運命の選択
少し時間が経った頃、風が穏やかになった。通常の風速と共に、においが届く。
焦げくさいような、生臭いような、少くともいいにおいとは言えなかった。
風に遅れて、だんだんと赤い霧も晴れてきた。
あれは……。
狼男達の死体があるはずの場所には、動物とも人間とも言い難い、頭や腕や、大小の肉片が、散らばっていた。
中にはまだ煙の出ているものもある。
この臭い――、吐き気が。
手で口を塞ぐ。
しかし、激しい動悸が体を襲う。
体中が拒絶している。
この状況を受け入れようとしていない。
「これが……本当のかませ犬ってやつか?」
そう呟きながら、金髪少年は霧が収まったばかりの場所まで進む。
そして、足元にあった、焼け焦げ、まだ煙が消えていない肉片を、煙草の火を消すように踏みつぶした。
それは、パリッという音と共に粉々になった。
粉となったそれは、緩やかな風に乗り、運ばれていく。
「……そこまでする必要があったの?」
「お前が襲われた。俺が侮辱された。俺達を殺す気だった。十分な理由だ」
「それでも……殺すって……。しかも、あんなやり方で……」
狼男の、恐怖に満ちていた最後の顔、最後の言葉……。
それがずっと頭の中でリピート再生されている。
「殺さなかったら、俺はともかく、お前が殺されていた。それでもよかったのか?」
「それは……」
言葉が詰まる。
私が死んでいた……。
あんなに望んでいた出来事だ。
でも、あの時…。
殺されるという感覚を感じた時から、全くその感情が芽生えてこない。
やっぱり、私は……
「深く考えんな、楓。あいつらは、俺が殺したんだ。お前は傍観者だ。結果、お前が生きて、あいつらは死んだ。それだけだ」
生きる……死ぬ……。
分からない……。
「楓? 聞いてるのか?」
金髪少年はこちらへ戻ってくる。
意識したわけではない。
本当に無意識だ。
私は金髪少年の歩みに合わせて退いていた。
「……楓?」
「あなたは……あなたは、何者なの? ……何で私を知ってるの?」
本心は恐怖だけだった。
一度も会ってないのに私の名前を知っている金髪の少年。
人を殺す少年……。
「俺は少なくとも、お前の味方だ」
少年は緑色の瞳でこちらを真っ直ぐに見つめてきた。
味方…自分の手助けをしてくれる人につける言葉。
その言葉を聞いた時点で、本来は安心しないといけない、信用しないといけない。
でも、今は、そういう気持ちにはなれない。
「何、眉間に皺寄せてんだ? 俺は何もしないぞ? ああ、そういえば、一方的に見ただけでまだ自己紹介してなかったな」
一方的? どこから見ていたの……?
「俺は、精霊族 近人種 妖精、アウルム・バン・アルヘイルだ」
アウルム……。
やっぱり、聞き覚えがない。
第一に、外国人さえ知り合いがいないのに、妖精に知り合いがいるはずがない。
「自己紹介も終わったし、行くぞ、楓」
その声で考えは打ち切られた。
……行く?
「行くって……どこに?」
「お前にこの世界の諸事情を色々と教えてくれるやつの所にだよ」
……はい?
アウルムは、当たり前だろと言わんばかりの顔で当たり前のように言ってきた。
「さあ、さっさと行くぞ。日が暮れる」
そう言い、アウルムは獣道らしき小道へと向かうが、私の足は止まったままだった。
「何してんだ? 早く来い」
アウルムが手招きをするが、私は動かない。
仕方がない疑心しか生まれなかったのだから……。
「来いって……あなたもゼウスさん達と同じなの?」
「ん? 何言ってんだ? 俺はあいつらとは違う」
「違うって……一緒よ!一方的に自己紹介して! 私は分からないままで、ついて来い、ついて来いって……もういやよ! 訳が分からないのは!」
眉間を寄せ、アウルムを睨みつける。
目頭が熱を帯びてくるのが分かる。
……こんなに怒る気はなかった。
でも、頭の中を整理出来なかった
私はただ、このもやもやを消して欲しいだけなのに……。
「……ぷっ、ハハハハ」
アウルムは突然お腹を抱え笑いだした。
「な、何なのよ!」
「い、いや、すまん。お前、ゼウスから何も聞かされていないのにここに来たって……ふふ、ハハハハ」
こいつ……なんなの?
睨みつけるがまだ笑っている。
ほんと…何なのよ……
しばらく経ち、笑いが収まる
「はぁ、はぁ……。楓……お前ほんとに面白い」
「何なのよ!」
……訳がわからない。
訳が分からないが、自分の顔が火照っているのは分かった。
……何で笑うのよ。
「楓…」
「なに!」
「ここは異世界だ」
……はい?
もう一度…。
「今、何て言った……?」
「ここは、お前の世界じゃないって言ったんだ。異世界て言う言葉もしらないのか?」
……異世界と言う言葉は、言われなくてもちゃんと知っている。
ファンタジーとかであるあれだ。
魔法や剣が出てくる映画や小説の世界だ。
現実にあるはずない。
でも、夢の中っていう感じもない。
あの匂いも本物だった……
でも、あるの? こんなことって……第一に私は居間で――失敗したはずだ……。
だから、天国ではない、と言って地獄でもない…そんでもって異世界って……。
「まだ状況が飲み込めないか?」
……飲み込めるはずもない。
でも、魔法、獣、神と名乗る人……異世界……。
…異世界だとしよう。
それなら、今までのことは少しは納得がいく。
でも納得がどうしても行かない点がある。
どうして…
「どうして、私はここに来たの?」
「え? ああ、お前一回死にかけただろ?」
「……うん」
「だからだ」
間が空く。
……はい?
会話的にはおかしくな……いや、おかしい。
「それ、どういうこと?」
「ここはディサイド・フェイト・ワールド。お前の運命を決める場所だ」
うん……めい?
運命共同体、運命の人……
運命がつく言葉は知ってるが、実際言葉にしてみると、いまいちピンとこない。
訳が分からない。
「お前は、お前の世界にとって大事な運命を司っている。でも、死にかけた。いや、あっちでは今頃行方不明になってるはずだ。」
「……言ってる事が訳わかんないんだけど」
理解不能の一言。
地球にとっての大事な運命……?
私が?
「要するに、お前みたいな、将来世界を変えるような運命を持っている奴が、事故や、唐突に起こった自殺など、望まれていない死が起こった時にここに来る」
「だから! 私が! 私なんかが世界を変えられる訳ないよ!」
「知らないだけだ。お前はちゃんと持っている。心表石もあるだろ?」
……しんぴょうせき?
どこかで聞いたような……。
石……?
「宝石っぽいやつだ。ゼウス達に会う前にどこかで見ただろ?」
宝石? もしかして……?
「……心当たりがあるみたいだな。それなら早い。そこを動くなよ?」
そう言い、アウルムは私の後ろへ回り込む。
そして、
「ちょ、ちょっと!な、何するのよ!」
「動くな!」
後ろから手を回し、私の両腕を掴んできた。
背が低いから声が首筋から聞こえる。
「腕の力、抜けよ」
体と体が零距離接する。
……な、何考えてんのよ! 私!
そう考えても、顔が熱いのは確かだった。
アウルムに腕の自由を任せた結果、胸の前で少し大きめの球体を抱えたような状態になった。
「な、何なのよ。これ?」
「いいから黙って目閉じろ」
一応、言われた通りにする。
ほんとなんなのよ……。
“「見た宝石を想像するんだ…色…形…全て鮮明にだ」”
…暗闇の中に、宝石が形成されていく。
透明で…ため息が出るほど綺麗に加工されていて…見ていると中に吸い込まれるような……。
“「目を、開けてみるんだ」”
脳裏に映し出された宝石が消える。
しかし、その宝石は私の目の前に浮かんでいた。
引き寄せられるように手に取る。
居間で触った時よりも、不思議と手に馴染んでくる。
それに、なぜかこの石を持っているだけで、安心感が得られた。
「これが心表石……」
「そうだ。これがお前の心表石だ。心表石の大きさはお前の運命に比例する。お前は大きな運命を背負っている」
運命、世界、心表石……いくつもの単語が頭の中を駆け巡る。
すごくこの場から去りたい、逃げたい。
でも、ここ…今起こっているのは現実。
間違いなく現実だ。
そう思えば、私は現実から逃げてきた。
アウルムが言った言葉は、本当かどうか、分からない。
でも、多分…多分、一歩前には進めるはずだ。
それが、アウルムが言う、私の持つ運命ならば……。
「アウルム……私――」
「楓」
私の名前が呼ばれる。
アウルムは私の目を真っ直ぐに見て、言った。
「俺についてきてくれるか?」
同じ言葉だった。
ゼウスさんやクロノスさんと同じ言葉だったが、明らかに違った。
「……うん」
心から出たその言葉で、私は笑っていた。
「それじゃあ日が暮れないうちに行くか!」
笑みと共に、金髪は走り出していた。
「ちょっと! レディファーストでしょ!」
私もそのあとを小走り追いかけた。
自然と出る笑いが止まらなかった。
とにかく、私は、アウルムが言った運命というものに、少し従うことにした。
↓間話「アウルム」
http://ncode.syosetu.com/n9073br/1/
別に読まなくても、ストーリーにあまり支障はありませんが、読むと、より世界観が深まる(はず)です。