工業高校卒業
1、工業高校卒業
以前にも話しをした通り、ボクは社会不適合者である。
今でこそ、ちゃんと仕事をし妻と共に生活し、社会生活を営んではいるが、それは世間一般ではごく当たり前のことであり、胸を張って威張れるレベルの話ではない。
ただ・・・ボク自身、未だに仕事がキライであることには変わりなく、20代の頃に比べれば多少はガマンもできるようになってはきているが、当時のボクはひどかった。
ひどいボクの話は後から振り返ってみると懐かしくもあり、自分の事ながら笑えもする。
だからそんなボクのおかしな思い出を文章にして皆さんと共有できたら・・・と思って筆をとってみた。
さて・・・。
ボクが工業高校を卒業したことについては過去にも話をしたことがあると思う。
そもそも工業高校を選んだきっかけは非常に適当だった。
つまり・・・『行ける学校がそこしかなかった』からなのである。
それでもボクは工業高校を選んだことに『手に職をつけたい』という適当な理由付けをした。プライドが高いわりに実力のないやつはそういった傾向にあるのかもしれない。過去のボクはそんな扱いづらい男だった。
だから先生もボクには『分からないことあるか?』と声はかけてくれなかった。
というのはボクは何も理解していないのに、いかにも『分かってますよ。』という顔をしていたからだ。これにはやはり何の根拠もないプライドが関係していた。
それに比べて、友人の保田くんなどはそういうものがないから、成績は悪くとも先生は彼にはしょっちゅう目をかけて教えていた。
そんなわけだから工業高校を卒業する頃にはボクには手に職があるどころか・・・何もなく、しかもやりたい仕事がないものだから、進路指導室にもほとんど行かなかった。そんな毎日を送っていれば卒業を目前にしても遅々と進路が決まらなかったのは当然だと言えよう。
夏休みなどは他のクラスメイトたちは、しっかり学校に通いながらも就職活動をしていたが、ボクは登校はするものの遊んでばかりいて、進路については何も考えずにいた。
何も考えずにいた・・・と言ったが、実は不安は大きかった。
何も考えずにいたわけではなく、何がしたいのかが分からなかったのだ。
ただ漠然と電気系の仕事に就くのは長続きしなさそうだったし、勉強は分からないことだらけだったから就職してもそんな自分がこの世界で生きていけるとは思えなかったのだ。かといって他にできそうなことはない。
友人たちは日に日に仕事を決めていくし、話をしていてもそれなりに『こうしていきたい』というビジョンがあった。
やりたいことと言えばその頃、小説家になりたい、とも思っていた。
しかしそれがいかに馬鹿なことかは、当時のボクでもよく分かった。ボクがいくらバカでも自分が書く小説ぐらいのものが物になるとは思っていなかったから、それは趣味にしよう、と当時から割り切っていた。
自分の才能に見切りをつけた・・・という奴である。
自分で自分の限界を見極めてしまってはいけない・・・ということが昨今よく言われる。
しかしそれは人生の分岐点においては、一歩間違えば大きな落とし穴になる場合も少なくないのである。
ボクは逆に、自分の限界を見極めることの方が人生においては必要なことだと思う。自分の限界が分かれば、分からないことやできないことは、それが得意な人間に頼ることができるし、逆に自分が得意な部分で他人を助けることができるからだ。
人は一人では生きていけないのである。
『ビジョンがない。』と母親に言われたのはこの頃だった。
ビジョンがない・・・そういわれても困る。
したいことがないし、やれそうなことがないからだ。でもプライドだけは高いからそう言われるとなんらかの答えを出したがる・・・ボクはそういう奴だった。
それで考えた道は進学という選択肢だった。
大学進学して、教員免許をとれば、夏休みはほぼ一週間は休める・・・という甘い考えから、先生になりたいと思ったのだ。それに先生ならなんとなく自分でもできそうな気がしたからだ。
その自信はどこから来ていたのか・・・。
今、ボクは自分のことながら過去の自分のことをつくづく馬鹿なやつだと思ってしまう。
『4年も無駄な時間を過ごす必要なんかない。まして浪人なんかしたらさらに無駄な時間が増える。』
口にこそ出さなかったが両親の表情はそう言っていた。
当たり前である。
今のボクでもそう言うだろう。
大体、進学したいのなら、こんな間近になって考えるのではなく最低でも高校2年の春ぐらいには結論を出しておくべきだ。現に考える時間はたくさんあったはず・・・。
その上で、進学して今の自分の実力に見合った大学に行きたい・・・というなら分かる。
しかし、やりたいことが見つからないからとりあえず大学に行く、というのは時間の無駄以上の何者でもない。
両親からの無言の反対に、自分の思いを言い出せなかったボクは、あっさり大学進学をあきらめた。
ここでも中途半端な賢さとプライドの高さが出たのだ。
もし、ここで正直にボクが『今は、やりたいことが見つからないけど大学の4年間でしっかりそのことについて考えたい。』と言っていたら、また結果は違っていたのかもしれない。しかしそういうことはバカなお願いであることは分かっていたし、分かっていながらその上で無理を承知でお願いする、ということはプライドが許さなかった。
ボクはこのプライドのために随分と若い頃は苦労してきた。
己を知り、自分の出来ない部分をさらけだす、ということを行うならおのずから人は自分を助けてくれるし、また自分も他人の力になれることがある、と知ったのはつい最近である。
さて、進学についてはなるべくお金がかからない方向で考えようと思ったが、お金がかからない学校というのは結果として受験も難しいわけで、全然勉強をしなかったボクに受かる学校などあるわけもなく、結果的には東京の池袋にある私立の金がかかる専門学校に1年行くことになったのだ。
専門学校というのは通常、短大と同じく2年制のカリキュラムのところが多いのだが、電気工事科という科を選考すれば1年で済むので、そちらを選んだ。
それはボクなりに両親の負担を考えた結果ではあったのだが・・・。
卒業前の1ヶ月は自由登校で学校は休みだった。
進路も決まり、ボクはつかの間の休みに羽を伸ばした。
池袋までの交通費ぐらいは自分で稼ごう・・・。
ボクはそう思って、イトーヨーカドーでバイトすることにした。
しかし・・・。
初めてのバイトは、目先の遊ぶ時間がなくなるのが嫌で、『通学の時間がかかりすぎる』という言い訳をして1ヶ月で辞めた。
もちろんだが・・・1ヶ月分の給料は池袋までの定期券を購入してなくなってしまった。