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喫茶店

5、喫茶店

平日の昼間に喫茶店で読書などを楽しみながらコーヒーや甘いものを楽しむ。

ニートな日々のボクの楽しみでもあり、毎日仕事をしている今でも休みの日には、たまに同じようなことをすることがある。

もっとも・・・当たり前の話ではあるが、ニートではなく毎日仕事しながら社会人として生活を営んでいる今では、平日の昼間には喫茶店には行けないのだが・・・。

最初の会社を、ソバ屋が嫌だったり、仕事が覚えられなかったり、満員電車が嫌だったり、その他諸般の事情で辞めて、ニートになったボクは、自動車学校の教習の合間に喫茶店に行くのが楽しみだったのだ。


コーヒーの香りを楽しみながら読書をすれば、そのときは現実から離れられる。

あの頃のボクはそうやって嫌な現実から逃げていたのかもしれない。

現実から逃げる・・・と言う意味では今も同じことをしているかもしれない。

ただあの頃よりもボクは現実が見えてきているし、あの頃に比べると現実と共に人生を歩むのはうまくなっていると思う。

そんなわけだから、じっくり本を読むという行為も年々少なくなってきている。

しかし、あの頃はそうではなかった。

読書をしていると、本の世界に身をおくことができる。

小説を書いていると自分が考え出したキャラクターたちと会話ができる。

そんなひと時を誰にも邪魔されずに楽しめるのが喫茶店なのだ。


当時のボクは実家にいたから、実家ではこの静かな時間がとれなかった。

ボクの部屋は空間とは言えず、妹の部屋と台所との通路みたいなものだった。

だから小説を書いたり、読書をしたり、ゆっくりできるような空間ではなかったのだ。しかしだからと言ってニートな日々を送っていたボクが一人暮らしをするのは経済的に不可能だった。

もちろん、その頃は一人暮らしを考えたこともなかった。

だから現実から離れられる唯一の場所は喫茶店だったのだ。


会社を辞めて、嫌な仕事やソバ屋、満員電車から解放されたが、ボクが精神的に一番しんどかったのは、このときなのかもしれない。ニートのままではいけない、社会人として自立しなければならない・・・そんなあせりがなかったか・・・といえばそれはそれで嘘になると思う。

高校時代の友人たちは高校を卒業し、立派に社会人としてやっていた。

多田くんは大きな会社の工場に勤務していたし、心のどこかで下に見ていた保田くんも高校を卒業して就職した工場で立派に仕事をしていた。

保田くんのことは、彼には大変申し訳ないが、そういう風に思っていたことは否めない。

彼のことは、高校の頃の成績だけでボクは評価していた。

しかし、今になって考えてみるとボクより保田くんのほうがよっぽどしっかりしており社会にも順応していたのだ。

当時のボクはなんとなくそのことを分かりかけていたものの、なんの根拠もないプライドが邪魔をして彼を下に見ていたのだろう。


そのようなあせりがあった反面、ボクはその友人たちを友人として大切にしていた。

自分がしんどい、と思ったときに彼らとのたわいのない話や高校時代のバカ話をするとほっとしたのも事実だった。

ニートな日々を送っているときも休日には彼らと会って遊んでおり、その瞬間だけは、ボクは高校生に戻っていたのだ。

こう書くと、いい年したおっさんが何をバカなことを・・・というイメージがボクの中で出来上がってしまうのだが、よくよく考えてみれば、その頃のボクはまだ20代前半であり、高校を卒業してまだ2年か3年ぐらいしか経っていなかったわけだから、精神的にも大人になりきっていなかったのかもしれない。


まあ・・・。

もともとボクは精神的に他の同級生よりも幼い部分があった。

精神的な成長に関しては人それぞれなので、他人がとやかく言うことではないと思うエピソードがある。それはボクが中学に入学した頃の話である。

そもそもボクは中学時代にいい思い出はない。

気が小さく、体つきもそこまで大きいわけでもなく、スポーツもしてこなかったボクはヤンキーから、からかわれるかっこうの餌食になっていた。今、思えば、学校なんか行かなきゃ良かったと思っている。中学教育などあとで夜間にでも通って卒業できるのだ。

しかし、その頃はそれが人生にかかわる大きな出来事のように思えたからガマンして通学していたのだ。

とにかく、ボクの考え方は中学では通用しなかった。

担任の先生は個人面談で『この子は幼稚すぎる。』と言ったし、体育の先生は必死になってマラソンを走っているボクを『やる気が感じられない。』と言い放った。

前者に関しては思い当たる節もあるし、確かにあの頃のボクは他の子たちより幼稚だったと思う部分がある。しかしそれをそのまま親や本人に宣告するのが教師の仕事ではないだろう。どうにかその子が大人に近いメンタリティーを保てるよう支援の方法を考えるのが教師の仕事なのではないだろうか。

後者に関してはただ単にマラソンというスポーツの駆け引きを知らなかっただけである。

当時のボクはマイペースでマラソンを走りきり、ラスト一周でラストスパートするのが正しいと思っていた。・・・そんな走り方をしていては最下位になるのも当然である。

最下位になっても平然とマイペースでゆっくり走り続け、最後の一周だけダッシュするボクを見て先生は『こいつはやる気がない』と思ったのだろう。当時のボクが中学生ではなく、立派な大人ならそう見られても仕方ない。しかし当時のボクは精神年齢がどちらかというと低めな中学生である。

体育の先生は『やる気がない』と判断する前に、せめてボクと面談しマラソンの走り方を教えたり、『今の走り方をしていると人からはこう見えるから、こういう風にした方がいいよ。』という助言ぐらいはすべきだったのではないか、と思う。

今、社会人になって思うのが、この先生方は正直、職務怠慢である、と断言できる。

過去に返って文句つけてやりたいものだ。

とにかく人の精神的な成長に関してはそう簡単にものを言うべきではない・・・ということをボクはこの時の自身の経験から理解することができたのだ。


だから今の若者が精神的に幼稚か否か・・・ということはボクは興味がない。

しかし彼らがしっかりとした大人のメンタリティーを保てるように教えていくことが社会人の先輩としての責務ではあるとは思っている。

中学の頃の無責任な教師のように『幼稚です。』の一言で終わらせてしまってはいけないと思うのである。


社会に順応できずにニートになってしまう。

そういう若者は今、少なくない。

ボク自身、そういう若者だったから、彼らの気持ちはなんとなくだが分かる。

もちろん、その思いたるや人それぞれであるから、一概にすべて自分と同じというわけではないので、『なんとなくだが分かる』と表記させてもらった。

社会に順応できないということは、主に精神的な弱さに起因するところが多いのではないだろうか。

かつてのボクがソバ屋のような、ろくでもない先輩にガマンできなかったのと同じように、今の若者も社会にでてなんらかの障害にぶち当たるとそこで簡単に、もろくも挫折してしまうのだ。

精神的に強くないということは、メンタリティーの部分が未熟であり、簡単に言ってしまうと子供っぽいということになる。

ボクの経験から話そう。

ボクは中学から高校、専門学校を通じて、20歳になったわけだが、法律的には大人になったのかもしれないが、精神的には学生のままだったのだ。そのメンタリティーの未熟さがこらえ性のなさにつながり、半年ほどで会社を辞めさせる原因ともなったのだろう。

精神的には子供でも知識レベルでは20代の大人の知識を蓄えているものだから、現実を直視するのはつらくなる。

だからボクは小説やマンガの世界に現実逃避しようとしていたのかもしれない。

喫茶店で小説を書いたり、読書したりしている時には現実から目を背けることができる時間だった。

そして高校時代の友人たちはそんなボクを理解し、ともに時間を過ごしてくれる。

こういうひと時こそストレス解消になっていた。

通常だと、そのひと時のおかげで力を得て、次の日からまた現実に目を向けることができるはずなのだが・・・。

それができないところがメンタリティーの幼さでもあるのだ。

子供が暗くなっても家に帰らずに遊び続け、親に叱られることがあるように、自分の居心地のいい場所に居続けようとし、社会からニートというレッテルを貼られてしまう。

もしかしたらニートになるメカニズムはそんなところにあるのかもしれない。


結局、ボクはいろんな仕事に挑戦してはやめ、気が付けば履歴書に書ききれないほどの職歴を有してしまった。

だが・・・今ではなんとか仕事を辞めずに社会人としての責任を全うできているように思える。

それには、ボクが今まで、愚かな決定をしながらも、現実を見ようと努力してきたからだと思う。

高校時代の友人たちはこんな苦労をしなくても、最初から社会人としての責任を果たしているし、世間の多くのいわゆる『普通』の若者たちもそうだと思う。

そう考えるとやはりボクのような『ニート』と称される若者はすこし病的なんだろうな・・・と思ってしまう。


彼らは内心、すごくあせっていることだろう。

しかしあせらなくてもいい思う。

あきらめなければいいのだ。

社会に順応することをあきらめずに苦しみながらも試行錯誤するならば、きっといつかは答えが出ると思う。その答えは病院に受診することかもしれないし、また自分にあった仕事を探すことかもしれないし、その他の方法かもしれない。

このボクがなんとか現在、社会人として社会に少しだが貢献できているのと同じように、今の『ニート』と呼ばれる若者たちにもあせらずに答えを見つけてほしいものである。


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