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見捨てられた街(6)

「――死者の弔いは私の務めですから、それに接することに抵抗はありませんよ。でも、こう毎日変死体ばかりを埋葬していれば、ため息の一つも出るというものです」


 ペリット神父こと、共同墓地管理者ロッカ=ペリットは、温かい紅茶をすすりながらぼやいていた。昏倒したカイラルを教会に運び込んで介抱し、雨が止むのを待つこと一時間。雨足は一向に収まらず、むしろ勢いを増すばかりである。


 今、二人は聖堂にいる。長椅子に背を預け、聖人の像を眺めながら、ぼんやりとした時間を過ごしている。他には誰もおらず、雨粒の叩きつける音だけが響く。


「死に方を選べる人というのはそうそういませんが、それにしたって、もう少しまともな最後が用意されていないものかと……やるせない気持ちになるんですよ」


 職業病とも言える切実な言葉だった。カイラルは紅茶を舐めるように飲んでいる。


 目を覚ましてから、水をがぶ飲みした後すべて戻すという行為を繰り返すこと三度。すっかり胃洗浄を終え、胃液すら吐けなくなってようやく落ち着いたのか、顔色は多少生気を取り戻していた。しばらく寝ていろと医師に言われたが、心を落ち着かせるにはここが一番だった。


 ペリットは、知り合った当初からよくわきまえていた。


 この若き墓守が、異常なまでの『死体恐怖症』にして『死体埋葬癖』の持ち主であることを。


 他ならぬ、埋められた『死体』の側として。


「君の症状も、早く和らぐといいんですが」

「あんたの方こそどうなんだ。その……戻ったのか、少しでも」


 この男には、記憶がない。自分の素性に関する、ほとんど一切の記憶が。


 スラムで衰弱し倒れていたところを発見され、キエルに拾われて三年。命を救われた礼にと雑務に従事する誠実さを見込まれ、ハーウェイ・カルテルに籍を置き教会の管理者になった今でも、回復の兆候は見られなかった。


 わかっているのは、彼が国教の敬虔な信者であるという事実のみ。経典の内容を空で語って聞かせられるほどの信仰心は、彼を教会の主に選任する理由の一つにもなった。かつては本当に聖職者であった可能性を鑑み、その筋を一通り探ったものの、結果は空振り。これまで経歴は更新されていない。


「でもね、私はこれでよかったんだろうとも思うんですよ。どんな事情があったにせよ、この街で行き倒れになった挙句、何年も素性を掴めない男が、まともな人生を送っていたとは考えにくい。崩壊事件の前から掃き溜めにいた、浮浪者か何かだったんでしょう」

「そんな奴が経典を空で話せるかねえ」

「犯罪者が熱心な信者を兼ねていることは珍しくありません。それと同じです。まあ、おかげでこういった仕事にもありつけたわけですし、幸運でしたね」


 自虐とも取られかねない言い方だが、ペリットの表情はあくまで晴れやかである。実際、それを裏付ける厚遇を受けていた。一拠点の責任者という立場も、スラムで拾われた得体の知れない男にとっては破格の人事だ。一生務め上げると決め込んでもおかしくはなかろう。


 とはいえ。どれほど高給だろうが、いい上司に恵まれようが、堅気の仕事でないことには違いない。命を落とす危険は常に側にある。故にカイラルは、折に触れて転職を勧めるのだ。上司である以前に友人となった、この気のいい中年男の平穏のために。


「いい加減他の街で真っ当な職見つけたらどうだ。キエルに頼めば当てはいくらでもあるだろ。恩返しとか、そんなのいつまでも考えてなくてもいいんだぜ。犯罪者の群の中で神に祈ってて楽しいか?」


 精一杯の皮肉のつもりだったが、言われた側はまるで動じず、きっぱりと答えた。


「私はこの街が好きですから」


 記憶は失っても心が憶えている、というのが彼の常套句だ。賑わしかった頃の街の情景は、忘れ得ぬ日々として胸の片隅に引っ掛かっているらしい。少なくとも崩壊以前、十年以上前からこの街に住んでいたことは確かだと。


 ならばそれから数年、名前すらも失って行き倒れるまでの間、一体何があったのか。


 推測はいくらでも立てられるが、所詮は状況証拠に頼ったものにすぎない。今後、真相が明らかになる日も訪れないかもしれない。だからこそ彼は『今』を第一に考えるべきであると、カイラルは主張するのだが、


「自分から寿命縮めやがって」


 毎度毎度、皮肉で締める羽目になってしまうのだ。


 説得を試みたのは何度目のことか。休暇を取ってこいだの、キエルの視察に付き合えだの、あれこれ理由をつけて他の街へ送り出したこともある。しかしどれだけ外の世界を見せつけようと、それらが彼の気を惹くことはなかったようだ。せめて新興市街まで寝床を移してくれればいいのだが、依然としてこの教会に住み込んでいる。律儀や物好きという以前に、心臓が途方もなく頑丈なのだ、この男は。記憶と一緒に恐怖という感情までも忘れてしまったのではないかと思わされる。


「そりゃあ、危険とは隣り合わせですし、色々と表沙汰にできないこともやっていますけどね。でも、今の私にとっては些少な話です。私はこの街を蘇らせたい。恩返しなどとは関係なく、復興に携わりたいんです。私はねえカイラル君、キエルさんが私に殺しを頼むようなら、受けてもいいとさえ思っているんですよ」

「聖職者が吐く台詞とは思えねえな」

「ご心配なく。エセ神父ですから」


 こうまで言い切る彼を説き伏せる術を、カイラルは持ち合わせていなかった。だからといって、もう好きにしろなどと突き放すつもりはない。この強固な意志は砕けないとわかっていながら、それでも難癖をつけずにはいられないのだ。


 空になったカップに紅茶を注ぎ足しながらペリットが言う。


「そんなに怖いですか。私の死体を見ることが」


 返事はなかった。身を固まらせたカイラルに、湯気を立てるカップが差し出された。砂糖も入れず、中身を一気に喉へと流し込む。渋い味が口の中へ広がった。


「確かに今の君の状態では、親しい者の死は重篤な影響を及ぼすでしょうね。キエルさん、ロゼッタさん、ダウル先生、そして私……。ですが、それなら何故墓守などをやっているんです? 誰に強制された訳でもなく、自分から望んでシャベルを握っているんでしょう?」

「我慢できないんだ」


 カップを持つ手は震えている。


「死体がそこにあるってことが」

「今でも気持ちは変わらないのですね」

「そうだ」


 カイラルの脳裏には、先程埋めたあの男の姿が浮かんでいた。


「俺は死ぬ。死んでみせる。ああはならないうちに」


 無様な死こそ、彼の敵であった。その感覚自体は誰もが持っているものだろう。ただ、彼はあまりに病的であった。死体を衝動的に埋めてしまうのは、その屈折した感覚の表れだ。無様な死を体現するものの存在を、許すことができなかった。


「君が何故そこまで死者を恐れるのか、本当のところはわかりません。しかし少なくとも、死体を埋めるという行動に関して言えば、それは死への恐怖ではなく、憐憫(れんびん)の情の表れなのだと思います」

「死人がかわいそうだってのか?」

「君が根っこのところで優しいということは、私もよく知っていますから。他人が傷つくのに耐えられない類の人だとね。だから、命懸けで他人を助けたりもするし、死者が野晒しにされ腐敗してゆくのを見過ごすこともできない。その感情の高ぶりが、異様なまでの身体能力を引き出す一方で、精神の安定を損ねているのだと思います。――君が死ぬ時が来るとすれば、それはきっと、他の誰かのために死ぬんだという気がしてなりません」

「やめろ、気色悪い!」


 カップが皿に叩き置かれる音と同時に、カイラルが叫んだ。


「他人の中身を勝手に決め付けるな」


 言い終えるや、長椅子にごろりと横になり、不貞腐れたように目を閉じる。ペリットは無言で片付けを始めた。じっとりとした雰囲気の中、陶器の擦れる音が空気を伝っている。このままお開きかと思われたが、盆を持って立ち上がったペリットは、カイラルに背を向けたまま、


「今後、どのような人生を歩むかは君の自由です。私には助言はできても、君に代わって決定を下すことはできない。ですがせめて、絶対に後悔しないだけの準備はして下さい。少なくとも――」


 言いよどみつつも、最後まで言い切った


「君がそう(・・)なってしまった事情くらいは、はっきりさせておくべきだと思います。幸い私と違って、手掛かりになりそうなものは存在しているんですから。……例の奇妙な光景ですとか」


 藪蛇(やぶへび)であった。カイラルの脳裏に、再びおぞましい映像が引きずり出された。しばしば夢に現れ、時として昼間でも頭をよぎり、先程気を失う直前にも見た、あの光景が。


 崩壊した街に転がる死体。遠巻きに眺めるだけの人々。死体に駆け寄ろうとする自分。そして、制止する祖父の声。


 再びむかつきが生じるのは止めようがなかった。


「馬鹿野郎……せっかく落ち着いてきたのに……」


 非難の声には答えず、ペリットはそそくさと立ち去ろうとした。


 雨音に混じり、扉の軋む音が響いたのはその時である。

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