オーバーフローの夜の先
オレらの朝は紫色をしている。
駅前の街灯は、すべて紫外線を出すLEDになっていて、道行く人を紫に染めている。体内で必要なビタミンを作るために、紫外線を浴びる必要があるからと、朝だけ稼働している国が設置したライトだ。紫外線だからブラックライトなのかと思ったが、学校の生物の先生によると、ブラックライトの光では人間はビタミンを作れないらしい。そもそも紫外線は紫色ではなく目に見えないそうだ。だから、街灯のLEDは「紫外線出てますよ」とわかりやすくするために、わざわざフィルターを使っているという話だった。
紫外線LEDの照射エリアは、人通りの多い道が選ばれていて、そのエリアに足を踏みいれた人はみんな早歩きになる。紫外線のせいでオゾンが発生しているらしく、特徴的な刺激のある生臭さが鼻につくからだ。嫌々ながら自分から進んでいく様子は、どこか小学校のプール後のシャワーを思いださせる。
朝と夜の大きな違いは、この紫色の有無だけだ。
あとは大体同じで、空には星以外の光はない暗闇で、朝のほうが電気の点いている建物と人通りが多いくらいだろうか。
黒い夜空を押しつけられた生活が続いてずいぶん経つ。通りすがる人の表情も、夜が伝染したように暗い顔をしているのがチラホラといる。駅の街頭ビジョンのニュースでは、農作物生産維持のために国が屋内栽培の企業に補助金や電力使用の優遇措置を決めたのに加えて、夜が続く生活で電力の消費が増えた問題について、ずっと喋っている。節電が叫ばれる世の中になったので、謎の正義感を持った『節電警察』が起こした騒ぎなんてものもあるらしい。
そんな中でも、気楽な学生の中には「おはばーん」とか、朝だか夜だかよくわからない、新しい挨拶を勝手に作って、しぶとく楽しんでいる奴もいるのだから、結局問題があるのは、その人自身なんだろう。まぁ、誰もこんな日常が訪れるとは予想していなかったのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
一ヶ月前に地球は太陽を失った。
テレビに出ている偉い学者さんが言うには、太陽がまるっと巨大な建築物に覆われた可能性が高いらしい。断言できないのは、人類が持っているあらゆる技術を使っても、太陽が観測できなくなったからだそうだ。
その建築物の名前は、何だか高い掃除機に似ていた気がするが、興味がないのでよく覚えていない。その建築物は太陽のエネルギーを余すことなく取りこんで利用するものらしく、少なくともなんちゃらスケールのタイプⅡだとか、興奮気味に話していた。
学者さんたちは、観測機器では太陽のある方向から、赤外線やら光合成をどうこうする波長が届いているのが確認できるのに、可視光線が目に見えないとか騒いでいる。要は太陽を覆ったでかい建築物が、太陽のエネルギーを排熱したり、一部の光を捨てたりしているらしい。お陰で太陽を失っても地球は氷河期になることはないし、植物は普通に育つようだった。
確かなことは、明らかに人類を越えた科学力を持った奴が、地球から太陽を奪ったということだ。太陽がなくなったせいで朝もなくなり、夜空の月はずっと新月で、鶏が鳴くタイミングを迷っている。
最初のうちは地球全体が大パニックだった。やれ宇宙人襲来だの、どこかの国の秘密兵器だの、月にいたナチスの残党の仕業だのと、玉石混交な説が入り乱れまくった。人類が初めて遭遇した事態なので、誰も正しいことを知らないのに、ワイドショーは無責任な仮説を流しまくる。そのせいか、それなりに夜が続く生活に慣れたころには、馬鹿馬鹿しい話にも馴れきって、逆に落ち着きを取り戻した。これが怪我の功名ってやつだろうか。
収まるところに収まった日常は、本当に大して変わっていない。朝起きて、学校に行き、授業を受けて、昼飯を食い、授業を受けて、帰ったり、部活したり、バイトしたりする。自分の力ではどうにもならないので、心の片隅で「このまま人類って滅びんのかな?」と思いながら、同じ日常を続けている奴らがほとんどだ。
と、いうことになっている。
オレは違った。
太陽がなくなってから、明確に違いがあった。
家に帰り、まだ誰も帰っていない家に、空虚な「ただいま」を言う。電気の点いていないリビングのテーブルに置いてある夕飯代を回収し、自分の部屋に戻る。するとそこには、当たり前のような面で、オレの寝間着のスウェットを着た、男だか女だかわからない奴が、ベッドに横になって漫画を読みながらくつろいでいる。
「やぁ、おかえり。〈三二回目〉の今日はどうだった?」
ニュクスと名乗るこいつが、地球から太陽を奪った張本人だ。
「お前、マジで毎回数えてんの?」
「当然さ。〈渦〉の管理する必要があるからね」
「タイム・ボルテックスだっけか? 意外と面倒なんだな。まぁ、オレはお陰で楽しい〈ループ〉を過ごせてるからいいんだけど」
こいつとの出会いは〈一回目〉の朝だ。
目を覚ますと、何食わぬ顔でニュクスはオレの部屋にいた。空が薄暗くて、紫色をしている朝に困惑するよりも前に、こいつがいたお陰で、オレは混乱せずに済んだ。いや、寝起きの部屋に見知らぬ他人がいたせいで、大いに混乱はしたのだが。
そのとき、人は極限までうろたえると、頭の中に浮かんだ疑問をすぐに口に出すという教訓を得たわけだが、まぁオレがした質問は特に面白みのない「誰だよお前?!」というものだ。
「色々な呼ばれ方をするね。とりあえず『ニュクス』でいいかな」
で、この回答だった。情けないことに、想像力のないオレの頭の中の疑問はこれで尽きた。まごついて口を開けたまま二の句を継げないでいるこちらに対し、ニュクスは察したようにさらりと、こう言ったのだ。
「ん? あぁ、何者かってことかい? 僕は〝夜〟そのものさ。星の海の旅人でね、恒星を仮宿にしているんだ。で、その宿に先客の生命体がいた場合は、〝夜〟を作ってしまったお詫びも兼ねて滞在費を払っている。知的生命体は久々だけど、僕からするとスケールが小さすぎてよくわからないから、適当に相性のいい君を選んだ。ちょうど、不健全にも永遠の夜を願った君を。君が望んだ夜をあげにきたのさ」
永遠の夜。
さっと自分の頬が熱くなるのをはっきりと感じた。その言葉には心当たりがあった。なんでこいつが昨日のことを知ってるんだ、と。そして恥を暴露された腹立ちのままに喧嘩腰で、何でわざわざオレにそんなことをしてくれるんだ、と訊くと、相手は眉をひそめ、
「だから、不健全だからだよ。けれど、朝を迎えるには夜が必要だからね。太陽が昇るには、一度沈まなければならないだろう? 朝を迎えたくない君に、しばらくの間、夜をあげようと思っただけさ」
実に要領を得ない回答だった。そのときは、煙に巻くようなことを言って、馬鹿にしてるんじゃないかと思ったほどだ。
そのあと、変質者がいると警察に通報しようと思ったが、その前に様変わりした外の光景を見たオレは、結局〈一回目〉の日は学校に行かず、ニュクスから詳細を根掘り葉掘りと聞いたのだ。
そうしてわかったのは、ニュクスはオレが夜眠るまでの今日を〈ループ〉させてくれるということだ。〈ループ〉を知覚しているのはオレとニュクスだけで、好きな時にやめていいと言われた。
「――つまり、簡易的なタイム・ボルテックスを作っているんだよ。渦を巻いているから戻る。それだけさ」
と、いうのが、ニュクスが説明した〈ループ〉の仕組みの総括だった。当然ながら長々と解説された内容は何一つ理解できていない。
世界が一変している理由は、太陽を覆っているもので太陽の全エネルギー(高性能な原子力発電所の大体一〇〇京倍と言われた。スケールがデカすぎてよくわからなかった)を得て、〈ループ〉を維持しているからだそうだ。〈ループ〉をするに当たって、太陽を奪った日が始まりだと、世界中が大騒ぎしている状態で落ち着きがないので、冷静さを取り戻した一ヶ月後辺りにコンフィグとやらをしたそうだ。だから、太陽を失い、朝が紫色になったのは、夜を続けるための副産物にすぎないらしい。ニュクス曰く「これはこれでお誂え向きだね」。
ここまでの事情を聞いて、とりあえず突っこみどころは満載だった。だが、目の前には現実があったし、夜眠って目を覚ますと日付の同じ今日が訪れたので、疑う余地はなくなった。まぁ、夢なら夢でいいし、実はどこかで事故って頭がおかしくなったりしていたのなら、どうしようもない。そんな感じでオレは受けいれた。
そうしてオレは〈三十二回目〉の今日を過ごしている。
朝のうちに準備しておいた、今夜用の荷物を取りだしていると、ニュクスが訊いてくる。
「今夜はどこに行くんだい?」
「学校。昼間のうちに屋上の鍵を見てきたら、簡単に入れそうだったからさ」
家の工具箱から拝借したハンマー片手に、にやりと笑うと、ニュクスは呆れたように溜息を吐いた。
「次から次へとよく思いつくね」
「別にいいだろ。誰にも迷惑かけないように、オレなりに考えてやってるし。それより、お前も行くだろ?」
「いいよ。家にいても誰もいなくて暇だからね」
「決まりだ」
こうしてニュクスと一緒に夜へ繰りだすのが、いつの間にか〈ループ〉が始まってからの習慣になっていた。
ニュクスと過ごす夜はいい。何をしても、夜眠ってしまえば全部リセットされる。いつもなら、あとでバレたらめちゃくちゃ怒られるようなことでも、一晩やりすごせば、なかったことになる。なけなしの貯金を全部下ろして豪遊しても元通りだ。
学校へ向かう途中、コンビニに寄って大量のスナック菓子とジュースを買いこんだ。屋上でダラダラと過ごすための必要物資だ。ついでに夕飯代わりにカップ麺を買った。箸を使うのが下手なニュクスのためにフォークをもらい、二人で食べた。
ニュクスは醤油味が好みらしい。オレはシーフード味だ。コンビニの駐車場の脇で、夜中にする買い食いにも慣れたものだ。最初のころはそれこそ、普段はやらないことなので、ちょっとしたスリルのような緊張感があったが、何回も繰り返せばこなれたものだ。ただ、それでも親から貰った夕飯代で食べるコンビニ弁当よりも美味いもんだからクセになる。
麺を平らげるとすぐに学校へ向かった。オレはスープはその場で飲みほしたが、ニュクスはグランデサイズのコーヒーのようにカップを持って、残ったスープをちびちびと飲んでいた。
スープをすすりながらニュクスが訊いてくる。
「ところで、学校って警報があるんじゃないのかい?」
「甘いな。この時間は運動部がまだ夜練やってるから、警備システムのスイッチは入ってないんだよ」
「それは恐れいりました」
何回かの〈ループ〉で下調べ済みだ。部活をやっている連中がライトでグラウンドを照らしているので、明るい表門は避ける。この時間帯の裏門は、暗がりだし人目もないので、忍びこむにはうってつけだ。あとは昇降口に入り、土足で人気のない学校に足を踏みいれれば、階段を登って屋上まで一直線だ。
屋上のドアはアルミサッシで、錆びてはいないが薄汚れているので、銀というより鼠色だ。少しがたついているドアノブに、ハンマーとマイナスドライバーを使って、屋上へのドアを開けた。真似する奴がいると危ないので詳細は伏せる。
開いたドアの先は、いつもより空が低く感じられる。今の夜空には月どころか月を輝かせるための太陽もないので、夜の闇はより深くなり、星が強く光る。〝今日〟が晴れていて本当によかった。星は光るだけで移動しないので、夜の長さを存分に実感できる。
「着いた着いた。今日はここで夜更かしだ」
「これが学校の屋上ってやつかい……」
ニュクスは興味深そうにきょろきょろと辺りを見渡しながら、屋上の端へと歩いていった。グラウンドを一望できる場所だが、フェンスの網に指をかけたニュクスは、地面でもなく空でもなく、その間を見ているようだった。
「朝日を迎えるなら、こんな場所がいいんだろうね」
「そっか、お前って〝夜〟だから、朝日は見たことないのか」
「まぁね。夜は昼と一瞬だけ交わることしかできないのさ」
「でも、別にいいじゃん。今楽しいだろ?」
「君って奴は……僕は君に朝を迎えさせるための夜をあげてるって忘れたのかい?」
「オレはずっと夜でいいよ」
オレはぶっきらぼうに答えた。朝になんか興味はない。永遠の夜を望んで、それが叶っている今に満足している。
「……ところで、君はどうして永遠の夜を願ったんだい?」
買ってきた菓子やジュースを準備しながら広げていると、フェンス際からニュクスが訊いてきた。
「今更かよ。知ってたんじゃないのかよ」
「願いはわかっても、心までは知らないさ」
「別に……大したことじゃねぇよ」
〈〇回目〉の夜――体感一ヶ月前の昨日――に、オレは衝動的に学校をサボった。
別に友人関係が上手くいっていないとか、イジメられているとか、そんな明確な理由はない。ただ、ずっと同じ日が繰り返されて、その先にある未来とかいうやつを考えたとき、オレって何の意味があるんだ? と急に腹が立ってきたのだ。
オレの代わりはいくらでもいる。人間関係だって、別に友達がオレである必要はない。たまたま、その立場がオレだったというだけだ。どこかで聞いた神話の船を思いだす。パーツをどんどん新しいものに入れ替えていって、すべてのパーツが新しいものになったとき、その船は昔の船と同じものなのか、という話だった気がする。世界や日常はその船と一緒だ。オレが別の誰かと入れ替わったところで、大して影響はないし、世界の日々はそのままで何も変わらない。オレという小さな船の部品がなくなったところで、海を進む船は止まらないのだ。
そんなことを考えたら急に自分の人生に意味を感じなくなって、同じことをしたって意味がないなら――と制服を脱いで、私服に着替えてスマホも持たずに飛びだした。
その日の夜はよかった。自由で、好き勝手して、何かに急かされることもなくて……どうせなら永遠に今夜が続いてほしいと思った。
大人に言わせれば、それが『反抗期』だとか『アイデンティティの模索』だとか、適当に相応しい名前がつくだろう。そんなことはわかっている。ただそれでも、オレが本気でそう思ったことが否定される理由にはならない。……まぁ、家に帰ってから思い返して、死ぬほど恥ずかしいことをしたという自覚は芽生えたのだが。
「……ただの思春期の発作ってやつだよ」
「そのセリフがもう思春期臭いよ。いいね、若さだ」
「うるせぇ! そう言うお前は何でオレに夜をあげようなんて思ったんだよ」
「〈一回目〉に言った通りだよ」
「〝夜〟だからか……」
「そう。知的生命体にとって〝夜〟は明けるためにある。静寂の中に安らぎと恐怖を同居させながら、明日を待つ時間が〝夜〟だ。それ以上でも以下でもない。……まぁ、強いて言うなら、他人より長い夜が必要そうな君を、たまたま見つけたのさ」
「たまたまね……」
オレが眠気覚まし用のエナジードリンクを一本開けると、ニュクスが物欲しそうに手を出してきたので手渡した。一口飲むと、想像よりも甘ったるかったのか、驚いたように舌を出していた。
「まぁ、世界なんてそんなものさ」
ニュクスの口振りには釈然とはしなかったが、まぁ、それでもいいかと思った。いくら朝を迎えろと言われても、オレは、ずっとこの〈ループ〉がずっと続くのだと思っていたのだから。
だが違った。
〈六四回目〉の頃から、ニュクスの様子が少しおかしくなった。明らかに遊びに出かけるのに気乗りしない素振りを見せるようになり、妙に質問するようになってきた。
「同じ日でいいのかい?」
別に構わないと答えた。
〈一二八回目〉の朝。
「つまらなくないかい?」
楽しんでいると答えた。
〈二五五回目〉の朝。
「明日はいらないのかい?」
その日、繰り返される妙な質問に、とうとう我慢できなくなったオレは怒鳴った。
「しつこいんだよ、ニュクス。オレはずっと今夜がいいって願ったって知ってんだろ!」
ニュクスは悲しそうに眉をひそめた。いつもうっすらと笑みを浮かべていた顔に、そんな感情が表れるのは初めてだった。
目を瞑って小さく息を吐くと、伏し目がちにニュクスは口を開く。
「……じゃあ、明日で明日とさよならだ」
「どういうことだよ?」
「僕はしばらくの間だけ、続く夜をあげるつもりだった。けど、限界がきた。タイム・ボルテックスで時間の環を閉じ続けると、〈渦〉の勢いが強くなりすぎて元に戻れなくなる――特異点ができるんだよ、時間のブラックホールだ。だから、途中で脱け出さないとならない」
「は? ふざけんなよ、そんな急に……」
「こんなに長く続くと思わなかった僕も悪い。けれど、それでも君は続けるんだろう? ……だから、さよならだ」
言うだけ言って、オレが静止の言葉をかける前にニュクスは部屋を出ていった。
その日、夜になってもニュクスは帰ってこなかった。
そして〈二五六回目〉の紫色の朝が来た。
そこにニュクスの姿はなかった。
その日は学校をサボり、夜まで自室でダラダラと過ごした。もしかしたら、ニュクスが帰ってくるかも知れないから、入れ替わりになると面倒だと思ったからだ。しかし、一向に相手が帰ってくる気配はなかった。午後九時を回った時計を見て、そこで何となく、ニュクスはもうこの家に帰ってこないと確信した。
思わず、なぜか舌打ちをした。何にイラだっているんだろうと自問して、夕飯を食べていないことに気づいた。外で飯を食えば、気分転換にもなるだろうし――と、その日初めて家から外に出た。
そうだ、あんなやつのことはもう忘れよう。
と、決心したのにも関わらず、ニュクスに言われた言葉を思いだしてしまう。どこか適当な店を探す道すがら、明日――〈二五七回目〉――のことが頭から離れなかった。
今日を過ぎたら、明日は永遠にこない? なんだ、それこそ望んだとおりの結末だ。変わらない日々に意味がないから、同じ日々に意味を求めたんだ。この〈ループ〉の中では、オレだけが意味を持っている。他の奴らが、〝あっち〟の別の時間の流れで先に進もうが、〝こっち〟に残された時間の世界だって本物だ。そして、その世界を回している中心の歯車として、オレがいる。いいじゃないか。見事にオレは、この世界で意味を手に入れた。このままで、永遠に変わらず、知りつくした今日がきて、恐れることは何もない。
オレだけの夜だ。
一人だけの夜だ。
――独り。
それは。
意味があるのか?
酒など飲んだこともないのに、酔いが覚めた気がした。あるいは、血の気が引くというのは、こういうことなのかも知れない。寒くもないのにやけに体が冷える気がした。
何でだ?
何が今までと違う?
オレでなくてもいい世界に意味を感じなかったから、永遠の夜を望んで、その通りになって、オレだけの、オレだけに意味のある夜を手に入れたのに、何で今になって、意味を求めているんだ?
どうしてオレは孤独を感じているんだ?
この二五六回、何も変わっていないのに――
思わず道の真ん中で立ち止まった。集中しようと、無意識に思考の邪魔になるものを視界から追いだすために、何もない上を向いた。そこには、真っ黒な月のない夜空が広がっている。
――あぁ、そうか。
夜なのに、お前がいない。
次の瞬間、行くあてもないのに、身体は走りだしていた。
探すことしか頭になかった。コンビニ。カフェ。カラオケ。本屋。公園。ファミレス。ニュクスと一緒に行った場所をひたすら見て回ったが、どこにもいない。あいつのいそうな場所を、二五五日も一緒にいたのに知らない。
何時間、街中を走っただろうか。もう人通りもなくなり、店も閉まっている。疲れて眠くなり、身体も重く、頭も働かない。もし、ここで寝てしまえば、もう永遠にニュクスに会えなくなる。スマホの時計を見ると、もう四時になっていた。日付は変わったが、まだオレが寝ていないから、〝今日〟は続いているだけだ。
もう朝になる時間だ。道の向こう側にある電灯が、まるでオレを追いつめるように、白から紫に変わりはじめる。やってくる朝が、オレを追いたてようとするが、朝の中で途方に暮れるしかない。
もう、朝なのに、お前を見つけられない。この暗い朝のどこにお前はいるのだろう。疲れすぎて、どうでもいいことが頭を過る。何回目のときだったか、朝を見たいとかなんとか、そんな話をした。あぁ、確か何か言っていた気がする。
――朝日を迎えるなら
はっとする。同時に確信する。あそこしかない。
肺が破れそうなほど走って、学校にたどり着いた。閉じられた鉄製の表門をよじ登り、グラウンドを突っ切る。施錠されていた昇降口の窓ガラスを割り、無理矢理中に入った。どこからか電子音が聞こえてくる。きっと警報音だ。気にしてられるか。一気に階段を駆け登ると、屋上へのドアは開け放たれていた。
緊張と切れかけた息でばくばくとなる心臓を、歩調をゆっくりにして整えながら、ドアをくぐった。
広い屋上の、フェンス際に、見慣れた後ろ姿があった。
「ニュクス!」
叫ぶと、相手はびくりとして、こちらに驚きの表情を向けてきた。
「君か。……まだ、〝今日〟を続けていたとは、驚きだよ」
「ニュクス、オレは、その……」
口にするのが遅すぎた言葉を、勇気を振り絞って吐きだした。
「オレはお前と過ごす夜が楽しかった! 楽しすぎた!」
「は?」
「あぁ、いや、そうじゃない……オレはきっと、〝明日〟が怖かったんだ……朝が来るのが怖くて、それでずっと続く夜を願った……何にも変わらなくて、変われなくて……先が見えない恐怖を、怒りや不満で誤魔化してた。この〈ループ〉でお前と過ごす時間は楽しくて、いつの間にかそんなことは忘れてた。けど、終わりがくるって知って、本当にこの先がなくなるってわかったら……あぁ、クソッ、何て言えばいいんだ」
自分の考えが上手く言葉にまとまらず、頭をかきむしる。喋れば喋るほど、本筋からずれていく気がする。もういい、変に上手く伝えようとするのはよそう。
「明日を失うのはもっと怖いって気づいたんだ。オレは、何かになりたい。夜は好きだけど、その先の朝を迎えたい……」
次の言葉を口にすれば、すべて終わる。しかし、不思議と緊張や焦りはなかった。
ニュクスの目をまっすぐに見つめる。
「オレに明日を返してくれ」
その言葉を聞いたニュクスは、困惑しているような、意外そうな顔をしたかと思うと、少し泣きだしそうな表情で微笑んだ。
「……なんだ、ちゃんと朝が欲しいんじゃないか、このいじっぱりめ」
その言葉と同時に、世界が一変を始めた。
夜空の闇が薄れて青黒くなり、やがてほのかに緋色を帯びた白へ変わっていく。星は消えて、うっすらとした白い月が見え始め、そのころには空は水色になり、地平線から光が漏れだした。
太陽の光を背にしたニュクスの姿は影法師のようで、朝日を見ているのか、こちらを見ているのか、わからなかった。
「ありがとう。君と過ごした二五五回の夜は、僕も楽しかったよ」
ニュクスは少し肩をすくめたようだった。
「でも、ごめん。どっちにしろさよならだ。ここにいる理由がなくなってしまったからね」
「〝夜〟にお前はいるだろ」
少しの間をおいて、「あぁ」とニュクスは首を上向きにした。
「……そうだね」
太陽がゆっくりと昇ってくる。光が強くなって、ニュクスの影がどんどんと濃くなっていく。影絵のような姿のまま、ニュクスは小さく手を振った。
「じゃあ、また今夜。バイバイ」
地平線から太陽がすべての身を乗りだしたときには、ニュクスの姿は影の中に溶けるように消えていた。
朝日は馬鹿みたいに眩しくて、久しぶりの目には刺激が強すぎて涙が滲んできた。
「朝だからおはようだよ、バカ」