第八話:その手は誰かを救うために
――彼女の噂は、辺境を越え、ついに帝都へと届いた。
“追放されたシェリル家の令嬢が、辺境で第二の領地運営を成功させている”
“治安向上、収穫量倍増、そして――不可解な事故死の連続”
耳を澄ませば、影に潜む者たちのざわめきが聞こえる。
「まさか、まだ“生きて”いたとはね……アメリア・シェリル」
一方、村では。
貴族の一団が視察と称して村に滞在していた。
その中には、かつてアメリアを見下し、追放に一役買った人物――
帝国評議会の一角、“名門カルスタイン侯爵家”の嫡男、ラズロもいた。
「こんな寒村に、まともな管理ができているとは意外だな。
まるで“誰か有能な者”が影で操っているようだ」
彼の言葉に、村の長老はにやりと笑った。
「ええ、“お嬢さん”が全部やってくれたんですよ。薬も橋も、井戸も……」
その夜。
アメリアは、白のドレスに羽織物を合わせて視察の晩餐会に現れた。
その衣装は、かつて彼女が社交界で着ていたものによく似ていた。
裾はやや短く調整され、戦闘時にも動けるよう工夫されている。
腰元には装飾の小瓶。中には香油と……微量の毒。
彼女は客の一人としてふるまいながら、冷ややかな視線を送るラズロに静かに近づいた。
「ごきげんよう、ラズロ様。辺境の空気はお気に召しましたか?」
「……この声、まさか……アメリア……?」
「ええ、“汚いごみのお掃除”を続けながら、なんとか生き延びておりますわ」
ラズロの顔が引きつる。
手にしたワイングラスがかすかに震えた。
「ま、待て。お前がここにいるのはおかしい。貴族籍は剥奪されたはず……!」
「ええ、貴族ではありません。ですからこうして“汚れ仕事”も引き受けられますの」
アメリアは微笑み、ゆっくりとスカートの端を摘んで――
上品な淑女の礼を、彼の前で一つ。
だがその直後、目にも止まらぬ速さで彼の懐へと手を伸ばす。
「……毒なんて入れてないわ。今夜は“警告”だけよ。
次、村の子どもたちに近づいたら――その時は、笑って殺すわ」
晩餐会の後、アメリアは人気のない井戸の側で、
一人、香油入りの小瓶を手の中で転がしていた。
「“殺すこと”が正義だとは思わない。でも……
今の私には、“殺す理由”がある」
手を汚すことで、誰かを守れるのなら。
“もう一度、貴族になる”よりも、ずっと価値があると思えた。
その日の夜明け前。
ラズロは村を去った。
“体調不良”を理由に。顔面は青ざめ、手紙も残さず、何者にも告げずに。
彼の馬車の背には、小さな花が結ばれていた。
――一輪の、真っ赤な薔薇。
そこには、血のような朱で刺繍された言葉。
> 「ごきげんよう。次は“本当の死”でおもてなしします」
それから数日後。
帝都では“謎の花束事件”が密かに話題となっていた。
表向きはただの脅迫未遂。だが、裏の世界では――
「……クロウが動いている。いや、正確には、“あの女”が帰ってきた」
“追放された令嬢”の名は、再び火の中に浮かび上がっていた。
アメリアは夜の森でひとり、刃を研いでいた。
過去を切るために。未来を守るために。
そして、かつて自分を裏切った“あの家”を――焼き払うために。