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だんまり清川

7、だんまり清川

石油コンビナートの仕事は嫌なことの連続だった・・・というイメージが今でも少しは残っているのだが、考えてみれば今なら当時よりはもっとマシな考え方で仕事ができていたはずだから、続けられたなあ、と思うこともある。

仕事自体はあまり嫌ではなかったのだが、やはり人間関係が苦手だったのでつらかった、といってもいいのではないだろうか。

当時のボクはどちらかと言うと人と話すのが苦手だった。

今のボクを知っている人間は誰も信じてくれない。

そりゃそうだ。

なぜなら今のボクは口から生まれたんじゃないのか?というぐらいにおしゃべりだからだ。

ただ・・・こうなったのは後の日の努力があったからであって、もともとそうではないのだ。


清川さんという上司はボクに負けないぐらい無口な人だった。

上司が無口、というのは困る。

しかも口を利くのは怒るときだけなのだ。

例えば、トラックの運転中など、長い道中ずっとなにも話さなかったくせに、ボクが交差点をクラッチをきったままで曲がると・・・。

『クラッチ!!』

と来る。

確かに減速するときはクラッチを切ってしまわないほうがいい。

ギアを一つ下げて、エンジンブレーキを効かせながら曲がるのが正解なのである。

ただ・・・。

それをしなかったからといってそこまで危険な運転ではないことは車の免許を持っている人なら分かるだろう。

まあ、注意ぐらいされるのは仕方ないとしても、長い道中、何もしゃべらず、そういう注意だけをされるというのはいかがなものだろうか?


ボクはあれからいろんな経験をしながら介護業界で仕事をしてきた。

このときのボクとは逆に、新人さんに教えることも多かったのだが、このようなことはしなかった。

新人さんだって雰囲気よく仕事したいだろうし、その雰囲気の良さが、注意を受けても次回から気をつけようという気持ち、そしてさらにはいい仕事をしたいという向上心にもつながるからだ。


清川さんにはそのような気遣いは何もなかった。

とにかく何も話さないから、一緒に仕事していると彼が何を考えているのかが分からないというのもあって、苦痛で仕方なかった。

一言で言うと話しかけづらいのである。

そんな雰囲気だったから、指示が必要なところでも、指示を仰ぎづらかった。


ところが・・・なんとこの清川さんを『嫌だなあ』と思っていたのはボクだけではなかった。


考えてみれば当たり前の話ではある。

こんな奴が今の職場にもしいたら・・・。

まあ・・・それは考えるだけで最悪なことだが・・・あの頃のボクより今のボクは仕事ができる、ということもあって、はっきり言ってしまうかもしれない。

『清川さん。仕事って黙ってやってたってうまく行かないと思います。』

・・・と。

ただ、介護の仕事だからこういうことが言えるということはある。

当時の仕事は余計な話をしなくてもある程度はできる仕事だったので、こういうことは言えなかったかもしれない。

まあ、いずれにしても清川さんという人はやりづらい人だった。


『よう。あのだんまりと仕事してきたんか?』

清川さんと仕事してきてぐったりして事務所に帰ると話しかけてくる荒井さんは60歳過ぎぐらいのおじさんだった。荒井さんは清川さんとは対照的によく話す人で冗談も言うし、すごくいい人だった。

『はい・・・正直、けっこうつらいですね。』

『だよなあ。よくがまんしてるよ。オレでもあいつ、しんどいもん。』

荒井さんは顔を合わせるといろいろ話しかけてくれたし、荒井さんと一緒の仕事の時はなんでも聞きやすかった。それはひとえに荒井さんが仕事の雰囲気作りが上手だからだろう。


とにかくボクは朝のミーティングの時に清川さんと一緒の仕事にならないことだけを祈った。

朝、清川さんと同じ仕事を知っただけで一日がどんより暗い気持ちになったのを覚えている。


そんなある日。

何か粉状の薬品を大きな袋に詰める仕事を会社は請け負うことになった。

当然、ボクは何をやっているか分からない。ぼーっとそこに突っ立っているだけである。

その仕事はフォークリフトを使う仕事だったので、フォークが後ろに下がる時など、何かにぶつからないか見て、ぶつかりそうになったら運転手に言うのが、ボクの仕事だった。

フォークに乗っていたのは清川さんだった。

清川さんのフォークの運転は乱暴だった。とにかくスピードを出しすぎるのだ。

何かにぶつかりそうになっても、あれだけスピードが出ていれば、こちらが何かを言う前にぶつかってしまうだろう。


この仕事は非常に時間がかかり、その日は夜の20時ぐらいまでかかった記憶がある。

辺りが真っ暗になってしまい、ボクは内心『まだやるの?』と思っていた。

するとフォークが消火栓にぶつかって、袋が破けて粉がこぼれてしまったのだ。

前述したように、あっという間の出来事で危険であることを伝えることさえできなかった。

ボクは清川さんと目があった。

『見てんなら言えよ!!』

言い返してやりたくなる衝動をぐっと抑えるのが精一杯だった。

何度も言うが、見て言えるようなスピードで作業してないのだ。人にとやかく言う前に自分が気をつけろと言いたい。


結局、この仕事は20時を過ぎた時点で終了となった。

『明日もやるからな。』

清川さんはボクらに言った。

当時、ボクは時給で働くパートだった。そしてその日は金曜日。明日、というのはお休みの土曜日のことだった。

もちろん、ボクは出勤する気はない。

それはみんな同じ気持ちだったらしい。

・・・が・・・口に出して言う者はいなかった。

『阪上、お前も出勤な。』

清川さんは当然のようにボクに言った。

ボクは先ほどの不満の気持ちがあったから仕返しとばかりに『明日は休みですから出ません。』とはっきり言い切ってやった。

『ダメ。忙しいから。』

『そんなの知りません。もう用事入れてるんで出ませんから。』

こんなやり取りがあったと記憶している。

古い記憶なので定かではないが、いずれにせよ次の日は出なかった覚えがある。


そういうやりとりがあったから仕事が嫌いというより、ボクは清川さんと話がしたくない一心で所長に言った。

『週3日の勤務にしてください。』

確かにそういったのだ。

そして所長は『いいよ。』と言ったはずなのだ。

にもかかわらず、数週間後、ボクは所長に呼び出され『無断欠勤は困る。』と言われた。

ボクとしては無断欠勤なんかしているつもりはない。所長と話して週3日でいいと言われたから、そのときの約束の曜日に仕事に出ているだけだった。そのことを所長に伝えたが知らないと言われた。

はっきり言うが、いい加減な所長である。

ボクはその時、この会社は長くいるところではない、と確信した。


『いずれにしても毎日来てくれないと困るんだよね。』

所長はボクに言った。

ボクの腹は決まった。

『じゃあ、毎日来ますけど、以前の半日の掃除の仕事に戻してください。』

結局ボクは掃除の仕事をやりながら次の仕事を探すことにしたのだった。


それから1ケ月ほどして、ボクはこの職場を退職した。


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