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見捨てられた街(7)

 音がした方向、聖堂の入り口に目をやると、数人の来客がいた。


 その顔がカイラルの目に入った瞬間。


「……げっ」


 出すべきではない言葉が思わず口をつく。慌てて口をつぐんでも遅い。


 そこにいたのは中年の男が一人、若い女が一人、そして若い男が二人。全員が上等の背広に身を包み、この土砂降りというのに濡れた様子もない。どこかのオフィスから切り取って、そのままここに貼り付けたかのようだ。


 中でも格上らしき中年の男は露骨に顔をしかめ、嫌味を返してきた。


「何が『げっ』だ、糞餓鬼が」

「ミンツァー、さん」


 ぎこちなく敬称をつけて相手の名を呼ぶ。まさか目の前で呼び捨てるわけにもいくまい。男は復興連盟理事の一人、クインシー=ミンツァーであった。組織内での立場はキエルと同格、さらに昔馴染みの間柄ときている。もっとも、その関係は良好とは言い難いようだったが。


「……何の用だ。いや、用ですか」

「ここがどこか忘れたのか。私が神に祈りを捧げに来てはいけないのかね」

「どうぞ」


 割って入ったペリットは、四人を聖像の前へと(いざな)った。その顔は事務的な無表情である。部下を引き連れて歩み出たミンツァーはすれ違いざま、不快さも露に吐き捨てた。


「慣れない敬語を使わんでもいい。気色悪いだけだ」


 カイラルの拳がわなわなと震えた。しかし口は閉ざしたまま、どうにか平静を装っている。立場上、滅多なことはできないのが歯がゆかった。


 ――復興連盟において、中核を為す大勢力は二つある。


 一つは、夜の街の支配者ハーウェイ・カルテル。


 そしてもう一つは、この男の経営する会社・ミンツァー社である。


 元は小さな警備会社だったと聞いて驚く者は多い。先代社長の一念発起により、補給物資や兵員の輸送なども手がけるようになり軍との繋がりを深め、退役軍人などを社員として受け入れ急成長。ついには作戦立案や直接的な戦闘行為までをも代行する『民間軍事会社』へと変貌した。戦争屋と言われればそれまでだが、仕事の内容そのものは立派に表社会のものだ。先の戦争でも、都市同盟御用達の民間人部隊として、多数の功績を上げている。


 そして再び訪れる転機。復興連盟の旗揚げ時、真っ先に参加を表明したのがこの会社だった。他のすべての勢力は、この成り上がりの戦争屋を警戒した。最大勢力たるハーウェイ・カルテルにとって、ミンツァー社は協力者であると同時に、目の上のたんこぶなのだった。


 その頂点に位置する男が今、聖人の像の前に跪き、ロザリオの珠を手繰っている。どう贔屓目に見ても馴染まない取り合わせではあるが、その姿はなかなか堂に入っていた。


 対照的に、他の三人はミンツァーの後ろで立ったままだ。背広の前を開けた二人の男はともかくとして、秘書らしき女性までもが傍観を決め込んでいるのは気にかかる。付き合って膝をついてもよさそうなものだが、宗派が違うのだろうか。


 それにこの三人、どうにも雰囲気が妙だ。男のうちの一人は、護衛の割にはやけに背が低く、サングラスでごまかされた顔立ちも年少に思える。もう一人は対照的に背が高かったが、ポケットに両手を突っ込んだまま、笑いを隠すように口元を蠢かせている。そして女はといえば、感情など無用と言わんばかりのまっさらな顔で、瞬きの回数すら少なく思われた。


 あれこれ考えているうちに、ミンツァーの手が止まった。


「やはりここはいい場所だ。心が洗われる。……ところで」


 言いつつ、ミンツァーが立ち上がる。そして振り向きざま、


「先程我々の使い走りを痛めつけてくれたそうだな」


 何気なく口にし、カイラルをじろりと見やったものである。


 一瞬、カイラルの鼓動が高鳴った。今日自分が左腕に傷を作った、あの争いのことを言っているのだ。


「あいつら、あんたのとこの……」

「部下じゃない、ただの飼い犬だ。何分頭の足りん連中でね」


 彼らはミンツァーが独自に持つ、スラムとの接点の一つということだ。ああいった者達を飼い慣らしておいた方が、何かと便利なのだろう。が、所詮は無頼の輩であるから、先程のような諍いは防ぎようもない。カイラルと悶着を起こしたことも一度や二度ではなかった。


「そう焦るな。別に君を責めようと思っているんじゃあない。キエルとロゼ嬢にはこちらから侘びを入れておいた。できればロゼ嬢には二度とここに近寄ってほしくはないがね」

「……そうですか。そこは同意します」


 気になることがあった。あの悪漢どもはどうなったのだろう。要らぬ抗争の種をまいた咎でミンツァーに処断されたのか。義妹に手を出した身の程知らずとしてキエルに報復されたのか。そのどちらかだろう。


 カイラルはあえて聞かなかった。そして自分に言い聞かせた。いずれにせよ、もう自分とは関わりのないことだ。


「しかし彼女も厳しいな。義理の妹でしかない娼婦はあれだけ可愛がっておいて、実の息子である君は下っ端扱いじゃないか」

「そもそも俺は、ヴェルニーの家を出てるんですよ。それが何だかんだで、カルテルとの繋がりが切れないままになっちまって、今じゃ墓守なんてやってる。それだけの話です。あの人も時々、俺の身を心配したようなことを言うけど、実際はどう思ってんだか」

「ふん、なるほど。君はあくまで組織の構成員にすぎないと。しかし親というのは、そうそう簡単に子供から離れられないものだ。あまり心配をかけないようにしたまえ。少なくとも、手加減を考えているうちに自分が殺されるような、間抜けな真似はな」


 ミンツァーは、苛立ちと嘲笑が混ざったような表情を浮かべ、右手を伸ばした。握手でもしたいのかと、不審げに手を差し出すカイラル。だが、もう少し目の前の男を疑うべきであった。不意打ちで左腕を掴まれた瞬間、こさえて間もない傷は悲鳴を上げた。反射的に振りほどき、飛び退いた時にはすでに臨戦態勢である。


「何しやがる!」

「君とやりあった連中は全員、命だけは助けられた。情け深いことだ。あの人数を相手に大したものだが、君の方も無傷では済まなかったようだな」

「ああそうだ。何なら見せてやろうか」

「何故だね?」


 聞き返したミンツァーは、真顔だった


「殺される理由としては不十分かね? カルテルの幹部にして復興連盟理事の義妹(いもうと)を襲ったというのが。逆を言えば、君は何としても彼女を守るべき立場にいた。手心を加えるなど愚の骨頂だ。現に君は、余計な手傷を負ってしまっている」


 答えに詰まった。そうだ、などとは言えるはずもなかった。誤魔化しでしかないことを最も理解していたのはカイラル自身である。言葉を探す暇も与えずミンツァーが言う。


「殺して埋めてしまえばよかったじゃないか。いつものように」


 そう。いつものように。


 この男でなくともそう思うだろう。


 道端に死体を埋めるところを初めて目撃されたのはいつだっただろうか。世間の噂は勝手なものだ。不確かな情報に尾ひれが付いて回る。問題になったのは死体が生み出された経緯だ。仮にも復興連盟の墓守が、わざわざ道端に死体を埋めるなどありえるのだろうか。だとすればそれは、元々そこにあった死体ではなく……。


 彼の母は実質的な街の支配者の一人。それも、裏社会に属する人間なのだ。目障りな存在を消し去るための手駒など、いくらでも抱えているだろう。それが自身の息子だったとして、何の問題もない。


 あの少年は死神だ。連盟に、カルテルに楯突くような真似をしてみろ。スラムの道端に埋められてしまうぞ。


 世間におけるカイラル像が確立するまで、そう時間はかからなかった。


「あんなもの、無関係の連中が勝手に言ってるだけだ」

「否定するかね。だがまあ、世間はそう思ってはくれまい。もっとも、迷惑どころか、箔が付くくらいのものだろう。君らのような立場の者にとっては」


 握り締めた拳が震える。こいつこそを埋めてやりたくなる衝動を、カイラルは押さえ込んだ。そうなった瞬間、自分が今の人格を保っていられるかはわからないのだ。


 カイラルの耳元に口を寄せ、ミンツァーはゆっくりと呟いた。


「それらがすべて虚構にすぎないと知れたら、世間の君を見る目はどうなるだろうな」

「社長」


 一方的な嬲り文句を破ったのは、蚊帳の外にいた人物であった。秘書らしき女は、腕時計を見ながら無表情に言った。


「視察の時間はすでに過ぎています。子供に付き合っている暇はありません」


 ミンツァーは女とカイラルを見比べ、小さく舌を鳴らした。いいところだったのに、とでも言いたげである。しかし時間には勝てないらしく、やはり外野に甘んじていたペリットを巻き込み、


「まだ傷も痛むだろう。精々養生したまえ。ときに神父、君の方も壮健かな?」

「至って健康です。最近少々肉が付き気味ですが」

「それは結構。では失礼」


 強引に話を打ち切り、背を向けて手を振った。まだまだ喋り足りない様子だったが、言い込められた側にしてみれば完全な勝ち逃げである。それで済ませておけばいいものを、入口の前でぴたりと足を止めたこの男は、


「あのキエルが今回の件を簡単に手打ちにしてくれた理由をよく考えてみるんだな。いいお母上だと思わんかね。息子の意志をよく汲み取ってくれている」


 とどめの一撃を残し、そそくさと扉をくぐっていった。三名の部下も黙って続いた。すれ違いざま、背の高い方の護衛が、にやりと気障りな笑みを向けていった。


 来訪者が出て行って約一分、カイラルはその場に立ち尽くしていた。かと思えば、突如身を翻し、大股で壁へと接近。怒声と共に猛烈な蹴りを叩き込みだしたものである。


「ちょっと、やめて下さいよ! また怪我をしたいんですか」

「あんた本当に真面目だな。こういうときは、まず壁の心配をするのがセオリーらしいぞ。くそったれ!」


 ペリットにしがみつかれつつも、怒りに任せて全力の蹴りを入れたカイラルだったが、教会を装った要塞の壁には、わずかに汚れが付いたのみであった。


「まあ、気持ちはわかりますが……あの人も子供っぽいというか……」

「キエルの奴も、余計なことしやがって」


 息子が殺さないように努めたのだから、私の口から首をよこせとは言えない。


 キエルはそのように判断したのか。


 犯人の首を取らなかった以上、その代償として相当無茶な要求を呑ませたはずである。汚された名誉は、同等の代償を払わせることによってのみ回復できるのだから。下っ端のごろつき共の首を差し出させるより、そちらの方が余程魅力的であろう。


 ただ、伝統あるハーウェイ・カルテルらしからぬ措置であると、いぶかしむ者も出てくるだろう。カルテル内部の、実益より名誉を重んじる風潮は今でも強い。世間もそう認識しているはずだ。


 だとすれば、その『生ぬるい』判断をさせる原因となった自分は、間接的に組織の顔に泥を塗ったのではないか。


「あまり気にしない方がいい。あの人のことですから、適当なことを言って君をからかっているんですよ」


 そうかもしれないが。そうだとしても。


 ミンツァーの言葉は、正鵠を射ていたのだ。


 カイラルは壁に当り散らすのをやめ、椅子にどっかりと腰を下ろした。それきり一言も発せず、腕を組んでうつむいたり、背もたれに寄り掛かって聖像を睨んだりを繰り返している。ペリットも口を開かず、食器の片付けを再開した。それを済ませて戻ってきた時には、シャベルを掴んだカイラルが入口の側に立っていた。


「まだ雨が降っていますし、もう夕方ですよ。夕食も食べていったらどうですか」

「いらねえよ」


 苛立ちも露に言い、雨の中へと進もうとするカイラル。それを引きとめようとはせず、ペリットはただ一言、よく通る声で言った。


「チキンのクリーム煮なんですけど」


 カイラルの歩みがぴたりと止まった。そのまましばらく固まった後、軋み音を立てそうなほどゆっくりとした動きで振り返り、忌々しそうに「卑怯だぞ」と呟いたものである。ペリットは今日一番の笑みを浮かべて言った。


「いいですね。食欲に勝てないのは生きる意志がある証拠ですよ」

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