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見捨てられた街(2)

 リバーブルグは、シュナンザ都市同盟に組み込まれる、巨大な廃墟都市である。三つの国家によって形成されるこの大陸において、これほど劣悪という言葉が似合う場所は他に存在しない。紛争が続く隣国クラックスや、そもそも国家として成立しているかも怪しい北部の禄峰(ろくほう)なども負けず劣らずだが、この街の腐敗ぶりには到底及ぶまい。


 一言で表すなら、閉塞している。


 かつて同盟一の商業都市として名を馳せた街は、今を遡ること十年前、突如として壊滅した。隣国クラックスとの戦争の渦中であった。原因は未だ不明。判明しているのは、閃光と共に地面から噴き出た爆風により、街全体が一瞬にして崩壊したという、凄惨な事実のみである。


 当時、都市同盟は国の威信を懸けて救助に当たり、その甲斐あってか二次災害は最小限に食い止められたという。救助活動の終了後、都市同盟軍は『爆心地』の調査を行った。しかし情報はもたらされなかった。ただ、あの場所で尋常ならざる事態が発生しているという事実のみが得られた。派遣された兵士すべての未帰還を以って。


 政府はリバーブルグの放棄を選択した。残っていた住人は強制退去となり、一帯は立入禁止区域に指定された。だが、警備も行われていない場所を無人のまま保てるはずもない。故郷を離れることを拒んだ市民、略奪目当てのごろつき、浮浪者に犯罪者から反政府過激派まで。滅び去ったかつての街並みは、あらゆる人間を新たな住人として迎え入れた。


 以来、十年。都市同盟は、街の復興について否定的な態度を取り続けている。クラックスでクーデターが発生し政権が交代、新政権との間で休戦協定を結び、外部の脅威が落ち着いてもそれは変わらなかった。途切れていた線路や道路は大きく迂回して再建され、直通の交通手段は消滅した。各都市はリバーブルグの都市能力を分散して代替。この街の存在を否定した。


 二度と元の姿を取り戻せないであろう街を哀れみ、人々はリバーブルグを呼んだ。


【見捨てられた街】と。



 雨が降りしきる中を、カイラルは左腕を(かば)いつつ走っていた。少々暴れすぎたせいか、軽く見ていた腕の傷が妙に痛む。止血はしてあるとはいえ、所詮は素人の応急処置だ。真っ当な治療をしなければならない。となると、向かう場所は一つしか思い当たらなかった。


 バリケードを通り、ごみ溜めのような路地を南へ走り抜けると、急に視界が開けた。路地と繋がる中規模の通りに出たのだ。両脇には露天商が並び、昼間だというのに街娼が客を引き、人通りも多い。


 ここは、現リバーブルグ最大の勢力である【復興連盟】の支配地域だ。三年ほど前、南側から街の制圧を開始したこの組織は、今や全体の四分の一を勢力下に収め、急速に復興を進めている。ここはまだ瓦礫が撤去された程度だが、昼間であれば安心して歩ける程度には治安が回復していた。


 露天商が次々と店仕舞いを始め、通行人が両手を傘代わりに走り去るのを横目に、通りを横断した。そのまま反対側の路地へと入り、少し進んで左手の雑居ビルへと駆け込む。目的の場所はビルの三階にあった。錆びた鉄製の階段を駆け上がり、上を目指す。


 途中、すれ違った連中から笑って手を振られ、驚きに続いて目を逸らされ、あるいは露骨に嫌悪の視線を向けられたが、すべて無視。三階に辿りつくと、横に伸びた通路の壁にいくつかの扉が並んでいる。そのうち二番目の扉の前にカイラルは立った。横の看板には消えかかった『フォルスター診療所』の文字。


 ゆっくりと扉を開け、様子を伺ってから滑り込むように侵入。玄関で中の空気を感じ、何も異変がないことを確かめる。カイラルがここへ来る時はいつもこうだ。傘立て代わりの(かめ)にシャベルを入れ、人っ子一人いない待合室を抜けて診察室へ入ると、総白髪の男が机に向かっていた。


 訪問者の存在に気づかぬはずはないが、老人は気にも留めず、文庫本か何かをめくりながら茶をすすっている。カイラルもその場に立ったまま、口を開こうともしない。


 異様な空気の中、五分ほども経っただろうか。杯を空にした老人が、音を立てて本を閉じた。


「また、死に損なったか」


 しわがれた声が響く。その顔の横に、タオルの巻かれた腕が差し出された。


「さっきやられた。頼む」


「まったく手のかかるやつだ。前に来た日から一週間も経っとらんぞ」

「うるせえな。色々事情があるんだよ」

「いずれにしろ、大概にせえよ。わしもお前の検死だけは遠慮しときたいからな」


 溜息を吐きつつ伸ばされた老人の手が、引き出しからカルテを取り出す。無論カイラルのものである。この老人は、彼のカルテだけは一般患者とは違うところに保管しているのだ。完全な特別扱いだが、それも致し方ないだろう。何故なら、


「こんな糞餓鬼でも、わしの孫だからなぁ」


 カイラルは舌打ちを返事に、どっかりと椅子に腰掛けた。


 この老人が看板にもあったヴェルニー医師で、名はダウルという。この辺りで『医者の爺』といえば、まずこの老人のことである。ぶっきらぼうで無口、治療中も余計なことは一切口にしない頑固者なのだが、その腕を信じて通ってくる患者は多い。復興連盟公認の名医として、界隈でも一目置かれた存在なのである。


 そんな老人にカイラルが悪態をつけるのも、二人が祖父と孫の関係にあるからに他ならない。正確には、母親の育ての親がこの御仁であるということなので、血の繋がりはない。しかし他に身内のいないらしい御老体にとって、この少年は目に入れても痛くない存在なのだろう。例え、多少どころではなく素行が悪くとも。


 水の滴る頭を乱雑に拭いてやってから、ダウル医師は腕に巻かれたタオルをほどいた。


「大したことはないな。広いが浅い傷だ。止血もしっかりしとるし問題なかろうて」

「そうか」

「だが、こいつはもう使い物にならんぞ」


 タオルを摘み上げたダウルが顔をしかめた。柄物だったはずがすっかり赤く染まり、鉄の臭いを放っている。


「別にいいよ。ロゼのだから」

「何だ、またあれに振り回されたか」

「ああ」


 治療を受けながら、カイラルは渋い顔で悪態をつく。


「いい迷惑なんだよ。様子が気になるとか何とか、下らない理由でスラムに入りたがりやがって。昔っから馬鹿のままだ」

「キエルに投げればいいだろうに。妹分のわがままくらいは許してくれると思うがな」

「あいつにそんな暇があるのかよ。今日も理事会に出てるんだろ。それに足手まといをわざわざ危険地帯に入れようとするもんか。最近特にごたごたしてるみたいだし……ロゼだってそのくらいはわかってんだよ」

「それでお前を連れ出したか。聞いてやるお前も甘いな。仲のいいことだ」

「だって、そうでもしないとあいつ一人で――」


 言いかけて、カイラルは勘付いた。横にあった鏡を見ると、左頬にはっきりと赤い模様が浮き出ている。それは唇の形をしていた。


 慌てて手の甲で頬を拭う。つまり何か、あれからずっと、キスマークを付けて人前を通り過ぎていたというのか。雨に打たれたというのに、何故落ちないのだ。もしかすると、先程目を逸らした人間は、これに反応していたのだろうか。赤っ恥をかいてしまった。


「それと薄っすら移り香もするな。散々悪く言いながら一体何をやっとったんだ」

「余計なお世話だ。さっき顔拭いた時、わざとここだけ拭かなかっただろ」

「このまま放っとくのも面白いかと思ってな」


 悪びれもせず、さらりとおちょくるダウル医師。こうなると、かえって力が抜ける。苛立ちはどこへやら、妙に冷めた気分になったカイラルは、左腕に包帯が巻かれていくのをじっと見つめていた。


 包帯の端が留められた時、カイラルはふと思い当たった。脱ぎ捨てていた上着の内ポケットを探り、中から取り出した物をダウルへと差し出す。厚手の革財布であった。


 差し出された財布と孫の顔とを、訝しげな顔で交互に見るダウル。


「治療費」

「馬鹿を言うな。お前の治療なんぞで金を取れるか」

「毎回特別扱いってのが気に入らないんだよ」

「生意気言える立場じゃなかろうに。大体、その金の出所はどこだ。安月給の分際で」

「臨時収入があったんだよ。何なら寄付って名目でもいいぜ。どうせ、後払いでいいとか言って、金のない患者も引き受けてやってるんだろ?」


 ダウルはそこで迷った。言葉の綾というものだろうが、あくまでも善意の寄付だというのであれば、受け取らない道理はない。実際、行きずりの患者を治療してやることもある。とにかく孫は、自分に金を押し付けたくて仕方がないのだ。


 しばらく黙り込んだ後、ダウルは財布の中身を半分だけ抜き取り、折りたたんで机の引き出しに放り入れた。


「ごろつきどもにろくでもない使い方をされるよりはましか」


 財布をカイラルに返しつつ、ダウルがぼやく。入手経路をわかっている口ぶりだった。


 用事をすべて終え、上着に袖を通してカイラルがきびすを返した時、ダウルが声をかけた。


「お前も他人の心配ばかりしとらんで、自分の身の振り方を考えたらどうだ」


 カイラルは一瞬足を止めた。しかしそれ以上の反応は見せず、再び歩き出す。ここに来た以上、言われるとわかっていた一言である。今更気に留める必要もない。


 にも関わらず、その歩調は速かった。一気に玄関へと抜け、無事な右腕にシャベルを取り、左手でドアノブに手をかける。熱い痛みが走ったが、体ごと突っ込むように扉を開け、


「お前は、理想の死に場所を見つけるんだろう?」


 祖父の言葉から逃げるように、激しく音を立てて扉を閉めた。

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