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愛は大きい方が敗北者なのよ。
昔、近所のお姉さんがそう言った。確かにそうなんだろう。逃げれば追う。追われれば逃げるのは生き物の法則かもしれない。
「待ってよー! 大豊くーん!」
「……」
私の追いかけている彼、大豊 彼方くんは私の声にちら、と目配せして溜息をついた。
もう少しで彼の横に並べる、そう思ったとき、足元に何故か段差があり、私は前につんのめった。
だが地面に叩きつけられることはなく、ぽっふん、と心地よい冬布団にも似た感触が私を包む。うわあぁ……。大豊くんが私を支えてくれてる……。なんて気持ちいい……。このまま私を離さないで……。
「そろそろ離れてくれる?」
「はっ、あ、ごめんなさいっ」
通勤通学路の激しい往来の中、私は大豊くんの腕の中でついまどろんでしまった。なんてことしちゃったんだろう、大豊くんに恥ずかしい思いをさせてしまった……。
むっすりと大豊くんは先を歩き出す。私はそのあとをひょこひょこついていきながら、その大きな背中を見つめる。
187㎝の彼に比べれば148㎝しかない私は人混みが増え大豊君とはぐれそうになるが、そんな時大豊君はちらっと私をそれとなく潰れてないか確認してくれる。そういう所が大好きだ。気づかれないようにしている優しさと気遣い。
「桜井はどうして俺と一緒にいたがるんだ?」
「どうしてって、その……あの……」
は、はっきり言わなきゃダメかな。好きだからって。でも、恋愛が絡んでしまえばこの友情は壊れて一緒にはいられなくなってしまうかもしれない。答えられないでいる私を見下ろして、大豊君は首を傾げ、先を歩く。クールだなあ。置いてかれないように慌てて横に並ぶ。
「あの、友達だからじゃ、ダメかな? 変かな?」
「……ああ、まあ、いいけど……」
下から覗き込んで見る大豊君はますます眉間に皺をよせて、理解不能、と顔に書いた。
友人一同口々に言う。
「あんなののどこがいいの」
理由1。愛想がない。理由2。つっけんどん。理由3。マイペース。理由4。何考えているのか解らない。
理由5.これが最大一番に、友人たちが私を理解しない理由。
彼は太ましい。
上に大きければ横にも大きい。
いわゆるリア充イケメンの世界とは対極に位置する。なぜそんな人間を……と友人たちは口々に言う。
「性格が悪いのが許されるのはイケメンに限る」みたいなことまで言う子もいる。
私からすればなぜ分からないかなぁ、と思う。
ぶよぶよじゃないんだよ彼は。ふっくら。そして芯はがっしりして何があっても受け止めるんだよ、すごいんだよ。
それに愛想がないっていうなら皆が騒いでいる生徒会長だってそうじゃない。頭よくて機敏に動くその怜悧さがうんたら言うけど、大豊君だって機敏に動くんだから。何食わぬ顔してやっちゃうから気づかれない方が多いんだよ。
元水泳選手で記録だって残したんだから。なんたって頭もいいじゃない! 生徒会長に負けてるとこ全然ないよ!
それにつっけんどんじゃなくて、あれが地なの。だれにでもそうなの。まったく世間は「キリッ」より「へらっ」が好きよね。モテ男くんの川原君とか見てるとそう思うわ。
マイペースだって、高3で自分のスタイル確立してるってすごいじゃない。子供じゃないんだよ。
何考えてるのか解らないっていうのだって、分かりやすい男のどこがいいの、ミステリアスだからこそ魅力倍増ってもんじゃない、ホントみんなどうしてそういう良さが分からないかなあ。
……と、まあ、延々力説してみせたけど途中で誰もきいてなかった。川原君を持ち出したのがまずかった。話題があの貧弱のっぽにさらわれてしまった。
でも……一番分かってないのは大豊君本人なんだよね……。
「大豊君、一緒に帰らない?」
やった、勇気を出して言った私、偉い! 今週ずっとうだうだして友人たちと教室を出て行く後ろ姿を見送っていたんだ。
そんな私に大豊君はいつものように「理解不能」の顔をする。友人たちはさささっと散ってくれる。ありがとう、みんな。
「桜井、お前なんて言われてるか知ってる?」
「え、なに?」
「大豊部屋の女将」
えええっ! おかみさんだなんて、うそ、まだ付き合ってもないのに、もうすでに夫婦も同然な……!
「俺さ、静かに過ごしたいんだよ。お前だって受験なんだからこんな暇つぶししてる場合じゃないだろ」
「ご、ごめん、うるさかったの分からなかった……。気をつけるね……。でも、暇つぶしじゃ……」
「そうじゃなくて」
大豊君は肩の力を落としてまた溜息を吐いた。
「俺桜井の遊び相手になれそうもないから。他あたって」
そう言ってすたすた去っていく大豊君の大きな大きな後ろ姿を茫然と見送った。
……これって。振られた……?
教室にはまだ何人か残っていてひそひそ話している。けっこう自分たちが注目されていたのに気づいた。
何? これ、そんなにめずらしい見せ物になるの? なんで?
まだ茫然とする私の肩を叩く者がいた。金沢君だ。その顔に苦笑いが浮かんでる。
「俺、あいつに負けてたって事?」
小声でそう言われた。先日私は金沢君につきあってほしいと言われたが、その頃はすでに大豊君しか見えていなかったので「ごめんなさい、好きな人がいる」と断ったという経緯がある。
「桜井って……。見る目ないな」
そう言われ、何かムカムカしてきた。なんでみんな大豊君だと納得しないのよ。大豊君の何が悪いのよ、愛想がなくて必要以上にデカかったら悪人なわけ?
「あ、分かった。あいつが雨の日に子犬でも拾ったとこ見かけてキュンと来た系なシチュでもあったんだろ」
「……子犬じゃない、トッケイゲッコウだった」
「……は?」
これ以上教室にいたくなくて、金沢君を放置し、私は大豊君を追った。
外に出てしばらくして、雨が降り出してきた。しまった、傘持ってない。
だけど構わず走り、大豊君を捜す。いた。友人たちと傘をさして歩いていた。
「大豊君!」
振り向いた大豊君は驚いた顔をした。友人たちはまたも察してくれ、大豊君の肩を叩いて先を行った。ありがとう、本当にありがとう。
「何?」
もう、こうなったらはっきりと分かってもらおう。大豊君は自分にそういう感情が向けられるなんてこれっぽっちも思わない人だ。私が暇つぶしなんかじゃないって、はっきりと知ってもらわなきゃ。
「私大豊君が好きだから、一緒に帰りたかったんだよ。一緒にいたかったから」
言ってしまった。友情も終わるかもしれない。でも……。さっきより驚いて声も出せない大豊君にさらに言った。
「好きです、つきあって下さい」
恥ずかしくてうつむいていると、目の前に影が出来、大豊君が私の頭上に傘を傾けているのが分かった。顔を上げると大豊君の顔が、しかめているように見えた。
「……ごめん。俺たちじゃつり合わないよ」
大豊君は私に無理矢理傘を握らせ、立ち去った。
夜になっても雨は降り続いた。
大豊君の傘は乾かして、私の部屋に一緒にいる。
つり合うとかつり合わないとか、なんなの。召使いと王子様じゃあるまいし、赤頭巾と狼の異種間交流でもないんだし。友人たちは私には金沢君が似合ってるって言うし。金沢君がどんな人なのかなんて私さっぱり知らないよ。それでなんで似合いとか決定づくの? 絵になる? 私は絵画じゃないよ!
「大豊君のばかやろおおお!」
私はその夜わんわん泣いて過ごした。
そのまま、大豊君とは話をすることもなく、卒業した。