002
「どうか、この通りです。」
一日の仕事を終えて、オレは自分の家に戻ってきた。
そうしたら、この状態だ。
家というと聞こえがいいが、入口の門のすぐ脇にある小屋だ。
前任の爺さんと交代したが、本当に爺さんだったので、
修繕もできなかったようで、あちこちにガタが来ていた。
この村には、子供や老人も合わせて200人ほどいたそうだ。
47戸の家がある。
その家々を囲うように、1mほどの柵や石垣がある。
川がすぐ横を通っているので、天然の堀になっている。
こんな僻地、いや、中世くらいの文明のこの世界では、
カーストが嶮しくそそり立っている。
川を背にして、石垣が村半分を、残り半分は木の柵だ。
村長の家は、石垣沿いにある家に守られるようにしてあり、
順次、わずかな貧富の差で入口の方へ続いている。
川と石壁の代わりにオレがいるということだ。
石の壁、木の壁、肉の壁。よくできている。
オレの扱いが分かろうというものだ。
衛兵といいつつ、柵の補修と小屋の修繕がオレの仕事だ。
ほぼ大工みたいだが、村人と一緒に行うこともある。
基本、自分の家の横の柵なので、
声を掛ければ、自分の安全のために真剣に手伝ってくれる。
石垣はがっちりしているし、
柵はちょこちょこと自発的に補修してくれているので、
それほど直すところはない。
手伝ってもらうのも、組み方が悪かったり、
紐の結わえ方が甘いところを教えるためだ。
ここでも前世の知識が役立っている。
そして、村人が村の外にある畑で農作業をする際に、
魔物に襲われないように見張っている。
こっちの方が肉の壁としては主任務だろう。
村長は「村人が逃げないように」と言うが、
それはオレの役目じゃない。
しかし、基本的に魔物は襲ってこない。
そう大した魔物がいないこともあるが、
この村は北東以外は深い森に囲まれている。
森の恵みがあれば、魔物もリスクを冒して村を襲わない。
また、襲われる確率を下げるために、
森の様子を探るのもオレの役目だ。
魔物を間引いたりもするが、これは狩りを兼ねている。
というのも、オレは薄給だ。
国から支給される給料は、月に銀貨20枚だ。
屋台の串で銅貨2~3枚、
普通の宿屋で大銅貨5枚が相場だから、
銅貨が100円、大銅貨が1,000円とすれば、
銀貨20枚は、20万円というところだ。
17歳で大学初任給をもらっていると思うだろうが、
出世しなければ、ずっと、このままだ。
当然、暮らせるわけがない。
実際、前任の爺さんは、結婚できなかったようで、
「がんばれよ」とオレの肩を叩いて出て行った。
この田舎で何をがんばれと?
この田舎で貨幣はあまり役に立たないので、
給料の半分を小麦と野菜で支給してもらっている。
行商人が運んでくるが、運賃が掛かっている。
銀貨なら運賃は要らないらしいが、
「この荷物が売り物に変われば、儲けが出るんですがね。」
と言われると、ぐうの音も出ない。
残りの半分は貯金できるかといえば、
この行商人の運ぶ塩などの調味料、鍋や包丁に消えた。
どれもぼったくりかと思うほど高い。
特に塩は、王都でも高かったが、
ここに来るまでにさらに高くなっている。
しかし、王都からここまで20日。往復40日。
1日銀貨1枚の日当なら、銀貨40枚は稼がないといけない。
文句を言いたいが、前世の知識が邪魔をする。
そんなこんなで、オレの貯金はわずかしかない。
その割に、食べていくには足りない。
魔物の間引きは、実益を兼ねているのだ。
オレと同様に、近所の人も困っているのを知っている。
多く獲り過ぎた場合は、お裾分けするようにしている。
「どうか、どうか。」
オレの手を取る、コヴィーさんの手は痩せている。
老人かと思うくらいに、骨と皮だけの手だ。
コヴィーさんの家はこの小屋の隣だ。
畑だって大きいわけじゃない。
オレが渡している肉は、何とか一息つけるくらいで、
全然、足りていないことは、この手を見れば分かる。
「どうか、どうか。」
コヴィーさんは同じ言葉を繰り返している。
奥さんは悲痛な顔でこちらを見ていて、
娘は今にも泣き出しそうな顔だ。
オレはこの村に来て3ヵ月ほどだが、
半年前に、この村では疫病が流行ったそうだ。
200人いた村人の1割が死に、3割が臥せった。
そのせいで農作業が遅れ、
今年の収穫はただでさえ減るという予想だったのが、
オレが赴任する直前に、
畑が半分近く魔物に荒らされたそうだ。
病で畑に出る人が減ったことで、
魔物が人の気配を恐れなくなったのが原因だろう。
それで、トチ狂った村長が「生贄を」と騒ぎ出した。
東部は交易が盛んな土地柄で、土地に縛られる風習がない。
オレの村は北部といっても東部に近いところだったので、
そんな信仰はなかった。
しかし、この南部は根強い信仰があるようだ。
聞いた時に耳を疑ったが、
村長の代替わりや天変地異の時に生贄を奉げる風習があるらしい。
近世になれば、身代わり人形や代用品に代わるのだが、
ここが中世レベルだということを忘れていた。
オレは反対した。
何の意味があるのかと。
起きた後にしたって、無くなるわけではないとも言った。
しかし、信仰は理屈じゃない。
この村に来て日が浅いオレの言葉が届くわけがない。
着々と準備が進められ、明後日に迫った。
娘は静かに泣き始めている。
オレの手も湿り始めた。
何回かしか、見たことはなかったが、
今、改めて見ても、かわいらしい子だ。
この子が生贄だった。
村の外側の家。
半年前の疫病で、この子より小さい子供は亡くなっている。
それに女の子だ。
男の子ほど労働力として期待できない。
村長の一声ですぐに決まった。
他の村人は声を上げようとしない。
信仰に反すれば、村を捨てるほどの覚悟がいる。
それに、税の徴収は村長の胸一つで決まる。
ましてや、下手に反対しようものなら、
自分の子供に白刃の矢が立つこともありえるのだ。
コヴィーさんは、オレに娘を連れて逃げてくれと頼んでいる。
オレだって、娘を逃がせることにためらいはない。
手伝えることは手伝いたい。
しかし、それは手伝いであって、メインになることじゃない。
衛兵という職に未練はないし、この村にはさらにない。
ただ、オレがこの子を守れるのかという点に自信がない。
それに、一生、育てられるのか。
「生贄といっても、毒薬を飲ませて川に流すと聞きました。
薬を眠り薬などにすり変えて、
流れてきたところを一緒に逃げれば。」
生贄というと、血を連想するが、
水の女神とかで、不浄な血を嫌うらしい。
そのため、川に流して捧げるのだが、
毒は大丈夫なのだろうか。
「あの男の目を騙せると思いますか?
薬はあの男が肌身離さず持っているんですよ。」
あの男の顔が浮かんだ。
来た時から、何か違和感のある男だった。
どう見ても、この村の人間じゃない。
田舎で育ったとは思えない、抜け目の無さそうな男だった。
「それに、私は鍬しか握ったことがないんです。
できると思いますか?
妻と娘を連れて、魔物が出る森を逃げることが。」
「しかし。」
「娘はここにいても、どうせ殺されるのです。
あなたと一緒に行き、死んだとしても元々なのです。
私は望みのある方に掛けたい。」
「しかし、親と離れるのは。」
「あなたの言う通りにするようにと、
娘に言い聞かせています。」
オレは娘を見た。
涙がいっぱいの瞳でオレを見つめている。
「無理を言っているのは分かっています。
どうなろうとも、あなたを恨むことはありません。」
奥さんも言った。
静かだが、ハッキリとした口調だった。
その場の雰囲気に押された。
「分かりました。」
オレの言葉に、娘が微笑んだのが救いだった。
オレは荷物をまとめた。
それほど、オレに荷物があるわけじゃない。
手早く装備を身に着け、
身の回りのものをリュックに詰めると、肩に背負った。
コヴィーさんと奥さんは、しばらく娘を抱いて、
何事かを話していたが、その後、娘だけが残った。
娘の荷物はなかった。
コヴィーさんは、オレに何日か分の食料を渡そうとしたが、
「荷物になる」と断った。
荷物になるのは本当だが、もらってしまうと、
コヴィーさんたちの食べるものがなくなってしまう。
娘に小さな袋を担がせ、「2日分の食料だ」と言って、
干し肉と水筒を入れてやった。
村が寝静まった頃を見計らって小屋を出た。
コヴィーさんたちに行く先を告げていない。
漏れるのを防ぐためだが、知ったところで意味がない。
村の南側に足跡をわざと残し、実際は北西の森を進んだ。
柵から頭が出ないように進んだが、誰かに見られても、
みんな、オレが夜中に狩りに出掛けるのを知っている。
不思議に思わないだろう。
村長から供物に鹿を獲ってくるように言われてもいた。
なぜ、動物が生贄ではいけないのかと思うが、
より代えがたいものの方が願いが届くらしい。
(ふふっ。)
吹き出しそうになった。
こんなことで笑うのは不謹慎だが、
この女の子のすぐ上は、村長の末娘だ。
かなり溺愛していた。
まさか、いくら村長でも、
自分の子供を飛ばして、次の子にしたりはできないだろう。
さすがに暴動が起きる。
村長はどうする気だろう。
困った顔を見てみたい気もする。
(いや、待てよ。)
もしかして、この子を何が何でも探そうとしないだろうか?
そう考えたオレは、できる限り、村から離れようとした。
夜の森は思ったより歩きにくい。
女の子もがんばってくれたが、
さすがに子供の足では限界がある。
最後は、オレが背負ったが、
体力が残っているうちに、木の上に登った。
木の上で余力がなければ、いざという時に踏ん張れない。
それに、逃避行はずっと続く。
振り切れる前に休むことも大事だ。
「オレも少し寝ないと。」
寝れるかどうか心配だが、目をつぶった。