仕事じゃなくて、デート?のお誘い ~告白
大樹は廊下の角で、彩を見つけた。
ヒールの分も加わって、彼女の方が少し高い。視界のほんの少し上にある横顔。整いすぎていない、けれど目を引く輪郭。細い首筋。呼吸に合わせて、静かに上下する喉。
視線が吸い寄せられる。
通り過ぎるつもりだった。
足が止まる。
迷いは、ほんの一秒。
「・・・彩さん」
意識して低くめに、落とした声。自分でもわかるくらい、意図的に。
彩の肩がびくりと揺れる。
振り向いた瞬間、近い。彼女が半歩下がる。背中が壁にふれる小さな音。その反応に一瞬近づきすぎたかと思う。
大樹はそれ以上、追い詰めるつもりはない。
ただ、動かない。
それだけで距離は十分、近い。
見上げる。
睫毛の影。
わずかに潤んだ瞳。
少し開いた唇。
息が、届きそうだ。
「すみません、急に呼んで」
「いえ・・・大丈夫です」
視線が合わない。合わないのに、彩の頬が僅かに強張る。
やっぱり、距離がある。
昨夜、ふとスマホを閉じた後に思った。もしかして、インスタ見られたかもしれないな、と。別に誰に見られても困る内容じゃない。それでも彼女に見られるのは少しだけ意味が違う。
でも今日は、それを確かめるためじゃない。
「ちょっと、お願いがあって」
「お願い、ですか?」
少し警戒した声。彩の喉が、また大きく動く。その動きを追ってしまう自分に気づく。
「俺、まだ地元ネタ弱いじゃないですか」
「・・・そうですね」
即答。容赦ない。
その正直さに、笑いが漏れる。
この人は、迎合しない。
だから、信じられる。
「ですよね。商談で「あそこの和菓子屋」とか言われても、愛想笑いしかできなくて。雰囲気で乗り切ってて」
「乗り切れていると思いますよ」
庇うような言い方。
自分の評価より、相手の体裁を守ろうとする。
そこだ。
大樹が惹かれているのは。
自分をよく見せようとしないくせに、他人にはきちんと向き合うところ。
半歩、距離を詰める。
詰めすぎないように。
「正直限界、きてます」
わざと、肩を竦める。
彩の口元が小さく緩む。その変化を見逃さない。
更に半歩だけゆっくり距離を詰める。詰めすぎない位置で止まる。
「今度、時間もらえませんか」
一拍置いて、続ける。
「街、案内してほしいんです」
沈黙。
彼女がほんの少し横を向く。
その動きで、耳元が近づく。
その無防備さに、喉が熱くなる。
「彩さん」
さらに低く声を出す。
彼女の呼吸が止まる。
声を落としても、確実に届く距離。
「彩さん」
囁くように。
胸の奥が、熱を持つ。理性が、確実に削れている。
視線が、ゆっくり落ちる。
唇。
柔らかそうな線。
そこから視線を上げるのに、時間がかかる。
あと、ほんの少し。
本当に、ほんの少し顔を寄せれば。
息が混ざる。
それがわかる距離。
自分の呼吸が、彼女の頬にかかっているかもしれない。
無意識に、体が前に傾く。
止める。
ぎりぎりで。
切り替えろ。まだだ。まだダメだ。大樹は心の中で呟く。
「他に詳しい人いますよ・・・小林くんとか米山さんとか」
予想通りの返答。自分を選ばない方向へ逃がす。
「いや」
被せてしまう。少しだけ、強くなる。
「彩さんが、いい」
声が掠れる。
抑えているのに、温度が滲む。
彼女の指先が震える。その指が、わずかにこちらへ向かう。
ふれない。ふれないまま、空気だけが震える。数ミリの距離が、遠すぎる。
「どうして、私なんですか」
掠れた声。
見上げたまま、ゆっくり言う。
「一番、ちゃんと向き合ってくれるから」
それだけじゃない事はわかっている。
「目を逸らさないでくれるから」
今、この瞬間みたいに。
この熱が伝わればいい。
距離は、もうほとんどない。息が混ざる寸前。あと一歩。踏み出せば、きっと戻れない。その境界線に立っている。
本気で、踏み出しかける。
息が重なる寸前まで、距離が縮む。ふれていない。でも、もうほとんど距離はない。
その瞬間。
廊下の奥から、足音。
現実が割り込む。
はっと息を引く。
わずかに距離を戻す。
空気がほどける。
けれど、完全には冷めない。
「仕事として、お願いします」
いつもの人懐っこそうな声で大樹ははっきり言う。
それでも、まだ低い。
「助けてもらえませんか」
● ●
「助けてもらえませんか」
ずるい。
あんな距離で、あんな声で。掠れているのに、芯がある。
普段の彼は明るい。軽やかで、人懐っこくて、場を和ませる声。
なのに今は違う。落とした声の奥に、熱を含んだ重さがある。胸の奥に直接触れてくるみたいに。
断る理由を探す。でも見つからない。理由もなく断れば、ただの冷たい人になる。断るには、距離が近すぎる。視線が、強すぎる。
睫毛の影が揺れる。その奥の瞳が、まっすぐ絡んでくる。射抜くわけじゃない。
包む。
それなのに、縛られる。
喉が乾く。
彼の呼吸が、頬のあたりをかすめている気がする。
気のせいかもしれない。でも、確かめる勇気がない
むしろ。
少しだけ嬉しい。あんなふうに見つめられて。見上げる形なのに、視線の強さで包まれる。あんな声で名前を呼ばれて。耳の奥に残る、あの温度。
「・・・半日で足りますか」
口にした瞬間、自分でも驚く。
「足ります」
即答。その迷いのなさが、危険だ。笑えば無邪気なのに。今は笑っていない。あの目は、完全に大人で。口元は静かで、目だけが熱を持っている。
喉仏が、ゆっくり上下する。
視線が、そこに落ちる。落ちた自分に気づいて、慌てて戻す。
でも、遅い。
彼は見ている。
ふれていないのに、体温が伝わる錯覚。見られていた。
あんなに長く。
あんなふうに。
視線が一瞬落ちたときの、あの静かな色気。息が止まりそうになった。
わかっている。
あれは仕事のお願い。
でも。
彼の色気は、無自覚すぎる。低い声が胸に落ちるたび、鼓動が揺れる。目を逸らさないで見上げてくるあの視線。身長は自分のほうが少し高いのに、なぜか支配される感覚。ふれられていないのに、追い詰められる。あの手に触れられたらどうなるのか、想像してしまう。指は細いのに、骨の線がはっきりしている。強く掴まれたら、逃げられない気がする。
違う。
これは仕事。
クライアント対応の準備。
「日程は後ほど調整しましょう」
事務的に言う。
「ありがとうございます、彩さん」
また名前を呼ばれる。
低く、ゆっくり。
今度は、わずかに息を含ませて。わざとじゃない。わざとじゃないはずなのに、そう聞こえる。
そう思いたい自分がいるだけかもしれない。
勘違いだ。勘違いだ。呪文のように唱える。
でも、今日は少しだけ近い気がする。
廊下は、いつもの廊下なのに。
デートじゃない。仕事。仕事。何度も心の中で言い聞かせる。
それでも。
街を並んで歩く姿を、想像してしまう。隣で響く低い声。人混みで、自然に近づく距離。見上げる目が、また真っ直ぐに絡んできたら。
あの視線を、外で向けられたら。
ほんの少し。ほんの少しだけ。楽しみにしている自分がいる。
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