表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この足音さえ、海に隠して

作者: 久々原仁介

 リストカットをした夜は海を走る。それは私のささやかな習慣だった。誰もが寝静まった頃に家を出て、海岸を目指す。


 国道2号線を走る道すがら、北北東の空には上半分が雲で隠れたオリオン座が青白く輝いているのが見えた。海や、星や、砂は、小さな宝物のように光っていた。浜辺に降りる階段を見つけた私は、その光の中に足を踏み入れる。


 肺が膨らんで下腹部が凹む四拍子のリズムが整うと、背筋が伸びる。砂を踏む足音までもが、規則正しい音程を伴って同心円状に広がっていく。


『……さい、応ください』


 きた。

 ノイズ混じりの声が頭の中に注がられる。電波を拾い始めたラジカセのように、それは段々と鮮明になっていった。


『こちら〈星海〉。聴こえていたら、誰か』


 声なんていらない。私もいらない。ただ規則正しい足音が、見えない電波に乗って言葉となり、交信を始める。


 この海のどこかで走る足音をキャッチして繋いでくれる。


『感、あります。星海さん、こんばんは』


 今日は涼しそうな女性の声だ。

 昨日は吐息が奇麗に響く人だった。

 一昨日はずっと泣いていて、会話にならなかったっけ。


『こんばんは、今日も生存してしまいました』

『わたしもよ、今夜も自傷がやめられない』


 ふふ、と。二人で小さな子どもみたいに笑ってみる。


『生き残って、海を走ってます』

『ここの人は、皆そうよ』


 ただ黙って、血で濡れたシーツを前に朝を待つことが怖いから。いつの間にか逃げるように海を走るようになっていた。


 ここは自傷がやめられない人たちが集う電波回線。海を走る、その足音だけが電波となっていく。


『いつまで、生きればいいんでしょうか』

『知らない。それでも、今だけは美しく』


 夜が深くなるにつれ、人数も増えていく。この回線はいつだって少女たちで混雑しているのだ。


 けれどそれは何の問題にもならない。まるで深夜に聴くラジオ番組のように、海の前を走るこの時間だけが安らぎをくれる。


『傷だらけのカラダでも』

『夜風で研がれる今だけは』

『ただ美しく、生きたいよ』

『そんな我儘を』

『赦して、海よ』


 自分が何を伝えて、誰が何を話しているかもう分からない。


 私は考える。こうしてずっと走ることができたなら、私の手首はいつか綺麗な姿を取り戻してくれるだろうか。


 何も解決はしない。手首に巻いた包帯が風になびいて解けていく。


 このまま足音だけになって消えていく。


 そんな私になりたくて、しょうがない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ