第三話:花と毒と、羊たち
凍てついた朝に、奇妙な“香り”が村に漂っていた。
腐臭でも煙でもない。花のように甘く、それでいて、ほんのりと鉄の匂いを含む。
アメリアはその香りを、村の小道の端で嗅ぎ取った。
「……これは、“死を誘う花”。まだこの国に残っていたなんて」
土に紛れ込んだ毒花――《ベラ・サングリナ》。
本来は皇都の管理区域にしか咲かないはずのそれが、辺境の村に咲いていた。
偶然ではない。
それは“誰か”が、アメリアへの合図として植えたものだ。
その日の午後、村を訪れた旅商人の一団がいた。
馬車に積まれていたのは薬草、布、金属類。だが、アメリアの目は別の場所に吸い寄せられる。
馬車の奥に佇んでいた、フードを深くかぶった一人の男。
「……あの歩き方。間違いないわ。あれは“羊飼い”」
《羊飼い》――かつてアメリアが属していた暗殺部隊の中でも、敵の感情を操る“心理操作担当”のコードネームだ。
彼は“羊のような顔”で、群れを導き、毒を滴らせる。
「“クロウ”の生き残りが、ここまで来たのね」
その夜。アメリアは、自ら仕掛けた罠にあえて姿を見せた。
村外れの廃教会、崩れた石柱の影。
そこに現れたのは、かつての仲間、“羊飼い”ことルシアン。
「久しいね、アメリア……いや、《クロウNo.4》」
「その名前はもう捨てたわ。今の私は、ただの“没落令嬢”」
「そうだろうとも。だが君の痕跡は、王都でも噂になっているよ。
《事故死》《失踪》《自白後の服毒》……あまりに“偶然”が重なりすぎていてね」
「本当に“偶然”だったら、あなたはここに来ていないわね」
アメリアは片手を背後にまわし、小さくナイフを握る。
「君に一つだけ忠告に来た。今、帝国は《クロウ》を完全に処分しようとしている。
“過去を消す”ために。君も例外ではない」
「その処分に、あなたが来るとは思わなかったわ。
かつては羊の皮を被って、後方支援が関の山だったくせに」
「僕は殺しに来たんじゃない、君を“迎えに”来たんだよ。王都に戻ろう。僕たちならまた――」
「その舌、引き抜いても文句は言えないわよ」
アメリアの声が、氷のように冷たくなる。
「……あいかわらず、刺々しいな。恋人にするには、最悪だ」
「安心して。あなたみたいな男を“愛した”記憶なんて、一度もないから」
刹那、空気が裂ける。
ルシアンが身を引いた瞬間、アメリアのナイフが石柱を裂いた。
「それでもまだ、君は“殺さない”んだね?」
「……今は、ね。
ただし――次に花を植えたら、根ごと焼くわ。羊ごとね」
ルシアンはふっと笑い、身を翻して闇に消える。
残されたアメリアは、静かにナイフを拭った。
「来るなら来なさい。《クロウ》の“処分”とやらを。
……その前に、私がこの国を“処理”するから」
数日後、村の広場に一本の花が植えられていた。
毒を含まず、ただ真っ直ぐに咲いた白い百合。
その根元に小さく記されていた言葉:
――“黒い翼は、まだ空にある”――
アメリアは花を見下ろし、小さく笑う。
「そう。空にいるのなら、地上を焼くこともできるわよね。
……だったらその空を、私が喰い尽くすまで」