記録に残らない名前
アイレックスに関する正式な調査報告書は、
再生から三年後にまとめられた。
提出者は、
中央研究院・遺構管理部。
文書の体裁は整っている。
測量図、年代推定、植生変化の記録、
水脈の再開状況、
そして「自己修復的構造物」としての仮説。
どれも、
正確だった。
一点を除いて。
最初の項目、
「発見者」欄。
そこには、
名前が記されていなかった。
空白ではない。
「該当記録なし」
そう、
明記されている。
初期調査団は、
すでに存在していた。
だが、
彼らは遺跡を“廃墟”として扱っている。
再生後の姿を
初めて確認した者たちは、
確かにいる。
それでも、
その前段階――
眠りから目覚める瞬間に
立ち会った者の記録は、
どこにもない。
証言は、
いくつか存在した。
・若い二人組を見た
・片方は歌っていた
・もう片方は地面を見ていた
・遺跡が光った
・風の向きが変わった
だが、
どれも一致しない。
日時も、
服装も、
性別すら、
曖昧だ。
研究院は、
それらをこう分類した。
「再生初期に発生した
集団的錯覚、
あるいは象徴化された噂」
記録には、
向かない。
報告書は、
静かに結論づける。
アイレックスの再生は、
長期間にわたる環境変化と
地下構造の自律的反応によるものと考えられる。
特定の個人の介入を示す
客観的証拠は確認されていない。
正しい。
少なくとも、
紙の上では。
報告書の末尾、
付録として添えられた
未整理メモがある。
本来、
廃棄されるはずのものだ。
そこには、
手書きの走り書きが残っている。
石が、
歌に反応したように見えた。
理由は説明できない。
だが、
あの瞬間、
誰かが“起動した”のは確かだ。
署名はない。
研究員の誰が書いたのかも、
分からない。
正式記録からは、
削除されている。
それでも、
その紙は
なぜか捨てられなかった。
ファイルの一番後ろに、
挟まれたまま、
保存されている。
名前がないから、
責任もない。
名前がないから、
検証もできない。
だが、
名前がないことで、
否定もできない。
こうして、
二人は
記録から消えた。
英雄としてでもなく、
罪人としてでもなく。
ただ、
「該当記録なし」として。
その空白は、
後に多くの研究者を
苛立たせることになる。
なぜなら、
アイレックスは今も、
誰かが歌うと、
わずかに風向きを変えるからだ。




