崖の上から見た遺跡
遺跡を離れ、谷を回り込むようにして登ると、
岩肌の露出した崖に出た。
息が上がるほどの高さではないが、
振り返ると、足元が一気に遠く感じられる。
少女は先に立ち、風を受けていた。
髪が揺れ、服の端がはためく。
ここでは、歌わなくても、
空気がすでに動いている。
少年は、遺跡を見下ろした。
円形劇場は、はっきりと見えた。
全体の形、段差の配置、
そして、それを包み込む緑。
近くで見ていたときには分からなかったことが、
一気に視界に入ってくる。
遺跡は、孤立していなかった。
谷の地形に、自然に組み込まれている。
水の流れ、風の通り道、
植物の繁殖域。
すべてが、
円を中心に、ゆるやかに配置されている。
「……守られてる」
少女が言った。
誰に、とは言わない。
少年は、ノートを開き、
初めて“描く”ことに専念した。
正確さよりも、関係性。
崖、谷、遺跡、森。
線は歪み、比率も曖昧だ。
だが、配置だけは間違えない。
「ここから見ると……」
少年は言葉を探し、
結局、言葉を使わなかった。
遺跡は、巨大でも、威圧的でもない。
むしろ、小さく見える。
だが、その小ささは、
「取るに足らない」という意味ではない。
ここは、目立たないことを選んだ場所だ。
少女は、遺跡から視線を外し、
空を見上げた。
「歌、遠くまで届きそう」
そう言って、短く旋律を流す。
強くはない。
風に混じる程度。
声は、谷を越え、
どこかへ流れていく。
少年は、その様子を見ながら、
ふと、考えた。
もし、この遺跡が目を覚ましたとき、
それは、誰に見つかるのだろう。
大勢か。
それとも、
ごく少数か。
あるいは、
誰にも気づかれないままか。
崖の上から見ることで、
遺跡は「中心」ではなくなった。
風景の一部になった。
その事実が、
少年には重要だった。
中心に立つことだけが、
関わることではない。
離れることで、
初めて分かる形もある。
少女は、歌を止め、
少年の隣に立った。
二人は並んで、
遺跡を見下ろす。
「……ここ、名前つけなくていいね」
少女が言う。
少年は、少し考えてから、
静かに頷いた。
名前を与えれば、
意味が固定される。
だが、この遺跡は、
まだ、そういう段階ではない。
崖の上の風は強く、
二人の影は、岩に細く伸びる。
遺跡の影は、
ここからでは見えない。
だが、少年は確信していた。
あの円の中心で、
影は今も、集まり続けている。
二人は、しばらく黙ったまま、
崖の上に立っていた。
近づく前に、
一度、遠ざかる。
それは、
遺跡を起こすためではなく、
遺跡と同じ時間を歩くための、
必要な距離だった。




