契約は血の色で・上(13)
「本気か?」
カイラルが危惧するのは、セリアがエスハに肩入れするのではないか、ということだった。それだけの土壌はあると思った。欠落者としての親近感は、大なり小なり抱いているはずである。しかしセリアは、そんな懸念を「安い同情心ではありません」と打ち消した。
「私も本来であれば、法に従って刑罰を加える身です。しかし世界を殺す法などは存在していないから、あなたの意志に懸けたのです。基準を定めてくれる人が必要だったのです。彼女は一団を率いる者として、まさにそれをやっている」
「まるで俺とこいつが同じみたいな言い方だな」
「はい。気を悪くされるかもしれませんが、私にはそう思えるのです。……先程までは随分人がいましたけど、ここの人達はきっと、危険が街に迫っても逃げる先がないのです。ここが彼らにとっては最も安全な場所なのです。それは、彼女に対する信頼の表れです。彼女がやってきたことの結果なのです。彼女はあなたより悪の側の存在かもしれませんが……それを欲している人はいるのです」
だから信じる、と。
同類の薄っぺらな共感ではなく、指導者としての姿勢でもって、セリアはエスハを評価しているようだった。ある物語においては、この尼僧に剣を捧げていたかもしれないと、そうほのめかすのである。
「何だかよくわかんないけど」
次の援護射撃はレイチェルだった。
「普通に付き合ってる分には、エスハは悪い子じゃないよ。ただ敵に容赦がないってだけ。さっきのあれは、私も軽く引いたけど……そういうところを、私達が頼りにしてるのは事実だから」
彼女の立場上、至極当然ではあるのだが、エスハにはそれなりの好意を寄せているのだろう。
結局はそこ、好きだ嫌いだの問題なのだ。カイラルがエスハを受け入れ難いのは、あの男に対する扱いを見たからだった。罪と罰のあまりな不均衡に、恐怖というよりは、薄気味悪いものを抱いたのである。しかしそれも、所詮はカイラルの個人的な信条に基づくもの。弱者が群れ集った共同体では、通用しないのかもしれない。カイラル自身、世間一般からずれた世界を見ているという自覚はあったが――この特異な集団を裁く資格があるとは、セリアの前でなくとも言えなかった。
――毒されているな。
そう思わずにはいられない。少し前の自分なら、考えを異にする者として、エスハと縁を切って終わっていただろう。それがどうだ。セリアに頭を下げられ続けているせいか、自分の信条を一旦脇に置く癖がつき始めている。今の状況にしても――治外法権だろうが何だろうが知ったことか、お前らの感覚は異常だ――と言えば、セリアは黙って従うに違いない。だが、それでは彼女に申し訳が立たないと、己を戒める気持ちが勝ったのである。果たしてどちらが正しい裁きなのかと、思案する暇が生まれたのである。
セリアの存在は自分を変えた。まだ彼女の願いを受け入れたわけではないが、自分の魂は長い停滞を脱しつつある。この尼僧の存在も同じく、魂へ楔となって打ち込まれるのか。
「わかった」
カイラルは頭を上げた。疑念が晴れたわけではない。エスハに抱く印象も変わっていない。しかし、思想信条の違いを理由に、助けの手を拒むのは愚策だと判断した。元よりキエルが信用し、他人の金で雇われた傭兵、自分が難癖つけるのもおかしな話ではある。
「力を貸してくれ。頼む」
「ご納得いただけたようで何よりです」
エスハが立ち上がって手を伸ばしてきたので、カイラルもそれを取ろうとした。しかし握手は交わされなかった。エスハは両手でカイラルの顔をつかんでいた。顔全体を撫でるように、鼻やら耳やら好き放題に触っている。
「……何やってんだ」
「お顔の形を少々。……はい、紛うことなき二枚目ですね。少々目付きが悪いのが気になりますが。この辺りはお母様譲りということですかね、よく似ていらっしゃる」
「それ、キエルの顔も触ったってことか?」
「ええ。他に人様の顔を理解する手段がありませんので。失礼なのは承知の上ですが、お近づきになる手段としては案外有効でして。キエル大姉様やロゼ姉様にも、妹のように――と言うと、手前味噌ですが――お世話も焼いていただきました。あなたのことも、随分と前から話には聞いていたのです」
顔から手を離すと、エスハは槍を持って歩き出した。店の中をうろうろと回りながら、持論を語る。
「私は商売相手と思想信条が合うかどうかは大して気にしません。善悪、政治、宗教、どれも二の次でしかない。それよりも、考えが一貫しているかどうかを重く見ていましてね。口ではおべんちゃらを言っていても、ころころ意見の変わる相手は信用に値しません。例え意見が真逆であろうと、一本芯の通った方とお付き合いしたいのです。――そういう意味では、あなたのような生き方は甚だ理解し難い。どうしてそうなったのか知りたくもありませんが、自分から死に場所を求めてさまようなど、正気の沙汰とは思えませんね」
「何とでも言ってくれよ。言われ慣れてるし、今更気にしない」
「はい、私も一切気遣いなどはいたしません。ですが商売相手としては気に入りました。そちらのお嬢さん――セリアさんでしたっけ? あなたも同等の評価をさせていただきますよ。お望みとあらば、お二人の個人的な目的のために力を貸しても構いません。もちろんもらうものはもらいますが」
「払う当てができたら考えてやるよ」
無論、そんな余裕はない。カダルがいくら出したのかは知らないが、カイラルの安月給では手付にもなりはしないだろう。察するに、これは未来への投資だ。カダルがこの女を使っているのは、一種の福祉事業としての価値を見出しているからだ。今は世間からこぼれ落ちた者達の寄り合いになっているが、将来的には正常な福祉に転換できるかもしれない。そう考えると、本当の意味での浄財、寄付くらいはしてみるのも悪くないが。
「しかしまあ、俺もろくでもない生き方はしてるけど、お前も大概だな。禄州人なんて、都市同盟全体でも数えるほどしかいないって聞くぜ。それだけでも偏見ひどいだろうに、その体ときてる。色々しんどかっただろ」
「ご冗談を」
カイラルは純粋に労りの言葉をかけたつもりだったが、エスハは一笑に付した。
「私に大きく欠けたものがあるのは理解しています。侮蔑の目を向けられたことだって、百は確実、千も超えるか。ですがね、自分が『真っ当な人』に劣っていると思ったことは一度だってありません。むしろ彼らこそが、私達によって搾取されるために存在していると信じていますので」
「……やっぱ俺、お前のこと嫌いだわ」
「結構、結構です。まあ、仕事の依頼はともかく、私の顔は覚えておいてくださいまし。カダル老は復興を諦めるおつもりはないご様子、我々の出番も増えることでしょう。何とか立派な街をおっ建てて、餌に繁殖してもらいたいものですね。――そう」
エスハは槍を振り回し、切っ先を天井に突き立てて言った。天下に宣言するかのように。
「ただただ真っ当であることだけが取り柄の有象無象ごとき、我ら片翼の徒がしゃぶりつくしてさしあげましょう」