132
紅魔館、客室。
川上は一人。部屋の真ん中で佇んでいた。
目を瞑り己を見直す。そして目を開けると同時。腰の刀が閃いた。
装飾品として飾られた壺が机ごと両断された。スプリングに入ったベッドが真ん中で分断されゴッと切り口が床に当たる。机が斜めに二分割され、椅子が四つに開かれる。
棚に置かれた数多の蒸留のビンが纏めて一刀のもとに切り断たれた。
焼き物など刀では本来斬れぬものすら斬り。金属部品ごと家具を全て両断する。もはや物理的に不可能だとしか思えぬ斬りをなす川上。
しかし
刀を、固山宗次を改める。刃が細かく溢れていた。そして刀身の中程には刃から峰方向に走る一つの亀裂。刃切れが生じていた。
それは折れる前兆の疵だった。あれ程無茶苦茶な斬りをすれば当然の事、いやむしろ折れぬ事が不可解なくらいだ。
もう少しだと思ったのだが。
川上はそう思った。ずっと工夫し続けていた一太刀。あともう一歩が進めればと練り続け、ついには鬼を斬った。
しかし、この体たらくはどうだ、一歩進んだと思ったら三歩下がってしまう。明らかにあの時の剣の冴とは比べものにならない。
遠くなってしまった。川上はそう思いながら刀を納めて煙草に火をつけた。
あの日、あの時反妖怪組織達と交戦した咲夜が命の危機から逃れられたのは運命の目を読むレミリアのお陰であったと言えるだろう。幸い膝下の傷も浅手であり手当も済んだ。
彼らはおそらく人里に少数いる妖怪に恨みを持った過激派であろうという事は咲夜も彼らの言動から読み取れた。
咲夜は事情を正直に報告した。川上を目的としていたらしい事。自分の判断で交戦した事。そして彼らが何らかの手段を用いて咲夜の能力を封じた事など。
「ふーん」
レミリアは何処か不機嫌そうに足を組んで椅子に座り、川上と咲夜の事情説明を聞いていた。
「で、貴方はその連中に恨みを買った心当たりはあるの?」
「以前確かに妖怪を目の敵にするような事を言っていた連中には会った」
「で?」
「試し斬りに使った」
レミリアの問いかけに川上はそう答えた。咲夜は呆れたように首を振り。レミリアは一つ頷いた。
「そりゃ恨みも買うでしょうね」
レミリアの言葉にもっともだという風に川上は頷いた。自身の行為によりレミリア達に累が及んでいる自覚はあるのだろうか。
丁度、先日慧音な言われた通りになりつつある事に。
「今回のも咲夜が殺しちゃったし、そいつらも黙ってないでしょうねぇ」
軽く上を向いて考える様子を見せつつレミリアがのんびりした口調で言う。その時一番に反応に見せたのは川上だ、それまでレミリアと向き合っていたのだがすぐに横に向き直った。
その様子を見て咲夜が、次いで驚いて数瞬遅れたレミリアがそちらを見た。
「では彼を何とかすれば宜しいのではないでしょか」
そこにいつの間にか立っていた、綺麗な顔立ちに不吉な微笑みを浮かべる八雲紫が横合いから意見してきた。
彼女相手に何処からいつ入ったのかと問う事は愚問である。しかし、川上以外の二人はあからさまに警戒を露わにした。
「八雲紫……!何をしに来たの、呼んだ覚えはないのだけれど」
レミリアが驚愕を見せながらも、お呼びではないと言ってのける。無論この登場に不穏なモノを感じているのは明らかだ。
「呼ばれた覚えもありませんわね。まぁ、今日はちょっとアドバイスというか提案しに来ただけですわ」
「頼んでいない。だがまぁいいわ言いたい事があるなら聞こうじゃないの」
悠然とした態度の紫に、レミリアは一旦落ち着いて寛大な対応を見せた。英断である、この老獪な相手にムキになればアッサリとこの場のペースは持って行かれるだろう。
咲夜はもしもの時レミリアを守れるようさりげなく立ち位置を変え、川上は眠たげな眼で煙草を咥えて火をつけた。
「有り体に言えば、彼が狙われてる限りこの館も彼自身も危険ですわ。ならば一つに彼に外の世界に戻ってもらう事」
「彼はもう過激派の方々に追われる必要もなく。後は貴女方はそのような男など知らぬ存じぬで通せますわ」
紫の提案にレミリアは頬杖をつきふっ、と一つ鼻で笑った。色々反論はあったが先を促した。
「で、それだけ?」
「もう一つには貴女が彼を殺し。その首を土産に謝罪する事。こちらのほうが確実に向こうの溜飲は下がりますわ」
バキ、と音が立った。咲夜がそちらを見るとレミリアは牙を剥くようなあからさまな怒りの形相を浮かべていた。彼女は椅子の肘掛を握り潰してしまっていた。
「私の大事な使用人を傷付けた奴らのために、私が自分で選んだ使用人を殺してその首を持って驕りたかぶった人間達にこの私が頭を下げろと。そう言いたいのか」
「あくまで選択肢の一つですわ。選ぶのは本人。貴女です」
底冷えするようなレミリアの声にも紫は微笑みを崩さずに答えた。
それを見て激昂しかけたレミリアは一旦落ち着きを取り戻す。激情すれば相手の壺だと思い出した。
「なるほどね。全く意味のない選択肢の提案、礼を言うわ。ただ、まずもって貴女がわざわざ口出しするほどの事かしら?」
「と、いいますと?」
レミリアの言葉に紫は手にした雅な扇子で笑みを浮かべた口元を隠す、何処か妖艶な仕草と共に応じた。
「その程度の有象無象。何十人、何百人いるかしらないけど恨みを買おうが買うまいが私にとっては痛くも痒くもない、それだけの事よ」
「傲慢ですのね」
レミリアの言葉に紫はそう言った。口元は扇子で隠されていたが目元は笑っていた。
「如何にも。そんなつまらない奴らより、私はこの子たちの方が可愛いのよ。それの何が悪い」
「いいえ、何も悪くは無いわ」
レミリアの強い我の籠った言葉に紫はパチンと扇子を閉じて目を細めてニコリと笑って応じた。
「ただ、先程も言ったように決めるのは常に本人次第です」
「川上さん。単に安全を考えれば貴方には外に戻るという選択もある、それだけを伝えておきますわ」
紫が登場してから我関せずと二本目の煙草を吹かしていた川上に向けて紫はそれを言った。
「承知した」
川上はとりあえずと言った様子で返答だけした。紫の言動に少し眉を顰めたのはレミリアだ。
「理解出来ないわね。自分で連れてきて、帰れと言うの?」
「あら、私がいつ彼を連れてきたなんて言いましたかしら?」
レミリアは川上は紫の思惑で幻想入りしたものとアタリをつけていての言葉だったが、笑みを浮かべたまま紫は含みを持たせたように煙に巻くだけだった。
「では、皆様良く考えてみて下さい。私は失礼しますわ。御機嫌よう」
それだけを言い残し、八雲紫は彼女の代名詞であるスキマを開くと消えて行った。
後に残されたレミリアは不機嫌そうに鼻を鳴らし。咲夜は少しの不安を顔に浮かべて二人を伺い。川上は三本目の煙草に火をつけるだけだった。
割とラストも近くなって来ました。