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見捨てられた街(5)

 現在のリバーブルグで、教会と呼ばれる建物は一つしかない。しかもそれは、人々が神に祈りを捧げる場所ではなく、復興連盟の基地としての役割が大きいのだった。かつての事件で損壊し、廃教会となっていたところを修改築して使っているのである。


 復興前線の近くを歩いていて、急に開けたところへ出たらもう目の前。広がっているのはかつての公園であり、教会はその敷地内にある。在りし日には、散歩を楽しむ老人や、手を繋いで歩く男女、休日を過ごす家族連れなどで賑わっていた憩いの場も、今では見る影もない。ただただ、荒涼たる姿を晒すのみ。周囲は自動小銃を持った私兵が巡回し、丸きり軍事施設の様相を呈していた。


 巡回兵と挨拶を交わしつつ、一行が教会の正面に差し掛かると、教会横の道から数人の私兵がやってきた。その中で一人、異質な者がいる。黒い服に身を包んだ、恰幅のいい中年の男である。男はこちらに気付くと、汗をかきかき、小走りで近寄って来た。


「や、どうも。カイラル君」


 朗らかに笑う男だったが、カイラルが無言で担架を指し示すと、すぐに意味を理解したらしく、悲痛な顔になり「お気の毒に」と十字を切った。


 服装と振舞いで容易く判別がつくところだが、この男が教会の主・ペリット神父である。と言っても正式な聖職者ではもちろんない。知識は本職に匹敵するが、神の教えを説いたり賛美歌を歌ったりすることは極稀で、建物の維持管理や事務作業が主な仕事である。


「今しがた別の方を埋葬したばかりだというのに……おいたわしいことです」

「悪いけど先に行っててくれ。ちょっと着替えてくる」


 死体と別れたカイラルは、礼拝堂に隣接する家屋の、与えられている部屋へと向かった。私兵達と共同で使っているそこは、日用品や着替えなどの保管場所にしてある。寝台や水道もあり、一通りの生活が営めるようになっているが、カイラルは滅多に使わない。単なる物置代わりである。


 服をすべて着替え、脱いだものを近くの洗濯場に放り出すと、カイラルは洗面台に向かった。これでもかと言わんばかりに念を入れて手を洗い、さらに消毒液を付ける。腕まくりして肘まで洗う。顔にも水をこすり付ける。だが、いくら洗おうと不快感は拭えない。背中からとはいえ、死体にべったりと触れてしまったせいだろうか。


 苛立ちが募ったまま死体を追う。渡り廊下を抜けて別棟へ入ると、一転して病院そのものの空間が広がった。やることがやることだけに、他の場所からは隔離されているのだ。


『処置室』のプレートを戴く部屋がその奥にある。手前の小部屋で靴を脱ぎ、シャベルを置き、ドアノブに手を掛ける。扉を開くと同時に、鼻を突く薬品臭が漂ってきた。部屋の中央の机には、あの死体の入った袋が寝かされている。脇にはペリット達が立っていた。


 用を済ませた私兵がペリットに会釈し、部屋を出るのと入れ違いに、白衣の男二人が入ってきた。死体の検死や埋葬前処置をする医師と助手である。


 さながら手術室のようなこの部屋で、死者はその身を清められ、棺に入って運び出されるのだ。苦痛にまみれた生と、絶望的な死を忘れ、永遠の安息を得るために。


 とはいえ、ここで施される処置などは、災害時の応急埋葬と同程度のものである。本格的な防腐処置(エンバーミング)が必要な死体、即ち引き取り手のある死体は、そもそもこんな場所に運ばれて来ない。この地に埋葬されるのは、すべてから見放された哀れな者達だけだ。


 死体袋が開かれる。ペリットは十字を切り、その体を弄り回すことへの許しを請うた。


「では、お願いします」


 医師達に一礼して、他二人は部屋の隅へと下がった。


 まずは服を脱がせ、持ち物も一つ一つ取り出す。もっともこの男の場合、出てきたのはあの銀の円盤一つだったが。蓋を開けて中身を確認した医師は、小さくため息をついた。マスクのせいで表情は読めないが、一瞬、目元が曇ったように思えた。


 全身をくまなく調べ、死因を特定する。念には念を入れた検死だったが、当然と言うべきか、腹の傷が致命傷という結果が出た。あえて付け加えるとすれば、この男が死した後も、殺人者は執拗に刃を振り下ろし続けたであろう、と。また、傷を縫合するのは不可能であり、布で覆い隠すしかないとも。


 ペリットの許可が下り、埋葬前処置が始められた。カイラルは黙ってそれを見守っている。


「どうですか」


 ペリットが問うたが、返事はない。相方の少年は必死の形相で死体を凝視している。歯を食いしばり、汗を噴き出るままにしている様は重病人のようだったが、目は決して逸らさない。これも、死体に慣れるための荒療治であった。


「以前に比べれば、いくらかましになったようですね」

「目の前に死体(それ)があるってわかってるからだ。道端でいきなり出くわしたら、ここまで冷静じゃいられない」

「でしょうね。今日もやらかしたようですし」


 ぎくりとした。どうしてこう情報が早いのか。何で知ってる、と言いかけてカイラルは気付く。目撃者たる私兵を一緒に連れて来ていたのだった。余計なことを、と舌打ちする。


「君の素行に関する報告を受けるのは当然の義務です。直属の上司ですから。私の時のようなことをしでかしてもらっても困りますし」


 死体の腹に布が巻かれていくのを眺めつつ、ペリットが言った。カイラルは何も答えない。腕組みをして、苛立ちを表すようにつま先で床を叩いている。この男にこれを言われると、どう反応すればいいものやら、判断に困るのだ。ペリットは苦笑いを浮かべた。


 死体の処置はじきに済んだ。全身を清め、服を着替えさせた死体は、ただ眠っているようにも見える。すっかり土気色になった肌を除けば、だが。簡易的な処置ではあれど、ごみ溜め同然の街の住人がここまでしてもらえるのだから、むしろ十分すぎるほどだろう。これでようやく、『死体』から『死者』へと昇華されたということか。


 そして棺が運び込まれ、いよいよ納棺というところで、ペリットが呼び出しを食らった。忙しい日ですね、と呟いて彼が部屋を出た後、医師達は死者を棺に納めた。胸の上にはあの円盤が置かれ、鎖は首にかけられた。カイラルは、ふと浮かんだ疑問を口にした。


「なあ」

「はい?」

「何で首にかけるんだ? それ、懐中時計じゃないのか?」


 医師はすぐには答えなかった。円盤とカイラルの顔を、困惑した様子で見比べている。態度を決めかねているようだったが、やがて無言で円盤を手に取り、蓋を開いてカイラルに示した。


 中では、愛くるしい顔の少年が、こちらに向かって微笑んでいた。年齢は三歳といったところだろう。懐中時計などではない。ロケットだったのだ。


「息子さん、でしょうか」


 意味を理解した瞬間、カイラルの脳裏に電光が走った。


 奇妙な光景が頭の中に浮かぶ。スラムの薄暗い路地。そこに転がる一つの死体。しかしそれは、今目の前で棺に入っている男ではない。かつて見知っていたような、もっと別の誰か。


 カイラルは頭を抱え、壁際によろよろと座り込んだ。食いしばった歯の間から、小さな呻き声が漏れる。男達は声をかけるのもはばかられ、作業へと戻った。


 突如カイラルは立ち上がる。何かに憑り付かれたかのように走り出し、部屋を去った。シャベルを引っ掴むのも忘れていない。そのままの勢いで廊下を駆け、棟の裏口から飛び出ると、そこに広がるのは無数の石が突き立った場所。


 墓地だ。


 並び立つ墓標を尻目に、迷いなく目的の場所へ向かう。無駄なく整列した墓標の末尾、新たな死者が葬られるべき空き地へ。


 到着して隣の墓を見ると、土を掘り返した後が真新しい。ペリットの言葉が思い返される。確かについ先程、この場所に誰かが埋葬されたようだ。


 即ち、誰かが死んだと。


 身元も知れず、死に至る経緯もわからず、引き取り手となる家族もいない、誰かが。


 またしても、えもいわれぬ吐き気が襲ってきた。ふらついて倒れそうになるのを、シャベルを支えにして何とか持ちこたえる。弛緩する筋肉を無理に動かして立ち上がると、


「あああああああああ!」


 咆哮と共に、シャベルを思い切り地面へと突き立てた。


 掘る。無我夢中で掘る。


 それは驚異的な速度であった。元々土壌が軟らかく、加えて雨が降っていたというのもあるのだろうが、土建屋もかくやという速さである。ものの数分の間に、穴の深さは一メートルを超えていた。


「ちょっと、待ちなさい!」


 戻って来ていたペリットが、血相を変えて駆け寄った。自分自身が死人のような形相で、息を荒げて墓穴を掘り続ける少年を見れば、誰でもそうなるだろう。ましてや、今のカイラルは怪我人なのである。


「無理しなくても私がやりますよ」

「あんた汗だくじゃねえか。さっきも一仕事したんだろ、いいから休んでろ」


 それは先程ごろつきどもを相手に暴れ回ってきたカイラルとて同じであるし、何より今の彼の方が、ペリットよりも余程汗をかいている。それも、爽やかさとは程遠い、べっとりとした脂汗である。単なる肉体的疲労からこうなっているわけではないことは明白であった。


「わかった、わかりましたから……遺体を埋めた後は、私に任せなさい。いいですね」


 強い口調でペリットが諭す。カイラルもこれには逆らわず、素直に頷いた。


 彼にとっては、死体を埋めることこそが可及的速やかに行うべき工程であり、その先はどうでもよいのだった。ペリットに任せなかったのは、彼の動きの鈍さをよく知っていたから。それでは余計な時間、死体とともにいなければならないではないか。


 胸の内にある想いはただ一つ。


 さっさとあの、忌まわしい死体(ぶったい)を覆い隠してしまいたい――。


「来ましたよ」


 教会を出た棺がやって来る。私兵達が四隅を担ぎ、二人の荷物持ちが付き添って、簡素な葬列を為していた。


 到着と同時に墓作りは再開される。私兵が差し出した袋を、奪い取るようにして受け取るカイラル。袋の口を穴に向けると、白い粉がどばどばと流れ出た。消毒用の石灰である。


 白く染まった墓穴に、棺がゆっくりと下ろされる。安置が済み、ペリットが許可を出すやいなや、またしてもカイラルは高速で動いた。棺の上からさらに石灰をまぶし、掘った時を上回る速度で土をかけ、あれよという間に覆い隠す。それも決して乱雑ではなく、むしろ感動さえ覚えるほどの、丁寧かつ迅速な仕事なのだ。私兵達も手持ち無沙汰に見守っている。


 ある程度土が戻されたところで墓石を並べ、四角い枠を作る。生憎と大理石ではなくコンクリート製だが、ここが死者の眠る領域というわけだ。頭側には大きめの石を立て、墓標とする。後は残った土を枠の中へ詰めると、簡素ではあるが、ちゃんとした墓が出来上がった。


 そして弔いである。


 墓標の前に花束を置き、ペリットが弔いの言葉を捧げる。残る者は、その後ろで直立する。再び雨脚が強まる中、彼らはひたすら祈った。死者の冥福と、二度と同じ悲劇が繰り返されないことを。


 墓標に死者の名はない。弔いの言葉と、死体となって発見された年月日のみが刻まれている。ここに埋葬された者のほとんどは、引き取り手が現れて他の都市へ移されるという奇跡もなく、復興連盟によって管理されるのだ。名前もわからない『誰か』として。


 ペリットの言葉が終わりかけた時である。


 突如、彼の後ろで物音がした。ペリットは瞬時にその意味を悟った。振り返ると案の定、カイラルが膝から崩れ落ちていた。私兵が支えてやる暇もなかった。


 朦朧とする意識の中で、カイラルは幻を見た。先程よりも鮮明な、生々しい映像である。


 スラムのどこか、薄暗い路地の真ん中に、一人の男が倒れている。男の生命はすでに失われていた。死後数日経ったのだろう、男の体は干乾びだしていたが、不思議と腐食は始まっていない。


 それを遠巻きに見つめる人々の姿があった。皆、一様に不安と恐怖に包まれた顔をしている。視線の先に転がっているものを、誰一人として片付けようとしない。


 不意に、視界が男へと接近した。目の前に小さな手が伸びる。男に駆け寄り、すがり付こうとしているのか。この視界と腕の主は。即ち、自分は。


 しかしそれは叶わない。突如体が浮き上がり、自由が利かなくなった。誰かが自分を持ち上げ、男との接触を阻もうとしているのだ。両手を振り回して抵抗する自分に、緊迫した怒声が浴びせられる。他でもない、祖父ダウルの声で、


(近寄るんじゃない!)


 大気をつんざく絶叫が響いた。幻と現実の自分が、同時に声を上げたのだった。


 頭が軋み、左腕が焼けるように痛い。そこから伝播した熱が体全体を覆う。生きながらにして火葬されているほどの熱量が襲い来る。急激に冷えてゆく大気が心地よかった。


 滝のような雨が降り注ぐ中、カイラルの意識は闇に染まる。


 凄まじい稲妻が、真っ黒な空を裂いていった。

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