第一話:辺境令嬢、ナイフを磨く
辺境とは名ばかりの、ほとんど打ち捨てられた凍土の村。
アメリア・シェリルは、粗末な小屋の中で、黙々とナイフを磨いていた。
細い銀の刃。反射した光が、仄かに青白い。
それはかつて、帝国の貴族たちを沈黙させてきた、“クロウ”の象徴。
「……鈍ってる。まあ、三年も使ってなければ当然か」
アメリアは吐息をつきながら、指先でナイフの切っ先を撫でる。
「でも、また使うことになるのね。忌々しいけど……懐かしいわ」
彼女が追放されて数日。
この村ではすでに、三件の“不可解な事故”が起きていた。
一つは水源を管理していた男が、崖から転落死。
一つは税を横領していた役人が、毒草を「間違って」煎じて死亡。
そして三つ目は――夜な夜な村娘を攫っていた賊が、井戸の底で冷たくなっていた。
「ふふ。おかしいわね。まるで“天罰”みたい」
アメリアは誰もいない部屋で、うっすらと笑った。
だが、それを“偶然”と思っていたのは村人たちだけだった。
その夜。
アメリアは黒衣に身を包み、人気のない倉庫に潜んでいた。
標的は、村を取り仕切る“代理領主”を名乗る男――ダリオ。
貴族の身分を持たないくせに、上納金をピンハネし、村を荒らしていた男だ。
「……間もなく、定刻通り」
屋根の上で静かに息を整えるアメリア。
次の瞬間、倉庫の扉が軋みを上げて開いた。
そこには、金の腕輪をじゃらつかせた中年男。
部下と思われる男たちと、何やら取引の真っ最中だった。
「これが今月分だ。帳簿には三分の一だけ記載しておけ。どうせ本部の連中も気づきゃしねぇ」
「へへっ、さすがダリオ様。して、その余った金は――?」
会話の続きを、アメリアが遮る。
「汚い金は、汚い声で喋るのね。耳が腐るかと思ったわ」
暗闇から、凍てつくような声が降ってきた。
「なッ……誰だッ!? 姿を見せろ!」
「お願いされたら見せるとでも思った? 本当に下衆って、想像力が貧しいのね」
音もなく舞い降りた影。
それは、地面に触れた瞬間にはすでに“背後”にいた。
アメリアは一閃、ナイフを投げた。
鋭い音と共に、部下の一人が喉元を押さえて倒れた。
「まずはあなたの“舌の長さ”を短くしてあげたわ。次は、心臓かしら?」
ダリオは顔を引きつらせた。
「ま、待て! お前は誰だ!? 金ならいくらでも――!」
「“いくらでも”ね。そう言って死んだ男を、私は何人も見てきたわ。
……共通してるの。皆、最期は“いくらも出せなかった顔”で死ぬのよ」
アメリアのナイフが、ゆっくりとダリオの胸元に向けて持ち上がる。
彼女の瞳には、まるで感情というものがなかった。
「まさか……お前……あの“クロウ”なのか……?」
震える声で放たれたその言葉に、アメリアはうっすらと笑った。
「その名前を口にするのは、最期で十分よ。
今宵の死者に、名乗る必要なんてないでしょう?」
冷たく、静かに、ナイフが沈む音だけが響いた。
翌朝。
村では、代理領主のダリオが「密輸の失敗による内輪揉めで死亡した」と噂されていた。
そして、村を苦しめていた税の取り立てが突然軽くなり、井戸水の管理も改善される。
誰もが“良い風”が吹いてきたと笑う中――
アメリア・シェリルは、朝日を浴びて白い手袋を干していた。
「次は、村の橋を直すべきね。通商の改善は最優先……あ、ついでに“邪魔な商人”も整えておきましょう」
ナイフを丁寧に磨きながら、アメリアは静かに微笑む。
その笑みは、優雅で淑女らしく――
けれど、その奥に潜む“死”だけは、誰にも見抜けなかった。




