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今日は涼しいな‥‥
紅魔館の廊下を疾走する男がいた。
別に逃走中の侵入者といった者ではない彼は館に雇われたれっきとした使用人、川上だった。
なぜ彼が走っているかなど言うまでもない彼が悪魔の妹とのリアル鬼ごっこ中だからだ。しかし吸血鬼の身体能力は天狗に匹敵するスピードを誇る。いくら鍛えようとも惰弱な人間と文字通り化け物の吸血鬼で鬼ごっこなど成立するのか?。
川上はフランが100数え、追跡してくる前に掃除用具入れの小さな倉庫へとたどり着き扉を開け放った、そして前々から眼をつけてたモノを取り出す。それはなんの変哲も無いただの木製のモップだった、しかし川上はそれを手に小さく笑って呟く、上々だと。
川上はモップのヘッド部分を踏みつけ力任せに持ち手からヘッドを外す、それでモップは持ち手部分のみ、つまりただの棒になった。握りやすさを考慮した太さと絶妙な長さ、棒術の得物としては文句がない、いや4尺より長いくらいの尺から言えば棒と言うより杖か?。
川上はそれを握り少し手の中で扱くとヒュッと一振りした、振りながら手の内で棒を滑らせるため間合いの伸びる独特の打突だ、そのため彼の棒術と対峙した者は間合いを見誤りたいがい気付いた時には天を仰いでるか悪ければ釈迦の下まで飛ばされる事となる。
とりあえずの対抗手段を得た川上はまた走る!。
そしてある一室に飛び込むとすぐ扉を閉めるもうフランは追跡を開始したはずだろう、川上はそう考えた。
「ガッ‥‥ゲホ‥ゴホ‥‥あ‥なた‥ゴホいきなりげほなに‥‥」
そして川上が飛び込んだ部屋の主、レミリアはティータイム中だったためいきなりの川上の闖入に驚いて盛大にお茶に咽ていた。
「いきなり失礼した、だが静かに」
そう川上は口のそばで人差し指を立て、静かにとジェスチャーした。
「なんなのよも~さくや~」
「はい、ただいま」
盛大に茶を噴出してしまったレミリアが咲夜を呼ぶとほとんどタイムラグなく咲夜が現われる。
「で、貴方はこんな所で何をしているのかしら?」
そう懐から取り出したダガーをちらつかせながら咲夜は詰問する。
「すまない、ここがお嬢様の部屋とは知らなかった寛いでいた所を邪魔したのは謝ろう」
そう川上は隙のない動きで扉側の壁に張り付き外の気配を窺うようにしながら謝罪する。彼は一度この部屋に来たことがあるが場所自体は忘れていたらしい、ならレミリアの部屋に飛び込んだのは単なる偶然なのか?。
「ゲホ、そもそも貴方は何しているのよ」
まだ少し咽ながら紅茶で濡らしてしまった服を咲夜に拭いてもらいつつレミリアは川上に聞く。
「鬼ごっこ」
「誰と?」
「君の妹とだよ」
あぁ、フランと‥‥等とレミリアが呟いているのを尻目に壁に張り付いている川上の雰囲気が変わった、さながら空気に溶かすように気配を殺す。と、ノックもなしにいきなり部屋の扉がバアン!と開かれた。
「やっぱりここから匂いがする、お姉さま!ここにお兄様こなかった!?」
フランは部屋の中央に歩みを進めながらレミリアに詰問する、それと同時に扉側の壁に張り付いていた川上はフランの死角を縫って開け放たれたままの扉から気配無く退室した。まるで暗殺者さながらだとはたから見ていた咲夜は感心した。
「来たわよ‥‥たった今出て行ったけどね」
「あれ?入れ違いになっちゃったの?おかしいなここが一番お兄様の匂いが強いのに」
言いつつ隠れてるんじゃないかと思ったのかクローゼットを開けるフラン。それを尻目にいつの間にあの男がフランのお兄様になったのかと邪推してしまうレミリア。
「ほら、そんなところにはいないわよ、早く追わないと逃げられてしまうわよ」
「む~、絶対捕まえてやるんだから」
そういってフランも部屋から飛び出していった。
「全く慌しいわね」
レミリアはそう呟き深く椅子に座りなおすと咲夜の煎れなおした紅茶に口をつける。
「でも妹様も楽しそうですし良かったのでは」
「そうね‥‥フランさえ幸せでいてくれるなら私はそれで‥‥」
咲夜の言葉に遠い眼をして誰に聞かせるでもないように呟くレミリア。
「お嬢様‥‥」
咲夜はそれ以上かける言葉が見つからなかった。約500年もの間手段を選ばず、それこそ自らが憎まれる事も辞さずに『破壊』という絶望的な運命を背負ったたった一人の愛する家族を守る為に全力を尽くしてきた小さな少女の背中がそこにはあった。
──守る。
だから咲夜は昔誓った決意を新たにする。
──そう守る。
この小さな背中で全てを背負おうとする吸血鬼を。
咲夜は命尽きるまでこの身を刃として愛しい主を守り抜くのだ──
「あのーどうかなされたんですか?」
今川上は曲がり角の壁に例によって張り付き気配をうかがっていた、相手はこちらの匂いを追跡してくる、故にただ隠れながら逃げるだけではあっさり捕まりゲームオーバー、そのため川上も少しは対策を考えているのだが、棒を手に持ち壁に張り付く怪しい風体の川上に流石にメイド妖精に見咎められた、蒼い髪を腰まで伸ばしアニスとは違い妖精としては長身で丁寧語のメイドだった。
「気にしないでくれ、こう見えて仕事中なんだ」
妹様のお守りというな、と川上は口内で呟く。しかしそんな川上を長身のメイドはジト目で見据え言う。
「あの、こう言ってはなんですけど凄く怪しいですよ」
そう川上への言及を止めようとしないメイドに川上はちっと舌打ちした。
「すまないがいま君に構っている暇はない、少し黙れ」
そう言うが否や次の瞬間メイドの後ろに回りこんでいた、右手に持った棒が首に食い込み簡単にメイドの動きを捕縛していた、そのまま左手、中指と親指で人体急所、首の経絡を強めに押さえる。1秒、2秒、3秒でメイドの体が完全に脱力したので川上は拘束を解く、完全に意識が飛ばされたメイドはその場に崩れ落ちたが川上はもうすでに壁の角際に戻っていた、来る!川上は身構えた。
フランはレミリアの部屋から出た後廊下を飛ぶように走っていた、川上のタバコ交じりの匂いを辿って、確かに川上は比較的近くにここを通ったのがわかった、匂いはだんだん強くなる、近い!そう思って角を曲がった時──
「え──」
フランの天地は逆転していた。
川上は自分が潜む角にフランが飛び込んできた時ほんの一瞬で彼女の腕を取り棒を反対側の腰に引っ掛けた、それだけでフランは自分自身が突っ込む勢いのまま宙に投げ出された。その時点でもう川上は走りだし逃走に移っていた、本来なら投げたら必ず当身等で追撃し殺すか無力化するのが柔術である、しかしこれは鬼ごっこだ殺し合いや立合いじゃない。単に隙を作るすべとして棒術を使った。しかし全うな鬼ごっこに武器術を持ち出すのもどうかと思えるが、人間と吸血鬼の身体能力差を考えたら多少のアドバンテージがなければ勝負にならないだろう。
一方フランは受身といった術を知りえない──と言うより人間程度が必要とする技等吸血鬼には必要としない──為思い切り首から床に落ちた。
「あいたたた‥‥今のがお兄様が使うぶじゅつ?って奴」
事実フランはほぼノーダメージで立ちあがってきた、今の受身を取らず首から落ちたのがフランではなく人間なら頚椎骨折で即死か良くて全身不随だろう。
「気がついたら宙に投げ出されてるなんてなんか魔法みたいな感じ、美鈴が使うのと全然違うのね」
「やっぱりお兄様は面白いわ、もっと遊ぼうもっと!」
そういいフランは川上の逃げた方へと走りだす、水切りの石のように弾けるような疾走だった。角を曲がると逃走する川上の背中を補足した、と同時に爆発的な脚力であっという間に川上にせまるとそのまま川上を捕らえる事はせず彼を追い越し川上の進行方向に立ちふさがった。
しかし川上も疾走を緩めたりしなかった彼は疾走の勢いそのままに猫の如く足のバネで壁に跳躍すると
さらにその壁を走るようにさらに跳躍し天井を足場に蹴りフランの後ろにしなやかに着地した、まさに猫そのものの超人的な体裁きだった。
「わぉ、お兄様器用なんだね猫さんみたい」
「さすがに壁走りは道場でも俺を含めた僅かな高弟しかできなかった動きだからな、しかし人を猫呼ばわりするのはいいが君も充分猫っぽい所があるぞ」
「じゃあ私たち猫さん仲間だね」
「まあどうでもいいけどな‥‥」
川上は無感情にそういうと棒を正眼に構える、さすがにこの状況で背中を向けて逃走に移るほど彼は愚かではない。
「じゃあお兄様を捕まえて私のモノにしちゃうけど覚悟はいい?」
別に捕まってもお前のものじゃないけどなと川上は心中呟く。その瞬間川上を捕縛しようと伸びてきたフランの左手を棒で絡めとりながら川上はフランの懐に入り身する、川上がフランの肩を取った瞬間フランはまた先ほどと同じく投げられると思い対抗しようとした瞬間に先ほどの投げとは正反対のベクトルの投げで前のめりに床に思い切り叩きつけられた。
フランが復帰する前に川上より遠くに逃げようと近くにあった窓を棒で砕くとそこから中庭に飛び出した、二階からの跳躍だったが川上は猫のように衝撃を膝で吸収し柔かく着地した。
「あっずるい!」
顔をあげたフランは窓から飛び出す川上に声を出す、まだ日中、外は吸血鬼の天敵の日が降り注いでる、そんな所に逃げるのは反則だと抗議しようと窓から身を乗り出すと中庭に下りた川上はすぐ館内に戻っていく。1階だ、1階で今度こそ捕まえるそう考えてフランは階段へと走った。
「必ずつかまえるんだから♪」
なおこの鬼ごっこの結果は川上が一時間粘ったが最後は体力切れでフランに抱きつかれて捕縛され勝負がついた。
ちなみに同刻アニスは図書館のテーブルに突っ伏してスヤスヤ寝ています