第六話:追跡者は、二度笑う
辺境の空気に、またひとつ新しい“匂い”が混じり始めていた。
それは血でも、毒でもない。
ただ“死をもたらす者”が近づいてきたときにだけ、空気が緊張する。
帝都からの本格的な追手――諜報部直属の暗殺者、“白面の処刑人”。
その夜、村の北側にある教会跡地。
月光に照らされ、廃墟の中央に立つ女がひとり。
アメリア・シェリルは、今夜の“装い”を整えていた。
深紅のベルベットのドレス。
黒のレースが施された袖。
そして裾は、動きやすいよう大胆にスリットが入り、脚のラインが覗く。
「少し派手かしら。……まあ、今夜の相手には“礼儀”が必要ね」
彼女は静かに、スカートの端を持ち上げ、
貴族式の優雅な一礼を舞踏会のようにゆったりと行う。
その一礼は、まさに死を告げる鐘のように美しかった。
やがて、月の影から歩み出てきたのは、仮面の男。
純白のスーツ、目元だけを隠す白い仮面。
その名は、《白面の処刑人》ルドガー。
「“クロウ”……いや、“赤の令嬢”と呼ぶべきか。貴女を討つために来た」
「ご丁寧に。ではこちらも、礼を尽くさせていただきますわ」
アメリアは再び、スカートを軽く持ち上げて――
「ごきげんよう。汚いごみのお掃除に参りました。」
その瞬間、闇が弾けた。
ルドガーの刃が、真横から襲いかかる。
だがアメリアは、ドレスのスリットを活かして軽やかに跳ねると、
そのまま宙を蹴って彼の頭上へと舞い上がった。
「おや? その程度では“舞踏会”には出られませんわよ?」
「黙れ、“死神”!」
ルドガーがナイフを放つ。
だがアメリアは懐から“仕込み扇”を取り出し、それを翻して刃を受け流す。
「帝都はいつから“こんな雑な芸”を容認するようになったのかしら」
冷たい声とともに、彼女の手元から投げナイフが一閃。
ルドガーの仮面が真っ二つに割れ、片目を赤く染める。
「ぐ……貴様、いつの間にそんな……!」
「一歩ごとにあなたの呼吸を測り、三手先を読んでいただけ。
ご存知でしょう? それが“クロウ”のやり方」
アメリアはゆっくりと歩み寄る。
「逃げるのも、赦しを乞うのも自由よ。でも、私のドレスに血が飛ぶのだけは許せないの」
「貴様……本当に、人間か?」
「いいえ。ただの、没落した元・令嬢。……“お掃除好き”なだけ」
最後の一撃は、音さえなかった。
ルドガーの喉元に伸びたアメリアの手が、
ナイフではなく、まるで“手紙を切るペーパーナイフ”のように静かに刺さった。
処刑人は、仮面を砕かれたまま、崩れるように倒れた。
アメリアは血のついた刃をレースのハンカチで拭い、
ふたたびスカートを持ち上げて、優雅に一礼した。
「お疲れさま。二度と這い上がってこないでね、汚れた絨毯の染みさん」
翌朝、教会跡地で見つかった遺体は“獣の襲撃による事故死”として処理された。
だが村の一部では、“亡霊の処刑”という不思議な噂が広がり始めていた。
誰も気づかない。
この村を守っているのが、今なお“人知れず殺し続ける女”であることを。
その日の夕方。
アメリアは、昨日もらった子どもたちからの花束を静かに机に飾っていた。
白百合と、名も知らぬ野花。
――血の匂いを洗い流すような、まっさらな香り。
「……こんなものを、もらえる日が来るなんてね」
アメリアは微笑む。
その顔は、村の誰よりも静かで――そして、どこか哀しかった。