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契約は血の色で・上(1)

『クソワロタwwwwwwwwww』


 抱腹絶倒を表す言葉を真顔でコメント欄に書き込む。他人のアップロードした動画に対するものだが、実際には言うほど笑っていない。頬杖をつきながら適当に動画を選んで見ていたら、ぷっと吹いてしまった程度である。ちなみにwは(笑)と同じ意味合いであり、これを書き込むことを『草を生やす』などと言うそうな。


 詠子は朝から炬燵に潜り込み、ノート型端末に向かっていた。窓の外では雪が降り続いている。部屋の中で細かな音が聞こえる意外は、ほとんど無音のセカイである。ここの温泉が目当てで、しばらく前から逗留しているのだ。しかし、今はのんびり湯治を楽しめる状況ではなくなってしまった。


 書き込んだのと同じようなコメントが流れていく。そして動画とは逆に、詠子の表情は憎々しげに歪む。


「あの阿呆が……」

「この前からずっと愚痴ってますね」


 横で茶を淹れていた筆頭女官が呆れ顔で言った。床に転がって本を読んでいる女官や、壁に寄りかかって携帯端末をいじっている女官は、もう聞き飽きたのか反応も示さない。


 先日の障壁崩壊騒ぎが一段落してからも、マリアナに対する苛立ちはつのるばかりだった。今に始まったことではない。詠子とマリアナは、異国の学び舎にいた頃から反りが合わなかった。あの魔女は、表面的には気弱で鈍く頼りない女だ。しかし裏に回れば極めて打算的で、他者を利用し出し抜くことしか考えていない。詠子にとっては最も嫌いな部類の生き物なのである。


 結局あの会議で、マリアナにはお咎めなしと決まった。意図的に崩壊を引き起こしたという証拠がなかったのは確かだが、ディオンの提案に乗った以上、発端であるマリアナを責めるわけにはいかなくなったのだ。起こってしまったものは仕方がない、今はそれをどう利用するかだ、と。


 わかっている。あの騒ぎは意趣返しなのだ。あの日、マリアナの不手際を散々になじった自分への。憤りは収まらなかったが、詠子はマリアナの追求をやめた。フォルスは否定していたものの、一抹の不安はあったのだ。もしかすると、自分の障壁制御が不十分だっために、あの女の思い通りに事が運んだのではないか。そんな疑いをどうしても排除できずにいる。


「えーしっちゃんはさー、考えすぎなんですよ。結局あの巨乳魔女がルール無視しやがっただけなんでしょー? 腹立つのはわかるけどさー、今更手遅れじゃん」


 薄っぺらい漫画本を読んでいた女官がへらへらと笑う。黙って歩み寄った詠子は、急須の中身を女官の本にぶちまけた。


「ああああああああ一時間並んで買ったのにいいいいいいいい」

「うっさいなあ……」


 携帯端末でゲームをやっていた女官がぼそりと言った。詠子は空になった急須を投げつけたが、特殊合金製の端末には刃が立たず、叩き割られた。


「詠子様。久々にのんびり温泉につかってきてはいかがですか。そのためにここにとどまっているのですから。画面とにらめっこしているだけなら、御所にお戻りになった方がよろしいかと」


 筆頭女官に言われた詠子は、無言で頷きはしたが、立ち上がろうとはしなかった。漆塗り螺鈿飾りのノート型端末を操作すると、動画は消えて、黒い背景に無数の文字が表示された。文字は次々と別のものに変化している。


 これが閉塞世界へのクラッキングだと理解できる者は少ないだろう。ここ数日、ずっとプログラムを走らせて――つまりは詠子自身の精密なるセカイ法によって――記録(ログ)への干渉を試みているのだ。死の閉塞力を司り、閉塞世界の警察的な役割を担う詠子だからこそ成せる技だった。デバッグや不具合箇所の強制停止など、何度繰り返してきたことか。


 すべてはマリアナに対する疑念から来ている。あの障壁崩壊が彼女の意図によるものならば、まだ何か隠匿していることがないとも限らない。そうでなくとも、あんなイレギュラーな物語を野放しにしておくことなどできなかった。だからせめて、件の娘が行く先で何が起きているのか、それだけでも把握しようとしているのである。


 クラッキングは慎重を期した。ただ鍵を開けるだけではない。その事実が明るみに出ないようにしなければならないのだ。それは詠子しか道順を知らない迷路を構築するに等しい。あくまでも管理上必要だと言い張れるレベルで扉を作り、天井裏を抜け、壁の隙間から記録を盗み見る、そんな気の遠くなるような行為だ。


 故に、終わりが予測できるわけでもなければ、画面の前にいたからといって動作が加速するわけでもない。時々探り方に手を加えてはいるものの、基本的には結果を待つだけだ。実際、先程は動画を見ていたわけで。


 言われた通り、温泉で頭を休めようかと思い始めた時である。


 画面の動きが止まり、効果音とともに『完了』の文字が表示された。


「来た……!」


 詠子が小さな叫びを上げると、他の三人も慌てて集まってきた。画面には、大雑把な世界観や、登場人物の個人情報、彼らの行動などが表示されている。成功だ。あまり深くは潜り込めていないかもしれないが、これだけわかれば十分にすぎる。


「このセリア=カルタオグアってのがあの魔女の子孫なわけ? うーん、聞きしに勝るステータスの低さ……だけど潜在能力死ぬほど高けーなおい。どんな化け物になんのよ」

「生き残ればね……そう簡単にいくとは思えない」

「その下の少年が【セカイの中心】ということですか?」

「そう。名前はカイラル=ヴェ――」


 少年の姓を確認して、詠子は目を見開いた。


 それが何を意味するのかはすぐにわかった。しかし、あまりにも信じ難い。可能性としてなくはないが、まったく頭から消えていたことだ。ただの偶然にしておきたい思いが頭をよぎる。女官達は畏れおののいて声も出ない。ここのところやる気を失っていた主の顔が、冥府の女皇のそれに戻っていたのだから。


 ぎり、と拳が握られる。それを画面に叩き込んでやりたい衝動をすんでのところで我慢すると、詠子は部屋を飛び出そうとした。女官達が驚いて止めにかかる。


「えーしっちゃん待って! 待ってって!」

「離せ! 会議で訴えてあの女の権限全部凍結してやる!」

「そこで剥奪ではなく凍結と言えるだけ、流石のバランス感覚ですけれど。情報の出どころをどう説明するのです?」

「のぞき見したことバレるよ……100%」

「ぐ……う」


 千年前に袂を分かち、壁の中に置き去りにした連中の血脈が残されていて、しかも【セカイの中心】として選ばれているなど。あってはならないことだった。問題はそれだけではない。マリアナの話だと、セリア=カルタオグアが『向こうのセカイ』に移動したことは、壁を修復する直前にしっかりと確認している。記録と照らし合わせる限り、あの少年の情報をつかんでいた可能性もあるのではないか。それを報告しなかったのであれば、重大な背信行為である。


「畜生めっ!」


 詠子は怒りに任せて壁を殴った。やはりあの女は信用ならない。今のうちに対策を打っておかないと、好き放題にされてしまう。だが自分も不正を働いた以上、他の連中の手は借りられない。ならば。


「詠子様?」

「全員作業準備」


 詠子は改めて端末に向かうと、ものすごい勢いでキーボードを叩き始めた。他の三人も慌てて炬燵を囲み、湯のみやら蜜柑やらをどかして端末を並べた。どこか間の抜けた様子とはあまりにもずれた、死の気配が立ち込めている。


「こうなったらこっちも手段は問わないのだわ。あの女の脚本をぶち壊してくれる」


 屋根に積もった雪が、音を立てて落ちた。

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