寸前にずれた銃口から放たれた弾は、黒い帽子に宙を舞わせた。持ち主は微動だにせず、撃った女の目を見つめている。教会を囲む警備兵達は何事かと屋上を見上げ、口々に状況を問うたが、誤射の一言で突っぱねられた。女もまた動かない。


 そのままの姿勢でいること数分。元通りの静けさを取り戻した屋上で、キエルはぼそりと言った。


「この世界は閉塞している」

「閉塞?」

「すべての事象は、閉塞を維持し、物語を展開させるために――」


 そこから先は聞き取れなかった。キエル自身、真実を語ってくれるつもりはないのだろう。視線はいつの間にか下を向き、かすれるような声で抽象的な言葉を並べている。先程までの剣幕も、普段の力強さも消え失せていた。


 ペリットは何も言わなかった。ただ、哀れんでいた。目の前の女性が、彼女の息子と同じか、それ以上に幼く見えた。悩みを打ち明ける相手もおらず、ただ心の奥底にしまいこむことしかできない子供。そう感じられてならなかった。


 誰かが聞いてやるべきなのだろう。


 だがペリットは、それを拒否した。


 変わらず伸ばされている銃を持った手を掴み、そっと下ろす。


「無理はしないで下さい。……私を試すつもりでこんなことをしたんでしょう。それくらいはわかります。ですが私は、あなた達と秘密を共有する人間としては相応しくない。一を知られてしまったから十を話してしまおうなんて、考えない方がいい。あなたほどの人物が恐れおののくような秘密を知って、平静を保てる自信はありませんから」


 情けない話ですが、と苦笑するペリット。


「十年前の事件と、今この国で起こっていることと、あなた達親子の間に、どんな繋がりがあるのかはわかりません。知ったところで、一介の構成員でしかない私にできることは少ない。ならば私は、その限られた責務を果たすだけです。カイラル君の心の治療は任せて下さい。そしてあなたは、あなたにしかできないことをやる。それでいいじゃありませんか」


 しばらく反応はなかった。言葉を間違えたか、と困惑するペリット。だがそんな心配は吹き飛んだ。先立って自分の体が吹き飛んでいたが。


 何の前触れもなく見えない力に押され、階段部屋の壁に叩きつけられた。ただ、見た目に比べて衝撃は不思議と小さかった。


「ありがとう。私は部下に恵まれているわ」


 キエルはすでに背中を向けていた。随分な照れ隠しだ、と思った。一緒に飛ばされてきた帽子をかぶり、ペリットは苦笑した。


「これだけは覚えておきなさい。あんたの知っていることは私の秘密の一部にすぎないけれど、それはとてつもなく大きな一部であると。きっといつか、すべてを知る時が来ると」

「ええ。できれば、早めにお聞きしたいものです」

「そしてあんたは、盗み聞きをやめなさい。いつか痛い目を見るわよ」


 何のことかと思った。そして気づく。階段部屋の入り口を見ると、決まりの悪そうな顔でカイラルが出てきた。


「生憎と何も聞いてねえよ。そもそも原因はあんただろ。皆が心配してたから、俺が様子を見に来ただけだ」

「そう。悪かったわね。皆にも伝えておいて」

「ああ。どうも誤射じゃなさそうだってことは伏せておくさ」


 あからさまな皮肉だった。カイラルとて、何も母親が部下を射殺しようとしたなどとは思っていまい。だが、二人の間で一悶着あったことは悟っただろう。その話題が何かということも、想像がついたはずだ。


「カイラル君、そんな言い方は」

「ご機嫌斜めみたいね。まるで虐められた猫だわ」


 キエルがゆっくりと振り向く。表情はすでに、武闘派幹部のそれに戻っていた。


「クインシーが色々吹き込んだみたいだけど、勝手な思い込みでへこむのはやめなさい。今回の決定に、あんたのことは一切絡んでないから」


 カイラルは舌打ちし、ペリットを横目で睨んだ。余計なことを、と言いたげだった。


「納得いかないって顔ね。ああ、かっこ悪いところを報告されてむかついた?」

「いや……」

「あんた、自分を過大評価してない? それとも、私が下っ端一人に気を遣って相手に譲歩するほど優しいと思ってるわけ?」

「そうじゃない」

「だったらもうグダグダ悩むのはやめなさい。これ以上文句垂れてるようなら、それはあんた自身の脆さの問題だから」


 一段と強い口調で突き放すキエル。カイラルは何か言いたげに口元を動かしていたが、結局一言も発せず背を向けた。泊まっていけばと声をかけたが、返事はなかった。


「変に気に病んじゃって。堂々としてればいいのに」

「バレれば嘲笑の的になるでしょうからね。これまで噂が一人歩きしていた分、余計に」

「周囲の思い込みを利用して強がってた罰よ。それって結局、人を殺すのは嫌だけど、自分は人殺しができる人間なんだと思っててほしいってことでしょ。どれだけ傲慢なのよ」


 毒づきつつも、キエルは胸に突き刺さるものを感じていた。息子をそのような状況に追い込んだ原因は自分にあるのだ。ああ見えて責任感の強い少年である。末端とはいえ、組織の一員であるという重みを背負わせたのが間違いだった。彼は立場上、キエルら一部の人間を除き、本音を明かすことを許されなくなってしまった。


 死体が怖い。人殺しが怖い。


 本来当たり前であるはずの概念が、この街では覆される。カルテルの一員ともなれば尚のことだ。彼がそれに当てはまらないことを公にするには、如何せん名を売りすぎた。今更明るみに出しても、彼を憎悪する連中を調子付かせ、身の危険を増やすだけだろう。最終暴力としての殺人を振りかざせない人間は、法の存在しない場所では弱者にしかなりえない。例え、腕っ節そのものがどれだけ立とうとも。


 自ら死地に身を置きつつも、決して他者の死を望まず、しかし虚構の戦慄を纏う人間。


 そんな矛盾した存在を作り上げてしまったことに震えつつ、キエルは言った。


「こんな綱渡りがいつまでも続くはずがないわ。二者択一を迫られた時が、あの子にとっての正念場になる」


 自身の無様な死と誰かの無残な死。どちらかを選択しなければならない状況は必ず来る。キエルはそう確信していた。そして、その時がそう遠くないであろうことも。


 月は再び姿を隠し、廃墟の街は闇に沈んでしまっていた。

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