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契約は血の色で・下(8)

 レム川の流れは不気味なほど穏やかであった。


 川面に照り返す月もなく、暗黒の流れはまったく闇に同化して、不用意に渡ろうとする者をそのまま飲み込んでしまいそうだった。現世と冥界を隔てる川にも思えた。いや、これは例え話にはなるまい。現実として、川を越えた先には地獄の蓋が開いているのだ。


 街が孤立化して以来、渡河を試みる者さえほとんどいなかったこの流れを、一艘の船が渡っていた。銃座を備えた強襲用の高速艇である。わずかな照明が照らす中を、エンジンの音が静謐を掻き乱すのに任せて、無遠慮に地獄へ接近しようとしていた。


「いかんせん夜だからな。そんなには飛ばせねえ。だからって一休みしてねえで警戒と荷物番しとけよ」


 舵を取っているのはザトゥマであった。この男、外見にも似ず随分と器用らしい。ナクトは舳先の銃座にちょこんと収まり、シャロンは操縦席の後ろに座っている。一応席は余っているようだが、短い時間とはいえ、狭い場所にあの連中と押し込められるのは気分のいいものではない。カイラル達は、船の後部に立ったまま、暗闇に沈んだ街を眺めていた。


 春先のことである。川の上の夜風はまだ肌寒く、時折かかる水しぶきは冷たい。うっかりしていると風邪を引いてしまいそうだ。鉄道の時のことを思い出したのか、セリアはすでに苦々しい顔をしている。カイラルはできるだけ体を揺らさないように言った。今回は命の危険がある場所へ向かっているのだ。最初から戦闘不能になられてはたまったものではない。


 そんな二人をよそに、


「いい風ですねえ」


 エスハは心地よさげに髪をかき上げた。より北に位置し、山岳地帯も多い禄峰の人間である。この程度の寒さはどうということはないのかもしれない。むしろ深呼吸を繰り返し、夜霧を含んだ大気で肺を洗い流している。すると、大気に混ざった何かに気づいたのか、エスハの小鼻がひくひくと動いた。


「そろそろモクレンの季節ですか。スイセンも咲き始めているようですね」

「そういやもうそんな時期か。でもお前鼻いいな、俺は川の湿った感じしかしねえけど」

「おや、わかりませんか。この芳しい匂いが。鈍感ですねえ」

「悪かったな」


 対岸に着くと、船は西へ向かって走り始めた。川は西から東へ街を横断しているので、川上へ向かう格好である。しばらく行くと、砂利の広がった小さな河原があり、堤防の階段につながっている。ここから街へ侵入できるのだろう。


「墓守君。荷物を持ってきてちょうだい」


 シャロンはそう言って、先に降りてしまった。荷物といっても、懐中電灯や飲料水は各自に配布済みだ。後は、何に使うのかよくわからない道具が入った袋と、薪が一束、金属製の籠が一つだけ。だが、その籠の中身に、カイラルは首を傾げずにはいられなかった。


 問題の『荷物』は、かごの中でばさばさと羽を広げ、時折低い声で鳴いている。生きた(きじ)なのである。都市同盟内ではよく食されている野鳥だ。煮てよし、焼いてよし、蒸してよしで、教会の夕食の献立に上がっているときは、カイラルもちゃっかり顔を出している。だが今はそんなことはどうでもいい。まさか食料として持ってきたわけでもあるまい。


「毒ガスの探知にでも使うのか? いやそんな……」

「うだうだ言ってねえでさっさと降りろや」


 ザトゥマに突き飛ばされて、危うく転びそうになりながら上陸する。カイラルは舌打ち混じりに、胸に装着した四角い懐中電灯のスイッチを入れた。


 荷物を受け取ると、シャロンは袋の中身を出して並べ始めた。ナクトは火を起こして薪をくべている。ここで何かやっておくことがあるらしい。二人の前には一本の木が立っている。場所が場所だけに、大雨の次の日などは半分くらい沈んでしまいそうだ。何の木かはわからないが、花をつけている様子はない。カイラルはふと、大きく息を吸ってみたが、冷たい空気が粘膜を刺激するだけだった。


「エスハ、さっきの匂いって本当か? この辺には花なんか咲いてないぜ」

「そうですね、方角は大体あの辺りだと思いますよ」


 エスハが指差した方向は、これから進むべき場所、廃墟の街の真ん中だった。こう来ると、カイラルは反応に困る。一体、これは何かの謎かけなのか。人をからかって楽しんでいるだけなのか。それとも、本当に自分の鼻が鈍いのか。


 カイラルが訝しげに鼻を動かすのを悟って、エスハはくすくすと笑った。


「そう警戒しなくても大丈夫ですよ。おかしい(・・・・)のは私のここですから」


 鼻に指を当てながらエスハが言った。


「私の視覚以外の五感、そして第六感とか呼ぶものでさえも、すべて常人の及ぶところではありません。光を欠いて生まれたのと引き換えに、この力を得たのです。ですがこれは、それほど特別なものではありません。セカイ使いであれば、多かれ少なかれ肉体の力は高まりますし、魂の揺らぎを感じることもできましょう。私の場合、盲人故にそれが極端になっているだけのこと。ですから、花がどこかで咲いているのは保証しますよ。野生化してしまっているんでしょうね」

「……じゃあさっき、こっちの頭ん中のぞいたようなことが言えたのも、その力のおかげか。随分便利なセカイ法だな」

「おっと、早とちりはよくありませんね。言ったでしょう、特別なものではないと。私の力であることは確かですが、こんなもの、枝葉にしかすぎません。本質には程遠い」


 エスハは担いでいた槍を立て、切っ先を夜空に向けてみせた。幹です、とエスハは言う。


「重要なのは、幹です。力の本質です。お忘れですか? セカイ使いはただの異能者ではなく、世界との合一を目指す求道者だということを」


 それが閉塞思想の根幹だった。自らの魂を世界と直結させる。世界との合一化を図る。その結果として世界を書き換えるに至る。セカイ法は手段であって目的ではない。力の前に思想がなければならない。つまりは、それだけの願いがあるはずなのだ。自分以外のすべてを白黒の背景へと貶めてでも実現すべき、理想の世界像があるべきなのだ。


 自分は何なのか、ということを具現化した力こそが、その人物にとっての真のセカイ法であり。

 

 他の能力は、所詮は副次的なもの、枝葉でしかないのだろう。


「あなただって、今使えている力が本質だとは限らない。寄るべき幹を見つけ出せなければ、いつまでも上っ面の枝葉だけを相手にすることになりますよ。それでは永久に世界との合一は成し遂げられないでしょう。『セカイの中心』ともあろう者が泥沼に陥ることは、即ち物語の破綻を意味します。……どうか、一時の感情でひた走ることのありませんよう」


 エスハは胸の前で両手を合わせ、静かに頭を垂れた。これが彼女の信じる仏とやらへの祈りなのだろう。不安に駆られて暴走しかけていたカイラルにとっては、耳の痛い言葉だったが、不思議と受け入れられた。毎度の皮肉とは思えなかった。


 祈る姿には、その人物の本心が見えるという。神に対しては、すべてを包み隠さず告白すべきだからである。ペリットが聖堂で祈りを捧げている姿が思い出された。信じる神は違うが、エスハの姿はあの神父と重なって見えた。


「おいガキども、もういいか?」


 ザトゥマの声で我に返る。シャロン達はすでに手を止めて、たき火を囲んでいた。


「こっちに来て並びなさい」

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