表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/124

ある商人の記録・1

 話はそこで区切られた。商人が我に返ったのは、十数秒も経ってからだったろう。


 昔から物語は好きな方だったが、それを抜きにしても、時間の経過を忘れるほどに引き込まれていた。これは恐らく、彼女の語りの巧みさにあると思われた。彼女はこちらを見て微笑しつつ、湯飲みに溜まった緑色の液体をすすっている。しばし休憩というところか。


 商人は、そもそも彼女の語りを聞くに至った事情を思い返していた。



 商人は人を探していた。この街を取り仕切っている非合法組織、その援助を受けるために、組織の人間もしくは仲介者を求めていたのである。できればこのようなことはしたくなかったが、この街で生きていくにはそれが最善の方法だと教わった。心配なのは上納金だが、それについては何とか交渉するしかあるまい。


 意外にも、接触の機会はすぐにやってきた。街を牛耳っている最大勢力、その傘下に位置するとあるグループなら、話のわかる人が多いと耳に挟んだ。若者ばかりの小規模な組織なのだが、リーダーが親組織の総代の縁者、それもかなりのやり手とかで、結構な幅を利かせているらしい。これを逃す手はないと思った。


 探し回った結果、組織の営業担当だという人物に出会えた。露天商が「その人だよ」と言うので、指差された方向に目をやると、一人の女性が子供たちに囲まれ、何やら話をしていた。その女性も十分少女と言えるような外見で、顔にはまだあどけなさが残っている。


 しかし何より、その服装が気になった。女性はやけに袖口の広い、見慣れぬ形状の服を着た上に、胸から股にかけて覆う布を肩に引っ掛けている。確か、遥か北に住む民族が着ている服だったはずだが、今までに見たものとも印象が違う。店主が言うには、あれはその地方の僧服なのだそうだ。つまり彼女は僧ということか。若いのに大変なことだ、と素直に驚いた。


「気を悪くさせないように」と露天商に忠告され、恐る恐る女性に近づいてみると、彼女はこちらに気づいた様子で振り向いた。適当に話を切り上げて子供たちを散らせると、女性はお待たせしましたと言って立ち上がった。こちらこそお邪魔してすみませんと答えた。


 商人はそこで初めて、彼女が盲目だと気づいた。彼女はずっと目を閉じたままだったからだ。


 立ち話もなんですからと、女性は商人を酒場へと誘った。


 彼女は先端が袋に包まれた棒状の物体を持っていた。それは白く塗られていたが、盲人の持つ白杖ではないことは一目でわかった。その物体はあまりに長く、女性の身長を大きく上回っていたからである。何より彼女は、勝手知ったるとばかりに人ごみの中をすいすいと抜けてゆく。杖の助けなど必要としていないのだ。土地に明るくない分、下手をすると商人の方が巻かれてしまいそうである。


 どうにか酒場にたどり着いた時には、商人は少し汗をかいていた。女性の背中に続いて扉を潜ると、薄明かりの中で静かな音楽が流れる落ち着いた空間があった。人と待ち合わせるにはちょうどよさそうな場所である。


 商人は冷たい酒を頼んだ。初老のバーテンダーがグラスの用意をする。商人はその動きに違和感を得、その理由に気付いてまたしても驚いた。バーテンダーの左腕は、義手であったのだ。かつてこの街を襲った惨劇で失ったという。


 後でわかったことだが、彼女はこの街に住まう障害者達の顔役でもあったらしい。


 商人は仕事の話を切り出した。近々この街に店を持ちたいと思っているのだが、見ず知らずの土地であるし、何より治安が気になる。あなた方の傘下に入れば身の安全は保障されると伺ったのだが、どうなのだろうか。


「確かにこの街は、以前に比べれば改善傾向にあるとはいえ、危険に満ちています。何故そのような場所で商売などをなさろうと」


 商人は語る。自分はこの街の生まれであること。父も同じ商売で家族を養っていたこと。十数年前の惨劇で父を失い、駅二つ先まで引っ越したこと。その街に店を構え、どうにか一人で食べていけるまでにはなったこと。そして、自分は今でもこの街に親しみを持っているのだということを。


「つまり、お父上の眠る街で、再び生きてゆきたいと」


 笑みを浮かべる商人。相手の表情で、どうやら話を受けてもらえそうだとわかった。続いて金銭的な話に移ろうとすると、女性がいたずらっ子のような表情を浮かべた。


「本来なら契約金として、この場でいくらか納めていただくのですが、実は納めなくて済む方法があるんですよ」


 商人は身を乗り出した。そこらの八百屋ではあるまいし、まさか向こうから値を下げてくれるとは。あまりにも庶民派なアウトローだ。


 その代わり、無理難題を吹っかけられるのではないかと危惧もしたが、その心配は無用だった。ただ、おかしな提案であるという点は当たっていた。


「私は語り部、物語士としての顔も持っておりまして。古い民話などを市井で語って、道行く人々に聞いていただくのです。そうやって、古いお話を後世に残してゆくわけですね」


 ふむふむ、と頷く商人。


「その中でも、つい最近になって作られた、非常に新しい物語があります。実は私も編纂に関わっているのです。ところがこれ、できたばかりであるためか、知名度が低いのです。おまけに大変な長編でもありますから、語って広めようにも敬遠されてしまうのですよ。私としては大いに布教したいのに。……もうおわかりになりましたね。契約金を払わずに済む方法とは、このお話を聞いていただくことです。無論、最後まで」


 少し戸惑ったが、商人は承諾した。話を聞くだけで金を取られずに済むのなら、受けない道理はない。ただでさえ、引越しの費用やら何やらで金が入り用なのだ。


 して、その物語とは、どれほどの長さなのか。


「休みなしに丸一日語れば終わるかもしれませんが、それではお互いに持たないでしょう。ですので、分割払いということにいたします。こちらの空き時間をお教えしますので、いつでも都合のよい時にいらしてください。何日でも、何ヶ月かかっても、最後まで聞いていただければ結構です。ん? ああ、契約は直ちに履行させていただきますよ。ご安心下さい」


 商人はその場で契約を交わし、物語は始められた。



 それが小一時間ほど前のやり取り。


 そして今しがた語られたのが、その物語の序章というわけだ。


「いきなり長々と、違うセカイのお話をして申し訳ありません。さぞやお聞き苦しかったことでしょう。……しかし、これでもまだ序幕なのです。次に切りのいいところまで語り終えるにも、相当の時間を要します。続きをお聞きになりますか?」


 商人は一も二もなく頷いた。疲れはあったが、もう少し長く、彼女の語る世界に浸かっていたかった。彼女と世界を共有したかった。


 女性の顔に笑みが浮かぶ。


「承りました。続けるとしましょう。お疲れになったら仰って下さい。いつでもやめにいたします。……まあそれでも、序幕に比べればいくらか聞き易いはずです。次の舞台は少々時間を遡り、セカイを移りまして、ここ――リバーブルグから始まりますので」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ