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ソバ屋

4、ソバ屋

ボクは仕事がキライだ、と書いたら『誰だって仕事はキライだよ。』と友人の保田くんに言われた。

確かに仕事が大好きだという人はそんなにいないだろう。どちらかといえばそんなに好きじゃないからできる限り避けたいんだけど、生活のために仕方なく…と言う人が大半ではないだろうか。

それにしても…なぜ、人は仕事を嫌がるのだろうか。

それを考えていくとやはりぶつかってしまうのは人間関係ではないだろうか。

誰だって面倒な人とは付き合いたくないはずだ。しかし仕事ともなればそんなことも言ってられない。

面倒な人との人間関係・・・。

これこそ仕事を嫌なものにしている一つの大きな要因なのかもしれない。


ボクは今まで多くの仕事に就いてきた。

つまりいろんな会社を出たり入ったりしてきたのだ。

しかしどこに行っても面倒な人間というものはいるもので、そういう人間に対して真っ向から立ち向かえるか、もしくは適当に受け流すことが出来る人間が、仕事において長続きすることができるのであろう。

ボクは適当に受け流すことはできないタイプである。

かと言って気が小さいボクには真っ向から戦うこともできない。

だから話をまともに受けてしまい、ずっと悩んでしまうのだ。

その性格が災いして人間関係では相当悩むことが多かった。


現代病でうつ病という病気があるが、現代の若者は職場にでると『うつ病』になりその他の場所ではその症状はでないらしい。

もちろん、社会的に見ればこんな勝手なことはないだろう。

なんでもかんでも病気に逃げるな・・・と言いたいかもしれない。

しかし、こういう若者が多い、ということはそれを受け止める側の社会にも原因があるのかもしれない、ということも考えて欲しい。

若者達だってなにも好き好んでこんな病気になっているわけではない。

もちろん、中には病気に逃げて遊べるところまで遊んでいるふとどき者もいるが、そうでない者も少なくないと思う。


今考えると過去のボクはまさしくこの現代の若者がなる『うつ病』だったと思う。

しかし、これはれっきとした病気だと思う。

というのは、ボクの場合は職場にいるときだけがうつ状態ではなかったからだ。

基本的にボクはちゃんと仕事がしたかった。ちゃんと仕事しないと両親は心配するだろうし、それに社会人として仕事することによって社会に貢献する、という当たり前のことがしたい、と思っていたし、今も思っている。

職場だけでなく、ではどんな時にうつになるか・・・ということだが、仕事が頭をよぎると気分が重くなるのだ。それは休日の前半ならいい。というのは『あと○日休みだから、満喫しよう。』と思えるからだ。

でも休日の最後の方の時間帯は本当に憂鬱だった。

俗に言う『サザエさんシンドローム』という奴である。

基本的には職場を離れても仕事のことは頭から離れない。今、仕事で直面している問題が解決しない限り安堵できる時間などないのだ。

ボクは医師ではないから、現代型のこのうつ病患者が皆、そんなタイプの症状なのかは分からないが、ボク自身、若い頃は彼らに似ているところがあったので、こんな感じではないのかな、と感じたのだ。


もし現代型のうつ病がボクと同じような感じなら、彼らを受け止める側の社会も対策を講じなければならないのでは・・・と個人的には思ってしまう。

彼らは仕事のこと、とくに人間関係に悩んでいる場合も少なくないのではないかな、と思う。

なぜか・・・。

それはボクがそうだったからだ。

どのような形でボクがこの人間関係について克服していったかを話すと少し長くなってしまうので書かないことにするが、もし機会があればそのことにも触れて見たいと思っている。


さて、人間関係に悩んでいたボクだが、行った先々で苦手な人がいた。

そういう人たちはみんな、他の職員たちも苦手にしている人たちだった。


最初の会社では東京からバイクで通勤している実家がソバ屋のおじさんだった。

ソバ屋は何かにつけて理屈っぽく、仕事もできずにいつも上司から怒られていた。彼はいい大学を出ているらしく、プライドだけは高かった。

変に知識だけはあったソバ屋は、何かにつけて新人のボクに指示をしてきた。

でもまあ・・・。

ソバ屋はボクの教育係だったのでそれはそれでよかったのだが・・・。


ボクはソバ屋がキライだった。

というのは仕事以外のことでも人のやることにいちいちいちゃもんをつけてくるからだ。

例えば、当時、ボクは司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』や『新撰組血風録』などが好きで読んでいたのだが・・・昼休みに読書しているボクを見てソバ屋は『なに読んでるの?』と声をかけてくるわけだ。

大体からしてすでにこの時点でほっといてほしいのだが、そうも言えないのでボクは本から頭を上げて返事をする。

『『新撰組血風録』です。幕末が好きなモンで。』

普通、若い子が本を読んでいて、それがどんな本であっても公序良俗に反しない限りは、話を合わせるものである。

それなのにソバ屋はこう答えたのだ。

『ふうん。新撰組か・・・随分とミーハーなんだな。』

本当に一言余計である。

大体、なんで人が気分よく本を読んでいるのに水を差すようなことを言うのか?

未だにボクはソバ屋のこの神経が理解できないでいる。

しかし、その頃のボクは実力もないくせにプライドばかり高かったから余計なことを言い返してしまった。

『へえ。じゃあソバ屋さんは誰が好きなんですか?』

余計なことを聞かなければよかった、とすごく後悔している。

『別にいいじゃないですか。』と言ってやればよかった・・・と今になって後悔しているのだが、まあもうすでに10年以上前の話だから仕方ない。

で・・・ソバ屋は誰が好きだったか・・・。

なんでも大村益次郎だそうだ。

ソバ屋も十分、ミーハーだと思うが・・・。


こんなこともあった。

ボクは阪神ファンで工場の中でも野球の話で盛り上がることも多かった。

社員の人たちは野球好きが多く、昨日の試合結果で野球談義をするのを楽しむことも少なくなかったのだ。

しかし、ソバ屋は野球には興味がないらしく、話にはついていけていなかった。しかし自分の知らない話をされるのは気に食わないのか、なんだかんだ理屈をこねては話に加わろうとしていた。

そんなソバ屋にとって新入社員のボクは見下す対象としては格好の的だった。

『阪上くん。今年、阪神はどうだい?』

1997年のシーズンといえば阪神タイガースは暗黒時代の真っ只中で、キャンプ、オープン戦、シーズンを通して何一ついいところもなかったし、期待できるような話もなかった。それを踏まえてボクはソバ屋に答えた。

『いや・・・今年は無理ですね。』

『おかしいな。オレが知ってる阪神ファンはどんなときも優勝だと言う奴ばっかりなんだけどな・・・。』

大きなお世話である。

大体、たいして野球も好きでもないくせに、無理に話に入ってこようとしないでほしいものである。

『はあ・・・まあ・・・戦力が今ひとつですからね。』

『たいして好きじゃないんだな。』

こういう一言がソバ屋が人に嫌われる一つの要因だったのだろう。

その時もボクは何か言い返してやろうと思ったが、ちょうど話を聞いていた上司がソバ屋に『それは大きなお世話だよ。なあ、阪上くん。』と言い返してくれたので、ボクはあえて何も言わなかった覚えがある。


また、別のある時、なにかの作業をピンセットで行っていたら、上司がそれを見て『阪上くん、ダメだよ・・・てゆうか・・・誰に教わったの?』と言われた。上司はボクを怒るそぶりはなかったが、ボクは申し訳ない気持ちで一杯だった。

で、ボクは正直に言った。

『ソバ屋さんです。』

このあと、ソバ屋さんがこってりと絞られていたのは言うまでもない。


そんな出来事が続いていたから、ボクは完全にソバ屋のことが信じられなくなってきたし、それに教わるにしても嫌味の一つもガマンして聞きながら教わらなければならないものだから、もう教えてもらわなければならない仕事に関しては、ソバ屋以外の人に教えてもらいたいと思うようになっていた。

でもそういうわけにも行かないということは一応理解していたつもりなので、ボクはしぶしぶではあってもソバ屋にやり方を聞きながら仕事をした。

ただ・・・そういう気持ちだったから、分からないことは、なるべくソバ屋がいないときを見計らって他の先輩に聞くようになっていた。

それはいないんだから仕方ない。

と・・・いう言い訳をボクは心の中で用意していた。


しかしソバ屋はボクのその行動を反抗ととった。

まあ・・・。

確かに反抗といえば反抗だ。

しかしすべてボクが悪いとは思わない。数字で言うならソバ屋の教え方が悪いという部分が50%ぐらいは占めると今でも思っている。

『おい。反抗もいいが仕事ができるようになってからにしろ。』

『反抗なんかしてませんよ。』

『じゃあ、なんでほかの人に聞くんだ。』

『聞いちゃいけませんか?ソバ屋さんがいなかったから聞いただけなんですけど。』

ボクの言葉にソバ屋は今までのボクの行動をいちいち取り上げて、その行動の仕方が反抗しているんだ、と言い出した。

ボクはそのとき、人生で始めて『話の通じない人間』というのが世の中には存在することを知った。

そもそも・・・ソバ屋が『話の通じない人間』だからこそ、ボクはソバ屋から仕事を教わりたくはないのだ。ここのところの自覚がソバ屋にはないので、話は平行線だったのである。

こんなボクではあるが、仕事に対する責任感はある程度あるので、ソバ屋の話につきあって議論することが不毛で時間の無駄であり、その時間を仕事に回した方がいい、ということは分かった。

それでソバ屋に言った。

『分かりました。じゃあもう反抗でいいです。とにかく仕事教えてください。』


その日はぐったりと疲れた記憶がある。

毎日がこんなことの連続だ。

確かにボクのこらえ性がないというのも問題と言えば問題だし、そのことを否定するつもりはない。

この会社を辞めた、という選択をしたのはまぎれもなくボク自身である。

だけど、新人が失敗するたびに嫌味をいい、バカ呼ばわりする先輩社員が教育係では嫌になるのも仕方ないのではないだろうか。

しかもソバ屋は自己顕示欲を満たすために、後輩を怒り、プライベートにまで口を出してきた。

公私にわたってそんなことを会社にいる時間中、ずっと言われていれば、これはもう辞めてくれ、と言っているのも同然である。


『社員、パートが辞めるのはすべて管理者の責任。管理者の能力の問題なんだぞ。』

数年後に介護の仕事に就いたときにその会社の上司から言われた言葉で、今ではボクの座右の銘の一つになっている。てゆうかそもそも座右の銘というのは何個も持つものなのかは不明であるが・・・。

この言葉を借りるならソバ屋の新人教育の仕方にも大きく問題があったわけである。

大体、20歳の経験もない若者をつかまえて、同じレベルでケンカを売るような言葉を投げかけて、それを教育と呼ぶのはおかしいだろう。もちろんボク自身に全く問題がなかった、とは言わない。ボク自身にも問題はあっただろう。

しかし、一方で、新人教育のまずさも大きな問題とするべきだと思う。

現代型のうつ病の問題も同じかと思う。

病気にかかった、もしくは逃げた当人だけを問題視するのではなく、社会全体も若者を社会人としてどう教育していけば考えなければならない時期に来ているのではないか、ということをボクは自分の経験を通して痛切に感じるのである。

ボクはあれから何年も経っていろんなことが分かってきたつもりだが、もし新人を教育してくれ、と言われても、ソバ屋のような教え方はしないだろう。まあ・・・かといって立派な教え方はできないかもしれないが・・・。


ソバ屋は今、何をしているだろうか。

もし彼がリストラされて介護の業界に入ってでも来られたら日には最悪である。彼がどう間違えても介護の仕事だけはしないことを心から祈るばかりである。




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