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あぁ、窓に窓に!
森の中での夜雀−ミスティア・ローレライの屋台
黒髪に酷薄な印象の三白眼とやる気のない空気を纏った男、川上が先に出された大吟醸酒をぼんやりと口に運んでおり、屋台の内側ではミスティアが鼻歌混じりに蒲焼きを炭火で焼いていた。
爽やかな香りでありながら重厚な口あたりの酒が川上の喉を熱くし、それが気付けになったのか蒙昧だった川上の眼の色がいくぶん変わった、そして煙草を取出して火を点ける、その時袖口が血に濡れている事に気付いた、無論川上の血ではなく返り血であった。
両切り煙草をゆっくり吹かしつつ襟首を引っ張ってみるとそこにも血の染みがついていた、というか服全体にポツポツと染みになっている、まぁいいか、紫煙を吐きつつ川上はそう思った。
それよりもと左に立て掛けていた一口の刀を手に取る、川上が元々持っていた愛刀ではない、野盗の一人の死体から拝借したものだ、刀は他にも野党達のが数口落ちていたが川上は何故か迷わずその一口だけを取った。
川上は刀を検分するようにまずは拵えを改めた、外装は打刀拵、鞘は多少傷があるが塗りは青味かがった細かい粒子が見える、なんと言ったか川上は考えた、青貝塗という類だろうが。
柄は鮫皮やエイの皮ではなく水気に強い牛革を下地に青糸を菱巻にしたものだ、そして柄自体が常の物より長めであった、抜刀や居合の使い手の中には長柄を好んで使った者もいるという、柄は薩摩拵えのそれにも近いか?川上はそう思った。
小柄はなかった、実用本位な拵えであったろう、川上は煙草を最後の一口を吸うと灰皿に押し付け消して酒を一口含んだ。
そして今度は鞘を払うと刀身を改めた、一般的な鎬造り、刃長約二尺四寸、反りは心持ち浅く、身幅や重ねは尋常か、全体的な体配は寛文新刀の姿か。
「お兄さん、その刀いいものなの?」
刀を鋭く検分する川上に目を向けたミスティアが手は動かしながら声をかけたが川上は手をミスティアに向けて待てをかける、刀を改めている時に無闇に口を開くと錆の原因になる。
そして肌や刃文を見る、地金は肌が細かく詰み明るく冴える、刃文は焼刃がやや広く互の目を主調とした乱刃、刃中には細かい白い粒子のような匂口が盛んについている、屋台の光に刃を透かすと刀身は下品にギラついたものではなく曇りがかったような刃だった、そして刀身には擦れ疵一つなかった、元の持ち主は大切に手入れしていたのが伺える。
川上は顔を上げ調理しているミスティアを見る。
「串を一本貸してくれ」
静かにそういう川上にミスティアは何も言わずウナギを打つのに使う鉄串を一本渡した。
川上は鉄串を目釘抜き変わりに柄から目釘を抜き鍔を押し上げて刀身を緩めて懐紙で刀身を掴んで刀を柄から抜いた、そして柄に納められていた茎を改める、銘は‥‥大和守安定とある、川上はへぇと思わず感嘆した。
安定の作刀は切れ味に定評があり江戸期には安定の刀で多く罪人の死体での試斬が積極的に行われその刃味に切り手が感心したと言う、川上の記憶によれば安定の刀は罪人の死体五体を重ねて両断した五ツ胴を記録したものがあった程だ、良業物50工に位列している名工であった。
出来のいい刃だとは思ったがかの名工の作だったとは、前の持ち主が大切にするのもうなずける。
川上は茎を持ったまま鉄串で刀身を軽く叩き音を見る、固いようで複雑な含みのある音、弾力性、粘りのある証拠、紛れもない業物だ思わず川上の口元に笑みが浮かんだ。
そして満足気に刀身全体を今一度眺めてから茎を柄に納めて目釘を打ち固定して懐紙で刀身を優しく拭い鞘に静かに納刀した。
安定を自身の左に立て掛け懐から両切り煙草を取出し浅く口にくわえつつ唐突に言った。
「いい物だ」
ミスティアはその言葉に顔を上げた、いきなりの言葉なので一人言かと思ったがこちらに向けて言ったらしい事から一瞬遅れて先程自分が問いかけた事を思いだした。
「その刀?どのくらいい物なの?」
川上はライターで煙草に火を点け一口吸うと、借りた鉄串を返しながら言った。
「命を預ける差料としては相応しい物だ」
さしりょう?単語の意味は分からなかったが刀を指しているのだろうとミスティアは解釈した。
「それに銘も名の知れた刀工だ、刀自体も出来が良い、刀剣としての値打ちもそれなりに良いだろうな」
「それは良かったねぇ、いくらくらいするの?」
「俺は鑑定士じゃないからそこまではわからないな」
口の端に笑みを浮かべつつ川上は答えた。
「はいお待ちどうさま」
そこでミスティアが焼き上がったヤツメウナギの蒲焼を出した、川上は頂くよと一言言って左手に箸を取り柔らかく焼き上げられ香ばしい香りのウナギを一口口に運びゆっくりと咀嚼して一言
「美味い」
と、洩らした。
「そうでしょう、焼き鳥なんかよりもウナギだよ、目にもいいよ」
賛辞に気を良くしたのかそう笑顔で語るミスティアに何故焼き鳥?と思いつつ酒も飲む、ウナギの脂の旨味が口の中で広がるように酒で蘇って感じられる、最高の酒と肴だ。
「そういえばお兄さん、何であんな団体さんと戦ってたの?」
「成り行き」
一口で済ませて残った酒を飲み干した、開けたグラスを差し出すとミスティアが酌をする。
「人間も色々あるみたいだねぇ」
「さっき歌っていたな」
労ったつもりなのかも知れないミスティアに川上は全然関係ない事を問いかけた。
「うん、聞いてたの」
「綺麗な歌だった」
ウナギを口に運びつつそう感想を述べた。
「もっと聞きたい?」
歌が大好きなミスティアは笑って問い掛けて、それに川上も珍しく機嫌良さげに口元に笑みを浮かべてグラスを傾けた。
「是非とも」
その夜は夜雀にしては珍しい鈴の音のような優しく澄んだ歌声が森の中でずっと奏でられた。