円形劇場の影の長さ
太陽が高くなるにつれて、影は短くなるはずだった。
だが、円形劇場では逆のことが起きていた。
少年は、石段に落ちる影を見つめながら、
何度目か分からない確認をしていた。
段差の影が、ゆっくりと、しかし確実に、
中央へ向かって伸びている。
時間の進み方が、外と違う。
そう考えた瞬間、少年はその考えを修正した。
違うのは時間ではない。
測られているものが違うのだ。
「影が……集まってる」
少女の声は低く、抑えられていた。
歌う前の声だが、今日は歌に変わらない。
少年はノートを開き、
初めて、遺跡そのものを記すページを作った。
日付、天候、時刻。
そして、影の位置。
だが、影の長さを数字で表すことはできない。
少年は、段差の形をそのまま写し取り、
影の縁をなぞるように線を引いた。
それは、記録というより、写経に近かった。
「昨日より……中心が近い気がする」
少女は、段の上から、中央を見下ろしている。
降りようとはしない。
視線だけが、そこにある。
中央は、空いていた。
何も置かれていない。
ただ、石が円を描いているだけ。
それなのに、
そこには“場所”以上の意味が集まっている。
少年は、声を出すかどうか迷った。
ここで声を使えば、
何かが動くかもしれない。
だが、昨日までの積み重ねが、
彼に別の選択をさせた。
声を出さず、歩く。
石段を一段、下りる。
靴底が触れた瞬間、
影が、ほんのわずかに揺れた。
少女は、その変化を見逃さなかった。
だが、歌わない。
二人は、ゆっくりと、
影の動きと歩幅を合わせる。
一段、また一段。
影は、逃げない。
だが、先回りもしない。
中央まで、あと半分ほど。
少年は、ふと気づいた。
影は、二人分ある。
だが、それは別々ではなく、
どこかで重なっている。
自分の影と、少女の影。
完全に一致することはないが、
中央へ向かうにつれて、距離が縮まっていく。
「……ここ、歌う場所じゃない」
少女が、ぽつりと言った。
少年は、その意味をすぐに理解した。
歌は、外へ広がるためのものだ。
だが、この中心は、
集めるためにある。
声も、歌も、
今はまだ、外にあるべきだ。
二人は、中央の手前で立ち止まった。
影は、そこから先へ進もうとしない。
太陽がさらに移動し、
外の世界では影が縮んでいるはずの時間。
だが、ここでは、
影は“待っている”。
少年は、ノートを閉じた。
今日は、これ以上書かない。
少女は、目を閉じ、
短く息を整えた。
だが、歌わない。
二人は、同時に気づいていた。
この場所は、
呼ぶためにあるのではない。
答えるためにある。
だが、
何に答えるのかは、
まだ、分からない。
影が完全に重なる日が来る。
そのとき、
中心は、ただの石ではなくなる。
二人は、何も起こさないまま、
再び段を上がった。
円形劇場は、
今日も静かだった。
だが、影の長さだけが、
確実に、変わっていた。




