契約は血の色で・下(5)
意外なことに、その人物は女性であった。
とにかく臭いやら汚いやら、助けたとはいえこの格好は勘弁と、家に入れるなりシャワーへ放り込んだ。男物の着替えはないがどうするか、と悩んでいたのも束の間。すっかりきれいになった野良犬が、バスタオルを胸まで巻いているのを見て、ようやく思い違いに気づいたのである。
今、赤髪の小女が無我夢中で食事を貪るのを、四人は黙って見ていた。残飯を漁っていたくらいだから、もう何日もまともに食べていないに違いない。胃痙攣でも起こすのではないかと心配になったが、一応今朝も腹にものは入れていたらしいから、おそらく大丈夫だろう。何を食べたのかは聞かない方がよさそうだが。
ミーネとグレースは、多少距離を取って座っていた。ロゼッタの真意をつかみかねているらしい。レイチェルが、どうするんだよ、という視線を送ってくる。ロゼッタはそれには答えず、
「……うぐ? ふ、ぐ、むむむ」
「はい」
喉を詰まらせた小女に、すかさず水を差し出した。ボトルの水を一気に流し込むと、今度はむせて咳き込む。間抜けとしか言いようがないが、この女、得体の知れない浮浪者などでは決してない。
きれいにしてみれば、随分と整った顔立ちをしている。着ていた服も汚れてはいるが、なかなかの上物。すぐにでもかぶりつきたかっただろうに、食事の前にはどこぞの神へ祈りを捧げていた。染み付いた教養は、こんなときにこそ表れるものだ。ロゼッタよりもずっと品がよいではないか。
極めつけに。燃え盛る炎よりもなお赤い、正真正銘の真紅の髪と瞳は、この国の人間は持ちえない。
「……ふう」
口を拭った小女は、腹も満たされて人心地ついたのか、微笑して頭を下げた。
「馳走になった。礼を言う」
「お粗末さまでした。……えーと、ユニ、だっけ?」
「うむ」
「何でまたゴミ漁りなんかしてたの? 放火しようとしたわけじゃないんでしょ?」
ロゼッタは、あえてユニの素姓には触れなかった。それが一番肝心な部分であり、彼女を拾った理由でもあったが、いきなり本題に切り込んでも答えまい。
「うむ、それがな」
ユニは少し考えて、言葉を選ぶように話し出した。
「しばらく前、大きな災害があっただろう」
「うん。もう半月ちょっと前の話だけど」
「多くは語れぬが、それの巻き添えを食ってな。見ず知らずの土地で仲間とはぐれ、誰にも助けを求められぬまま、この街をさまよっていたのだ。最初は、家主が逃げたらしい家で雨露をしのいでいたが、折り悪く戻ってきた家主に空き巣と間違われてな……それ以来ずっと外で生活を……仲間は見つからないし……もう本当に存在忘れられてるんじゃないかと……」
「はあ……」
そこから先は涙声になって、まともに聞き取れなかった。
「まあよかったわ。今夜は泊ってきなさい。他に行く場所もないんでしょ」
「何から何までかたじけない。この恩は必ず……っと、そうだ」
ユニは空になった皿をどかすと、懐から薄汚れた包みを出して置いた。何かを布で幾重にも巻いてあるらしい。包みを丁寧に解きながらユニが言う。
「事のついでに聞きたいのだが、実は他にも世話になった御仁がいてな。あの日、私の主を助けてくれたのだ。生きているかどうかもわからぬが、心当たりがあれば教えてほしい。……手がかりはこれしかないが」
中から出てきたのは、一本のナイフだった。刀身から柄までが一体の金属でできており、柄には何も巻かれておらず、手で握って使うためのものには見えない。どうやら投擲用のナイフらしい。ロゼッタは、まさか、という気持ちを抑えながらナイフを手に取った。柄と刀身の中ほどに、有名なメーカーのロゴが小さく入っている。まったく同じものの愛用者が、すぐ近くにいたような。
「そいつさ、どんなやつ?」
「若い殿方であった」
「何か棒みたいなもの持ってなかった?」
「確か、シャベルを持っていたぞ」
「あいつじゃん……」
丁寧に磨き上げられた刃に、不機嫌な顔が映っている。何が心配するな、だ。余計なことに首を突っ込んでばかりなのはカイラルの方ではないか。そうやって、自分の身を削ってまで他人を助けてどうしようというのか。その先に彼の求める理想の死に場所があるなどとは、ロゼッタにはとても思えないのである。
そんなロゼッタをよそに、ユニは喜び勇んで立ち上がった。
「おお、あの御仁のお知り合いであったか! 何と奇遇な! やはり慈悲深き人は知り合いもまた心優しいのだなあ! して、今はどこに?」
「生きてるわよ。今日はちょっと……仕事で街を離れてるけど」
「そうか。いや、仲間のこと以外では、それが唯一の気がかりだったのだ。あの場で命を落とされては申し訳が立たぬと……いや、よかった」
ユニは、先程の泣き顔も吹き飛ぶほどの笑みを浮かべた。散々な思いをしてきた中で、ようやく一筋の光を見つけたのだろう。しかし、その顔が不意に曇った。忘れておきたかったことを急に思い出したかのような。
「つかぬことを聞くが。あの日その御仁は、剣を携えた女を連れて戻ってこなかったか」
「えっ」
「……そうなのだな?」
まったく予想していない問いだった。ロゼッタはとっさに知らないと言おうとしたが、本音がすっかり顔に出てしまったらしく、ごまかせそうになかった。ユニはそれ以上追求してこなかったが、忌々しげに「あの売女め」と呟き、
「もう一度会って礼を言いたかったのだが……あの女が一緒となれば、やめておくべきだな」
それきり、腕組みをして黙ってしまった。
あの日、セリアがカイラルに命を救われた経緯は、ロゼッタも聞いている。そしてどうやら、その犯人はこの小女らしい。だが、先程からの様子を見る限り、とてもそんなことをするような人間には思えなかった。ユニはむしろ、度が過ぎるほどに誠実で、義理堅いたちだ。つまりは、セリアと似た者同士なのだ。
一方で、感情を常に抑えているようなセリアとは違い、思ったことを包み隠さず表に出す。喜怒哀楽がはっきりしすぎている。機嫌がよければ八方に笑顔を振りまくが、虫の居所が悪ければ誰彼構わず雷を落として回る。そんな人間だ。
セリアとユニが命のやり取りをするほどの関係であるのなら、きっとお互いに譲れない事情があるのだろうし、他人が口を挟めるようなことでもないだろう。幸い、二人は今引き離されている。ロゼッタとカイラルがいる以上は、義理に免じて余計な争いを起こすことはあるまい。
どちらにせよ、ユニはもうこのことに触れるつもりはなさそうだった。ロゼッタは、カイラルにどう伝えようか考えつつ、話題を変えた。
「これからどうするつもりなの」