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Kな仕事

6、Kな仕事

『きつい、汚い、危険』

これらが伴う仕事を『3K』と呼ばれていた時期があった。

ボクが子供心に『危険』は嫌だけど、あとの2つなら耐えられるなあ・・・と思ったときがある。

しかしニートな日々を経験して再就職する際には『危険』だけでなく『きつい』のも嫌だ、と思った。

ただし、『汚い』と言うことに関しては平気だった。

ちなみに今でもこの『汚い』ことに関しては平気である。

というのは『きつい』ことは精神的にダメージが残るし、『危険』なことは身体的にダメージを被ることがある。それに比べると『汚い』なんてその時だけで、仕事が終わってキレイに洗ってしまえばおしまいだからである。


最終学歴が1年制の専門学校卒のボクが就職できるといえば、たいした仕事はなかった。

事務的な仕事に関してはボクは簿記の経験もなかったし、パソコンを扱うSEなどになるには専門的な技術や知識がなさすぎた。そして電気工事はもう嫌だった。

ボクが再就職するときに考えた仕事の条件はとにかく誰でもできる簡単な仕事で単純作業の繰り返しでかまわない、ということだった。

最初の会社で仕事が難しすぎて訳が分からず、そのことでストレスを抱えたと思ったボクは、次の仕事は単純作業でかまわないと思ったのだ。


それで目に止まったのが清掃の仕事だった。

その仕事は石油コンビナートの事務所内の仕事で早朝から昼までの仕事だった。

給料は安いし、時間も少しの時間しか働かないが、しばらくはこんなものでいいかな・・・と思っていた。

仕事は本当に楽だった。

もちろん楽と言っても人によっては大変かもしれないことはいくつかあるが、ボクにとってはそれらのことは一つも大変ではなかった。

例えば、早朝5時から仕事がスタートすることがその中にあったが、ボクにとっては朝は早くとも帰りもその分、早いわけだから文句はなかった。でもこのことは早起きがつらいうちのかみさんのような人にはかなりきついだろう。

だからボクは楽に感じたのだが、他の人からするときつい仕事だったのかもしれない。

そして清掃の仕事といってもかなり汚いトイレの掃除をすることが多い。

事務所も汚い。

とにかく埃もすごいし、毎日、きれいにしてもすぐに汚くなる。

とくに油を扱っているので油汚れがすごいのだ。


ボクにとってはそういう汚さはそんなにつらくはなかったのだ。

3KまでではないにしてもKな仕事であったことには変わりない。つまり危険・きつい・汚いの中の『汚い』だけの仕事だからKな仕事なのである。

汚いというものをキレイにすればいいのだから仕事としてこんなにシンプルなことはない。

余談になるが、ボクは今でも掃除の仕事が好きである。

ケアマネージャーとして介護の仕事に携わると時折、すさまじいゴミ屋敷に住んでいる高齢者の世話を見なければいけないときがある。そういう場合、一度ヘルパーを派遣する前に、私費・・・つまり介護保険サービス外で大掃除をするのである。

で・・・そういう仕事は基本的にボクが直接行ってやることにしている。

『ヘルプマン』のケアマネ編でもそんな場面があったと思う。もっとも『ヘルプマン』では無料でやっていたと記憶しているが・・・。

そういう大掃除の仕事・・・ボクはキライではない。

てゆうかケアマネなんかやめて大掃除の仕事を専門でやってみたいと思うことも多い。

確かに汚くて、むせこんでしまうほどのことは多いのだが、仕事としてはそんなに嫌ではないのだ。


清掃の仕事は楽だったものの、給料が安いということと、半日ぐらいしか働いていないということで、短期間しかしない予定だった。

それは面接でも話をしていたので予定通りの行動ではあった。

清掃の仕事をしながらもボクは仕事を探していたのだが、そんな折に郵便局の小包の配達の仕事を友人から紹介されたのだ。


小包の配達。

簡単な仕事だ、と思い飛びついたものの、これがまたけっこうきつい仕事だった。

この仕事はきつい・汚い・危険の中で汚いと危険はないのだが、とにかくきつかった。そういう意味でKな仕事だったのである。

なにがきついか・・・というとまず、道を覚えるのにえらく苦労するのである。

そしてやっと道を覚えたと思ったら、昼間に小包を持って行っても家の人がいないのである。で、不在だと金にならない・・・。それで時間をおいてもう一回行くのである。

結局、もう一度小包を持っていくのは夜になるから、仕事が終わるのは早くて19時、遅くて20時過ぎになるのである。

さらにこの仕事・・・。

365日、休みがないのだ。


これは今でも変わらないのだが、ボクは『時は金なり』と思っており、金より自分の時間の方を大切にする傾向にある。

ケアマネージャーになってからは知り合いのいろんな会社に誘われたが、ボクはことごとく断った。

というのは給料はいいが休みが少ないからだ。

ボクは休みが少ない仕事は嫌なのである。

そのかわり給料は安月給でも文句は言わない。

高給と休みを両方ともないと嫌だ・・・というわけではない。休みだけがほしいといっているのだからそのぐらいの希望はかなえてほしいものである。

この話は長くなるのでまた別の機会に書くことにしよう。


さて配達の仕事だが、人間関係のしがらみも基本的にはないし、仕事も単純で簡単だったのだが、休みが極端に少ないので嫌になっている自分がいた。今までいろんな仕事に就いたが、この仕事が一番休みがとれなかった。

高校時代の友人がバイクの事故で亡くなったというときも、休みをとるのに一苦労で、正直、介護の仕事よりも休みが取れないのがこの仕事である、とボクは感じている。


配達の仕事を始めたのは10月だった。

10月、11月はそれでもなんとか仕事をしていた。

しかし年末の12月はすさまじく忙しく、22時近くになっても仕事が終わらないこともしばしばだった。

会社は郵便局からの委託で仕事をしていたのだが、12月は忙しすぎるのでバイトを2人雇ったのだ。

この2人のバイトが少し性格が荒い人たちだった。

12月の半ばぐらいにその人たちからちょっと何かを言われたのを覚えている。

それでボクは完全にこの仕事が嫌になったのだ。

ボクは膝が痛い・・・という理由をまた引っ張り出した。

いや・・・本当に痛いには痛いのだ。

ただ、仕事ができないほどの痛みではないのだ。

痛いのは膝ではなく心だったのかもしれない。


ボクは12月の半ばで仕事を辞めることにした。

病院を受診して、医師から『重いものを持つ仕事はよした方がいい。』という言質までとって退職理由にしたのだ。


辞めてすぐにボクは前に仕事していた清掃の会社に電話してまた雇ってもらえないかどうか聞いてみた。

所長は二つ返事でOKを出してくれた。

12月の半ばという非常に中途半端な時期だったが、再就職はすんなり決まってしまいボクは心からほっとした気持ちだったのを覚えている。


清掃の仕事をすると思っていたボクだが、そうではなかった。

3トン半のトラックに乗って石油コンビナート内の古紙回収をしたり、ドラムカンを運んだり、ドラムカンの中に入っている油を何かの機械で吸い上げたり・・・。

あと、印象的な仕事はミレニウムコウバイとかいう粉をこれまた何かの機械に吸わせるという仕事もあった。

今、思い起こせばなかなか面白い体験をさせてもらったと思うが、当時は嫌で仕方なかった。

なぜ嫌だったのか・・・。


それは苦手な人がいたからだった。


思うにボクが仕事が嫌になるきっかけは、Kな仕事についているからでも、休みが少ないからでもなく・・・苦手な人がおり、そういう人との付き合い方が下手だったからかもしれない。


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