免許
3、免許
ボクが車の免許をとったのは20歳の頃である。
なぜにそんなに遅くに免許をとったかというと、それはただ単に車の運転というものにまったく興味がなかったからである。
専門学校を卒業して、一番最初に就職した会社は出張が多い会社だったので車の免許は必要不可欠だった。ボクは面接の時に『今、自動車学校に行っています。』と答えた。
確かに嘘ではなかったし、その時は車の免許をとろうと思っていたのだ。
どこかで、AT限定免許の方が簡単にとれる、というのを聞いたので限定免許で自動車学校に行っていたのだが、当時、社用車の中にはまだMT車も多く、先輩には『AT限定じゃダメだから、免許取れたあとにでも限定解除した方がいいよ。』と言われていた。
会社にいた半年間は先輩が運転する車の助手席に乗っていろんなところに仕事に行った。
今考えると仕事でいろんなところに行ったのは後にも先にも最初の会社だけであり、あの半年間に北関東から名古屋に至るまで、実に様々なところに仕事しにいったのを覚えている。
さらに車に乗って遠出するのはボクはキライではないので、この会社を辞めたのはもったいなかったなあ・・・と今になって思うが、昔のボクは免許もなかったし、今とはかなり考え方も違ったから、会社の仕事をなかなか理解できずに戦力にもなれないことにすごいストレスを感じていた。
そもそも新入社員が半年で一気に戦力になることなんか、誰も期待していない。しかもたかだか20歳の若造が最初から何でも知っていたらそれこそおかしい。
しかしそういうことが分かったのはつい最近だったからその時のボクは会社を辞めることしか考えていなかった。
そんな折に右膝に違和感を感じるようになったのだ。
前述したとおり、ボクは膝痛を言い訳に仕事を休むようになり、そのままずるずると会社を休職し、その数ヶ月後には辞めることになってしまった。
膝が痛い、ということでしばらくは家でじっとしながら生活していた。
ボクにとっては昼間に家にいるというのは最高だった。
これは余談になるが、今の仕事で身体がある程度利く利用者さんが昼間から家でTVをみて過ごしているのを見ると非常にうらやましく感じることがある。
もちろん、家でなんもやることなくぼーーーっとしたい・・・ということではなく、ただ単に家で小説や絵を書いてたい・・・と思うことがけっこうあるのである。
さて昼間、家にいたボクは毎日、出かけもせず家で本を読んだり、小説を書いたりして気楽に生活していたが、自動車学校の教習がキチンと終わってもいなかったことにも実は気づいていた。
しかしボクは自動車学校に行くのも嫌で仕方なかったのだ。
こう考えてみると何ならできるんだ、お前は・・・、というぐらいボクは何も出来ない男だった。
とにかく何が嫌って教官が偉そうなのが気に食わなかった。
大体、なぜ自動車学校の教官というのはあんなに偉そうに教えるのかが分からない。命にかかわる事柄なので多少厳しくなってしまうのは仕方ない話だが、金をもらって授業するからにはそれなりの態度と言うものがあるだろう。
どう考えてもあのふてぶてしい態度は金を払うに値しない行為である。
大体、態度が悪い、教え方が悪い、口が悪いの三拍子そろった教官が多いから、教えてもらってもちゃんと理解できない事が多いのだ。
車庫入れに至っては、免許を取得したあとにようやく理解できたほどである。
あんな教え方しか出来ないのなら、全額返せとは言わないが半額は返金してもらいたいものだ。
自動車学校のことは黙ってそのままにしておこうと決意したボクは会社を辞めてからしばらくは自動車学校のことは忘れてすごすことにした。
まったくもって現実逃避もはなはだしい。
しかし現実はそんなに甘くはなかった。
会社を辞めて早や半年以上経っていてもまだ病院に通っていたボクだが、膝の痛みの原因は複数ある可能性があり、内視鏡を入れて簡単な手術をすることになったのだが、事前検査で肝臓のγ-GTPの値があまり良くないということで、手術が延期になってしまったので、さらに家にいる時間が長くなってしまった。
なにもせずに家にいる、というのはけっこう苦痛なものである。
小説を書くにしても、読書をするにしても、一日中そればかりするわけにもいかないのだ。
ボク自身も同じ毎日に飽き飽きしていたところではあったし、重いものを持ったり、走ったりしなければ多少なら歩いても良かったので、ボクは当時飼っていた駄犬の散歩にでかけることにした。
車の免許に関してはそのままにしておく予定だったが、これに関してもしっかり両親につっこまれた。
『このままだと免許がとれなくなるから、幸い今、仕事もしてないし、免許を取りに行きなさい。』
実際はこんなにやさしくは言われなかったと記憶している。
『免許なんかいいよ。電車で行動するから・・・。』
というボクの主張にうちの両親は関西人らしく『死ね!アホ!!』と言ってきた。
関東の方はこれを聞くと驚くが、これは別に本当に死ねといっているわけではない。
関東の言葉に通訳すると『いい加減に馬鹿なことを言うのはやめなさい。』という意味だ。
これは余談になるが、うちのかみさんなどは、ボクの両親のこの関西弁にビックリして目を丸くしている。
まあ・・・そんなこんなで、無職のボクに犬の散歩と自動車学校に行くという『仕事』が与えられたわけだ。
膝の治療は遅々として進まなかったから、ボクは毎日、自動車学校に通った。
朝、8時30分に自動車学校に行き、予約を入れ、そのあとキャンセル待ちをしながら一日を過ごした。
といってもキャンセル待ちは授業の始まる少し前に呼ばれるので、それまでに学校に行けば良かったから、ボクはその他の時間を本屋に行って本を購入し、喫茶店で読書したり、小説を書いたりして過ごしていた。
この頃は高校の同級生である太っちょの茨木くんがまだ専門学校に通っており、彼に電話をすればどこかしらで会えたので、二人でゲームセンターに行ったりして時間をつぶすことも多かった。
ボクが自動車学校に行き始めたのが、自動車学校の教習の期限切れの期日の少し前で、その時に仮免許までとれれば、あと半年の猶予が得られるということで、がんばって1ヶ月かそこらで仮免許をとった。
そのあと毎日のように自動車学校に通い、気がつけば年も明けて、免許が取れたときにはすでに初夏を通り過ぎ完全に夏になっていた。
免許がとれてからすぐに膝の手術が決まり、膝も治ったことを覚えている。
そのあとボクは仕事を探した。
いろいろ仕事を探したのだが、早朝から昼間までの石油コンビナートでの掃除をすることになった。
こうしてボクの長かったニートな日々は終わりを告げたのである。