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契約は血の色で・上(12)

 五人は改めて一つのテーブルを囲んだ。


 もう十分ばかり、一言として発する者はいない。仕切り直しということで飲み物を運ばせたが、口にできる雰囲気ではなかった。エスハだけは涼しい顔で、湯気を立てる緑色の液体をすすっている。そんな彼女を、カイラルは眉間にしわを寄せて睨んでいる。


 どうにか命だけは拾った男の姿は、すでに店の中には見えなかった。相手をしていた老人と、バーテンダーが呼んだ人数に連れて行かれたのだ。適当なところに捨ててこさせるだけだと、エスハは笑っていた。他の客も皆帰ってしまい、店にいるのは五人とバーテンダー、女給だけだった。


「叩き出そうとした俺が言うのも何だけど、よかったのか? 話の途中だったんだろ」


 口火を切ったのはカイラルだった。本題に入る前に、尻切れトンボになっていた問題を片付けておこうというのである。


「構わないよ。あの人から交渉を切ったようなものだから」


 レイチェルは、もう終わった話とばかりに、髪をいじりながら言った。


「あの男、ファンをこじらせてストーカー一歩手前になっててね。最初にグラムベルクでライブをやった時、一目で私に惚れたらしくてさ。仕事も何もかも捨ててこの街に来て、日雇いの肉体労働とかやって暮らしてたんだって。夜は仕事仲間のアパートに転がり込んだり、最悪軒下で寝てたみたい」

「……よく警備の連中に捕まらなかったな」

「実際ドヤされたことはあったみたいだよ。でも家賃すら渋って家は借りないし、稼いだ金はほとんど私に貢ぐし、将来どうするのかなって思ってた矢先に、この前の騒ぎってわけ。復興は当分中止で仕事もなくなって、途方に暮れて私を頼ってきたの。一応復興の手伝いはしてくれたわけだし、就職の口利きくらいはしてあげていいかなと思った。だけど正直身の危険も感じてたから、交渉がこじれたらここの人達に叩きのめしてもらうつもりだったのよ」

「ならいいけどな。危ない目に遭ってたんなら、俺なりキエルなりに言えよ。ああいう手合いはぶん殴るだけじゃ止まらねえぞ。かえって悪質になりかねないからな。実際、お前に逆ギレしたじゃねえか」

「ごめん。……でも多分、もう大丈夫だと思うから」


 そこについては同意できた。あの男はもう、あらゆる意味で再起不能だろう。彼のちっぽけな自尊心は、鼻と一緒に粉砕された。骨の髄まで恐怖を染み込まされて、異国の怪僧の影に怯えながら生きていくしかないのだ。


 恐るべきは、その尼僧に率いられた連中である。誇りを重んじる文化はハーウェイ・カルテルにも存在するが、あそこまではやらない。報復は即ち示威行為であって、感情の処理を目的にはしていない。だが、ここの連中は違う。同胞が侮辱されたという、ただそれだけの理由で堅気を殺しうる。怒りと憎しみのすべてを、敵対者の肉に擦り込んでよしとする。あまりにも短気で、浅慮で、しかし何よりも強い絆で結ばれた集団。あのカダル=ハーウェイが、自身の勢力下で治外法権を認めたほどの侠客――。


「お話はすみましたか」


 湯呑みを置き、では、とエスハが言う。


「改めまして、ご両人。エスハ=シューレと申します。生まれは北の禄峰、今は故あって同胞を束ね、都市同盟で手広く商売をしています。カダル老とも懇意にさせていただいておりまして、復興連盟やハーウェイ・カルテルの仕事もお受けしています」

「うちの会社からもね」

「そうですねナクト」

「お前ら、随分仲良さそうだけど、知り合いか?」

「彼とは旧知の仲でして。その縁でミンツァー社長からも度々お仕事を」

「さらっと言ってんじゃねえよ」


 エスハとナクトを交互に指差して、カイラルは詰め寄った。


「キエルの代わりのはずなのに、ミンツァーともつながりがある人間が同行するのはおかしいじゃねえか。そういうことなら助けは断る」

「なるほど、ごもっともです。しかしご心配には及びません。私の行動原理はこれですので」


 エスハは指で丸を作ってみせた。包み隠そうともせず、お金です、とのたまうのである。


「浄財がすべてです。それ以外に動く理由はありません。お得意様の場合ですと、多少は義理も立てますし、おまけもさせていただきますが……働きは報酬の多寡次第ということで。その点、今回は背中に気をつける必要はありません。報酬はカダル老から過分にいただいております。どうか存分に、この盲の女を使い潰してくださいませ」


 糞坊主め、とカイラルは内心舌打ちした。なおも訝しげな彼を前に、エスハは語る。


「先程のいざこざにしてもそうですがね。私達少数弱者が生き延びるには、所詮、徒党を組んで力を得るしかないのです。片翼の鳥の合力です。カダル老はそんな私達を買ってくださり、様々な特権も認めてくださいました。おかげで金貸しやら何やらで結構な利潤を出せていますし、同胞を養え、この店のような城も持てているわけです。感謝こそすれ、弓を引くような真似はしたくない。……それに、特権があるといっても、無作法に好き勝手やっているわけではありません。高利でお金を貸すのにも、表に出ない仕事を斡旋するのにも、暴力を振るうにも条件があります。つまりは掟です。それで自らを律しているからこそ周りも信用してくれるのです。気の向くまま暴れるだけの畜生と同じにしてほしくはありませんね」

「堅気を半殺しにするのも掟の内か」

「同胞の汚名は一命に替えても濯ぐこと。泥を浴びせた者には地を這わせること。それが私達の根底にある意識ですので」


 カイラルは腕を組んだ。エスハの思考は理解できたが、本当の意味で背中を預けるに足る相手なのか。報酬のことは信じてもいい。裏切りはすまい。しかし、反りが合わないのはどうしようもない。この澄ました顔の尼僧は、根本的な価値観が著しくずれていて、組み合おうにも組み合えないのである。


 セリアにも意見を求めようか。そう思った時、意外にも向こうから声がかかった。


「私は彼女を信じようと思います」

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