第4話 「バナナで、釘が打てる」
負けっぱなしの消化試合で終わらす訳にはいかない。
さらは こしを ふかく おとし まっすぐに あいてを ついた!
ソイツのその一見柔らかそうな半透明の顔面掛けて拳を突き出す。
片や森を暗く覆い察するにまるで甲冑に身を包み拳触れるもその硬さや乙丑。数字ならば0ダメージ。ならば気も遠し。
「かっっっっったぁっっ!?」
お嬢様は思わず声を上げた。何せソイツは驚く程硬い。
見た目に騙されてはならないようだ。
お嬢様自身、ゲームの中でこんな半透明のぷよぷよしていそうな敵は、主に序盤で何度も戦った事があったから、その気になれば画面の中の勇者のように楽々やっつけられるとばかり思っていた。
しかし、飽くまでそれは「勇者」の話であって、一般人の話では無いのだ。
涙目で手の甲を擦っているお嬢様を、猫のような目の前のソイツは、目も口も無い顔でジロリと睨み付ける。
お嬢様はその時、その瞬間、ある言葉を思い出していた。
それは親友から聞いた蘊蓄、「某ゲームの中での1ダメージは現実世界の痛みに置き換えると、骨折に匹敵する程の痛みだ」、ということ。
そしてダメージの計算は「攻撃力÷2-守備力÷4」であるから……つまり、つまりは目の前に鎮座ましますソイツの攻撃でも喰らおうものなら……
そこまで考えてから、どっ、と冷や汗をかき固まったお嬢様を前に、ソイツは大きく口を開けた。
よく見ろ、この化け物の口内はピンク色でもなければ、綺麗に整列している歯の一本ずつですら透き通った緑色だ。
二度目の死である。
以前と違ってお嬢様の心臓はこんなにも速く熱く脈打っているのに、それもこれもここまで。もう終わり。
…確かに短い時間だった……だけども、病室の天井を見上げてはシミを数えてただ何かをじっと待っていたあの時間よりは有意義だった。
でも何故、まだここで終わりたくないと思えるのか?目を閉じて、ただ受け入れる事すら出来ないのか?
それもただ、気紛れか。
病に侵され徐々に力尽きるのでなく、外部からの要因で瞬間的に事切れる。前者ならば経験済みではあったものの、後者であれば想像もつかぬ。
「っッ!!」
声にならぬ叫びとも取れぬ断末魔を上げ、改めて目を閉じてから、また頭の中では一瞬、痛みを感じずにすぐにでも意識が途切れる事を願った。
「ヴぁるるォアっ!!」
ソイツがおぞましい唸り声を高らかに、大きく口を開けて顔を近付けた。
……時間を数えて一つ、二つ、それから三つ。
何も感じない。
これが一瞬の内に命を落とす感覚なのだろうか?
…いや、感触だけはある。それも生暖かく、ぬめぬめとして、微かにソイツが生き物と伝わってくるその吐息。
見ての通り、お嬢様は頭から腰辺りまで、言葉通り丸呑みにされんばかりの勢いで噛み付かれているのだ。
「ぅぉうぉうおうおぇ」
ソイツは覆い被さるようにお嬢様を咥えたままで、苦しそうに嘔吐いている。
「な、なに?ちょっと!離れなさい!!臭いですわ!!!」
普段から何を主食として生きているか分からないが、大抵、それほどまでに口内の臭いがキツい生き物は肉食であることが多い。あまりの悪臭に、摩訶不思議な状態のまま目も開けられない。重くのし掛かったソイツを振り払おうといくら身を捩って暴れようが、立ったままで片足ずつバタつかせてみようが、離れる気配も無い。力では勝てないようだ。
そうこうしている内にお嬢様もとうとうバテたのか、その場に座り込んだ。
どんなに時間が過ぎても、ソイツは吐き出す気配も口を開く気配も無かったので、依然として腰辺りまで咥えられたままであった。一度捕らえた獲物を逃さないのは、やはり生物としての本能か。
「……へぇ~、噂のニンゲンってこんな姿だったんだ…ちょっと思ってたのと違うかも」
目を閉じたままの暗闇の向こうで、音は籠っていたが人の声がした。
いつの間にか、誰か近くに立っていたらしい。
「どなたかそこにいらっしゃいますの!?」
「うぉっ、喋った」
女性の声。
誰がどう見ても異常事態である光景を目の前に、声の主はその場に釣り合わず落ち着いていた。
「うん?ニンゲンって、要するに最後に人を食べたスライムの事だったよね?てことはスライムには変わりないから、人語を喋るのはおかしいかな…」
「何でもいいですから早くコイツを何とかしてくださいな!!」
お嬢様が叫ぶと、一瞬、ビクンと自分を咥え込んでいるソレの身体は跳ねた。それから化け物は直ぐに身体の力を抜き、さらに全身にのし掛かる重みは増した。
徐々に生暖かい吐息も顔に掛からなくなる。化け物自身も消耗していたのか、声も上げずに事切れたようだった。
お嬢様はずるりと唾液まみれの頭を引き抜いて、両手で顔をごしごし擦ってから、座り込んだままで勢いよく頭を深々と下げた。
「感謝申し上げます!あなたがいらしてなければ死ぬところでしたわ!!」
「いやいや、そんなことよりあの状態でよく無事だったね!?半分食べられてたじゃん!?」
お嬢様が顔を上げると、そこには正に、ゲームの中で見たような、やけに露出の多い布を身にまとった、自分と同じくらいの年齢の少女が立っていた。
少女は肩から小さな鞄を掛けている。