暗夜の森
――ジリリリリリリ――
目覚ましのベルも、
――コケコッコー! ――
鶏の鳴き声もないが、
「う~ん」
朝になり、ちゃんと起床する。
一応、朝は強い方だ。
一伸びした後、布団から出る。
隣のベッドではアウルが寝ている。
ここに来てから、私がアウルに起こされた事はない。
本当にアウルはよく寝る。
「起きろー!」
そう言い、布団を剥ぎ取る。
アウルは枕を抱き、猫のように体を丸める。
籠城戦を決め込むようだ。
それならこちらも徹底抗戦だ。
「お・き・ろー!」
アウルの顔の近くでベッドを手で叩く。
その伝わる振動でアウルの顔が揺れる。
でも起きない。
叩く速度を速める。
マグニチュード6ぐらいだ。
不快指数が高まり、アウルの眉がだんだん寄ってきた。
もう一息だ。
さらに速度を速める
「うるせー!」
マグニチュード8ぐらいに差し掛かった時ぐらいでやっとアウルは起きた。
制圧!
5勝0敗負けなしだ。
「あーもう。もう少し寝させろよ」
「もう朝だよ?」
アウルは頭を頭を掻きながら言う。
どれだけ寝たいのよ……。
「まあ、起きたからには飯だ。飯、飯」
切り替えは早い。
けど、食うか、寝るか……これは肥るな……。
◇
朝ご飯の後は、アウルと稽古。
厳正さんはやはり森へ行った。
稽古内容は、柔軟、素振り、それに今日から正式に緑人との模擬戦が入った。
と言っても、明日が厳正さんとの約束の日なのだが……。
アウルは、昨日負けた事も考慮しているようで、なかなか隙を見せなかった。
なので緑人との対戦結果は1勝2敗。
……負け越した。
と、そこで昼になったので昼食を取ることにした。
そして、ハニーバターのサンドイッチを食べている時だった。
「楓。午後からは一人稽古していてくれ」
「ん…? いいけどなんで?」
「森へ……行ってくる」
アウルは気まずそうに言った。
また、森だ。
厳正さんに加え、アウルも森の虜にされたらしい。
やっぱり妖精だからかな?
そんなどうでもいい考察は置いといて、確か、厳正さんはともかく、アウルが森へ行きだしたのはきっかけがあったはずだ。
……私が、厳正さんとの約束をアウルに言ってから…?
なんでだろう?
やっぱり怒っているのかな?
でも、夕食の時の様子は変わらないし……。
もしかして、私を倒す計画…!
いや……ないな。
なんだろう?
「再三言うが、森へは入るなよ」
それだけ言い、アウルは森へ向かった。
今からずっと素振りか…なんか味気ないな。
昼食の後片付けをし、もう一度、家の前へ出る。
とりあえず、薙刀を出した。
……森へ向かうな……か。
アウル達が向かった森は家の裏に入り口がある。
心表を教えて貰った初日は、家の周りにある畑で厳正さんは仕事していたのだが、二日目からは畑へ行くと言って森へ行っている。
なので、森の中に畑があるのかもしれないが、真実は謎だ。
まあ、それも気になるのだが、他にもアウルが言った狂獣にもちょっぴり興味がある。
だから、正直森に行ってみたい。
うう……、どうしよう。
森……行くか……行かないか……。
頭の中で悪魔と天使が激しい巴戦をする。
しかし、気づくとそこは森の入り口だった。
……悪魔が圧勝したようだ。
……私も強くなったのよ! 狂獣の一匹、二匹ぐらい…!
正当化論を頭の中で仕上げ、私は約束を破って、ついに森へと入った。
◇
……やっぱり止めた方が良かったかな……。
森へ入ってから約15分。
出た答えはそれだった。
とにかく暗い。
アウルから、説明で黒い葉と言うことは聞いていたし、暗夜という単語からも暗いのは予想できていたが、ここは予想を遙かに上回った。
木炭のような幹、墨汁で浸したような葉。
太陽はまだ頭の上にあるはずなのに、周りに生えるその木のせいで、全く日光が射さない。
それに、黒土以上に黒い地面は、気持ち悪いぐらいに湿っており、歩く度、地面が足に纏わりつくような感覚に襲われる。
それに、人口密度が高い所にいるように空気が重いのに、辺りからは物音一つ聞こえない。
それに、……もうよそう。
上げだしたらきりがない……。
それからしばらく歩くと、一瞬匂いがした。
これは……血…?
匂いを認識した時だった。
――グチャ… グチャ…――
微かだが、音が聞こえる。
その方向へゆっくり向かう。
すると、だんだん匂いも強くなっていく。
――グチャッ グチャッ――
……倒木の隙間から正体が見えた。
それは食事中だった。
何か分からないが獣の死肉だ。
そして、それを食べている獣を私は見たことがなかった。
……確かに、体つきは狼と分かる。
しかしその口元からは、取って付けたように、サーベルタイガーのような、牙が二本伸びている。
それに、体から生える体毛も、従来の狼とはかけ離れたように、紫色の毛を持っていた。
これが……狂獣…!
幸いにも、青白く光る目はこちらじゃなく、死肉に夢中だ。
これは戦わない方がいい。
早くこの場から立ち去っ――
――パキッ――
乾いた音。
自分の足下を見る。
折れた木の枝。
……ドジった。
恐る恐る、牙狼の方を向く。
青い目がこちらを見ている。
「あっ、え~と……。こ、こんにちは」
「……」
動か……ない?
まさか、私の驚異的なコミ力が…
「ガァ!」
「い、いやぁぁぁ~!」
牙狼は牙を剥き出しにし……て、現実剥き出しているが、そんなことはどうでもいい!
体を180度旋回し、ダッシュ。
兎にも角にもダッシュ。
やっぱりコミュニケーション力なんてなかった。
第一、狂獣とコミュニケーションがとれるのかも微妙だが、これまたどうでもいい。
今は、体の全ての細胞を走る力に費やすのが先だ。
走りながら後ろを見る。
幸運なことに牙狼の足は遅かった。
しかし、遅いと言っても、私と同じぐらい。
しかし、さっきより距離は開いている。
よし! このままなんとか振り切っ――
――ズサーッ――
……私は地面に寝そべった訳じゃない。
かと言って、ヘッドスライディングをしたかった訳でもない。
盛大に転けただけだ。
……や、やばいっ!
這いつくばったまま、今まで走ってきた方を向く。
牙狼がすぐそこまで迫っている。
今から立ち上がって逃げたとしても恐らく、捕まる。
捕まった最後、餌になるのは確定事項だ。
なら残された選択肢は……
「心表!」
立ち上がり、薙刀を、迫ってくる牙狼に向かって中段で構える。
相手は緑人より的が小さいし、速い。
でも恐らく、相手は噛み付く、引っ掻くなどの零距離戦しか出来ないはずだ。
その間合いにさえ入られなければ……。
全意識を牙狼の動きへ集中させる。
「ガァァァァ!」
牙狼の跳躍。
口を大きく開け、露わになった鋭い歯……。
見えた…!
それを確認すると同時に、身を正面にし、薙刀を持ったまま両手を突き出す。
薙刀の柄に牙狼の顔が吸い込まれていく。
そして薄目の視界の中、骨と骨がこすり合わさるようなそんな音がした。
持っている薙刀から全身に力が伝わり、恐る恐る薄目を開ける。
荒い鼻息、両手に伝わる歯ぎしり、血走る青い目。
牙狼は私の目の前にいた。
なんとか…成功……。
牙狼の牙は現在、柄に夢中、前足は宙ぶらりんの状態だ。
必死に前足で私を引っ掻こうとするが、少し長さが足りない。
顔を左右に振って噛んでる柄を抜こうとするが、 上犬歯の奥に柄が入ってしまっているため、抜こうにも抜けない。
無防備状態でチャンスだが、私の唯一の攻撃手段が相手と同化している今、正直何もできない。
結果、一時停戦だ
それにしても、凄い力だ。
上半身が空中の状態なのに、少しでも気を抜くと押し倒されそうだ。
なんで、昔の神様はこんな怪物作ったんだろう…?
外見二の次のペットって……。
もしかして、案外神様も創造センスないのかな?
私なら、もっとこう、モフモフの毛皮で……
考えが脱線に入った時だった。
急に押す力が消え、逆に牙狼の方へ引っ張られる。
「……!」
突然の引きを耐え見ると、牙狼は後ろ足だけで無理に、後ろへ跳躍しようとしていた。
……なんで? なんで?
謎の行動の理由を探すため、牙狼へ再度意識を向ける。
そして、探し始めた時だった。
ミシミシと軋む音が微かに聞こえた。
それは牙狼が体を引く度に聞こえ、次第に大きくなっていく。
……どこ?
引く度に、体を持って行かれないように後ろへ重心をかけながら、耳を澄ます。
そして三度目の引き、その音の根元が口元と分かった時だった。
バキッ! という音と共に、二つの物が宙を舞った。
一つは薙刀、もう一つはつっかえ棒となっていた牙狼の牙だった。
…っ!
万歳状態になりながら、しりもちを付く。
お尻に痛みが走ったが、さすっている場合ではない。
すぐに状況を確認する。
片牙を失った牙狼との間は、幸いにも少し空いていた。
恐らく、牙狼が後ろへ飛んだか、私が飛んだか、その両方かだろう。
しかし、走り込まれて襲われると対応できない距離だ。
だから、相手が怯んでいる今を狙いたいが、得物がない。
確認したところ、私の後方にある。
しかし、取るには一度立たないといけない距離だ。
取っている内に襲われるのは目に見えている。
取りに行かずとも、私の手元へ呼び寄せることは可能だが、その場合、呼び寄せると心表石の状態に一度戻るので、薙刀に戻すまでのタイムラグが生じて、これまた襲われる。
……どうする?
そう考えている内に数秒経った。
牙狼は口から出ている血を気にもせず、こちらへ青い目を向けた。
迷っている暇なんてない!
目を閉じ、心表石を思い浮かべる。
手に石の感覚が宿り、目を開けた。
しかし、牙狼は目前だった。
死…ぬ…?
迫っている牙狼に対して、反射的に手を出した瞬間だった。
「キャンッ!」
弱々しい鳴き声と共に、牙狼が私の前で弾き飛ばされる。
私の目の前には、あの時と同じ
薄紫色の半透明の壁が広がっていた。
これは……
「おい! 大丈夫か!」
後ろから駆け寄ってきたのは、やっぱりアウルだった。
「あ、アウル……」
名前を呼んだだけで、それ以上は何もできなかった。
「こんなとこで何してんだよ? 色々聞きたいことがあるが……まずはあいつからか」
牙狼は低く唸り、襲いかかる気まんまんだ。
「あーめんどくせーな! 地属性魔法 [ワンダープラント]」
アウルの両脇からツタが生え、先端が牙狼へと襲いかかる。
急な攻撃に、牙狼は避けることも満足にできず、二本のツタを両わき腹から生やし、絶命した。
アウルは、晴れてツタと共に森の中の一つの物体となった牙狼の方を見るのを止め、こちらへと近づく。
「で? 何で来たんだ?」
「だ、だって……わたし、私こんな事になるなんて……」
理由も原因も分からない返答しかする事が出来ず、それに付け加えようとしても、次に出てくる言葉も浮かんで来なかった。
「……はぁ。まあいいよ。お前が無事だったから。ほら、帰るぞ」
「う、うん……」
立ち上がろうとしたが、体に力が入らない。
「あ、あれ…?」
見てみると、私の全身は震えていた。
それに気づいたアウルが、ため息をつきながらワンダープラントを詠唱し、緑人を出し、私の肩を持たせた。
アウルはその後も追求したり、怒ったりする事はなく、ただ私の前を歩いていった。
いつもより数倍も大きく見えたアウルの背中。
私は、暗夜の森を出るまで、緑人に支えられながら、その後ろについて行くことしか出来なかった。