【短編版】公爵閣下に嫁いだら、「お前を愛することはない。その代わり好きにしろ」と言われたので好き勝手にさせていただきます
「エメリィ・フォンスト。悪いが俺はお前を愛することはない」
先ほど夫となったばかりの青年――ジェード・アロッタ公爵閣下にそう告げられ、私は困惑してしまった。
最初は聞き間違いかと思った。しかし彼の瞳は真剣そのもので、嘘にも冗談にも見えない。
数秒かけてやっと彼の言葉の意味を理解した私は、結婚したばかりの花嫁にそんな非道なことを言える彼の神経の図太さに驚いたし、何より失望した。
(――ここなら幸せになれるかも知れないと思ったのに。やはりここでもダメなようですね)
私、エメリィ・フォンストは悪女だと言われている。
家族を虐げ、散財し、たくさんの男たちをたぶらかし……。まともな貴族令嬢ではあり得ない行為の数々を聞けば、そう呼ばれるのも仕方のないことなのだろう。
しかしそれは全て真っ赤な嘘。実際の私は、生家のフォンスト伯爵家から一歩も出してもらえずに何年も何年もずっと孤独と虐待に耐え抜いて来たのだった。
幼い頃は幸せだったと思う。
父はあまり家にいなかったけれど、女伯であった母や使用人たちはいつでも私に優しかった。大好きな婚約者もいて、いずれ彼の元へ嫁ぐのだと信じて疑わない純粋な子供であった。
しかしそんな人生が激変したのは七歳のある日。母が病気で急逝したのだ。
悲して悲しくて仕方なかったその時――しかしさらに大きな不幸が訪れた。
母が死んでたったの三日後、彼女の死を悼む様子など全くないままに父が二人の人物を屋敷へ連れて来たのである。
それが後に継母となる女性と、義妹のジルだった。
ジルは私の父とそっくりの顔をしていた。
その意味は当時の私にはわからなかったが、今ならわかる。――父は不倫していたのだった。入婿の分際で、母に仕事を全て押し付けて自分は遊び回っていた。
そして邪魔な母がいなくなった途端、愛人の女性とその娘を屋敷に上げたのであろう。なんとも醜悪な話だった。
それから私の地獄の日々は始まる。
まず取り上げられたのは母の形見のアクセサリーだった。ジルが「お義姉様はずるいわ。それをちょうだい」と言っただけで、私の物がなんでも彼女の手に渡っていき、かと思えばすぐに飽きられて捨てられていく。
それを見ることしかできないのがどれほど辛かったか、今でも鮮明に覚えている。
ジルや継母に意見することは許されなかった。
何か口を開けばすぐに打たれる、罵られる。もちろん父親は助けてくれず、関わりたくもないのか一言たりとも話しかけてくることはない。
仲の良かった使用人はみんな辞めさせられた。
私が大好きだった婚約者は、婚約者や私の意思関係なしに奪われ、義妹のものにされた。そしてすぐに「飽きたわ」と言ってジルは彼を捨てる。
その時ばかりは激昂したが、その後三日間何も飲まず食わずで納屋に閉じ込められ、それ以来抵抗する気が失せてしまった。
何をしても無駄だ。屋敷の敷地から一歩たりとも出ることはできず、まるで家畜のように残飯を床に這いつくばって食べる日々が続いた。
十年。そう、十年だ。十年も私は我慢に我慢を重ね、継母やジルが煌びやかなドレスを着て舞踏会に出かけている中ずっとずっと孤独に生きて来た。
だから私はこの縁談を、天からの救いの糸だと思った。
二十八歳になるというのに独り身であり、様々な良からぬ噂が囁かれている公爵閣下。
ジェード・アロッタ卿からの婚約話が、『フォンスト伯爵令嬢』宛てに届いた。
本当はジルと婚姻するつもりだったのだろうが、生憎彼女は「いくらイケメンでも悪い噂がある男なんて嫌だわ」と言って駄々をこねる。しかし結婚すれば大金がもらえ、散財で経営が苦しくなっている領地にはその資金が必要だ。
そこで代用品としてエメリィが嫁ぐことになったのだった。
(――これ以上に嬉しいことなんてあるでしょうか?)
公爵の噂なんてどうせつまらない嫉妬から生まれたものだろう。
ここから逃げ出せる。そして何もかもから逃れ、幸せになれるかも知れないなんて。
私はこの話を受けた時に心の中で喜んで飛び跳ね回った。実際には飛び跳ねていない。喜んでいると知られればなかったことにされるだろうから。
クズたちは私への嫌がらせのつもりで話を持って来たのだ。内心を悟らせてはいけなかった。
「……本当に行かねばなりませんか」
「お義姉様にはちょうどいいお相手じゃなくて? 果たしてお義姉様は、化け物閣下の元で長生きできるかしらねぇ」
ジルはそう言って、ふふふと嗤っていたっけ。
その日のうちにフォンスト伯爵家を追い出され、私はアロッタ公爵家へと馬車で向かうことになった――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しかし世界は、私に対してそんなに優しくはなかった。
地獄からやっと抜け出せたと思ったのに、次はまた別の地獄が待っているだなんて。
公爵との結婚式はなかった。
書類にサインを求められ、そこに署名しただけ。そして首を傾げる私に告げられたのが、『愛することはない』という信じられない言葉だったわけだ。
愛さない、というのは正直言って構わない。
貴族の政略結婚とはそういうものだろう。しかし問題なのは、それを公言してしまうということ。
その場には公爵家で仕える使用人たちがたくさんいて、若き公爵閣下の宣言を聞いていた。
これでは、『お飾りの妻』として使用人から軽んじられてしまう。主の意向に常に沿うのが使用人の役目だからそれは当然の話で、最悪の場合嫌がらせさえされる可能性すらあった。
事実、公爵が愛さないと言った瞬間、ただでさえ私に好意的ではなかった使用人一同の視線はさらに冷たくなっている。何しろ私は悪女だ。嫌われ者なのだ。誰も好いてはくれない。この屋敷でも孤立無援になり、蔑ろにされる未来が透けて見えるようだった。
(――ああ)
目の前が真っ暗になり、めまいを覚えて近くの壁にもたれかかった。
そんな私に公爵はさらに追い打ちをかけるように続ける。
「大体、俺はジル嬢だからこそ娶ろうと思ったんだ。病弱でおとなしいと聞く彼女なら文句も言わないだろうと……。なのになぜ悪女のお前なんかと結婚しなきゃならない。話が違うだろうが」
ジルが病弱だなんて嘘だ。それはいつもジルが私の名を借りて遊びの場に出ているからで、本物の『ジル』がたまにしか姿を現さない理由づけでしかないのだから。
つまりジルは、遊ぶ時は私のふりをし、いい子を演じる時だけジルと名乗っているわけだ。もちろんこの公爵閣下はそんなこと知る由もないことだけれど。
アロッタ公爵はさぞガッカリしているに違いない。私の気持ちなんて一切考えもせずに……。
(これでは伯爵家にいた頃の繰り返しになるだけではないですか)
そう考えただけで身震いせずにはいられなかった。
だから私は、必死に抵抗した。
「そ、そんな……。私、しっかり公爵夫人としての務めを果たそうと思っておりますのに」
「却下だ。お前のような女は一度甘えさせたらどこまでもわがままを言うんだからな」
だが、公爵は頑なで。
もうダメかも知れない――思わずそんな風に諦めかけた私を救ったのは、意外にも私を悪様に罵り、恐怖のどん底に突き落とした公爵閣下その人の言葉で。
「もう一度言うが、俺は間違ってもお前のような悪女を愛してやったりはしない。元々からして周囲がうるさいからしただけの結婚なんだ、関係を持つつもりははなからなかった。
だがその代わり、お前は好きにしろ。夜遊びをするなりなんなり、な」
好きに、していい……?
その言葉を耳にした瞬間、暗転しかけていた視界がクリアになるのを感じた。
顔を上げると、そこにあったのはアロッタ公爵の顔。顔はいいがそれだけで、そこに宿るのはこちらを見下すような感情だ。
けれど今はそんなことはどうでも良かった。
「本当に? 本当に、好きにしてよろしいのですか」
「ああ、そうだが」
私は全身を震わせた。
怖かったから? 激昂したから? ――否。今度の震えは、心からの歓びによるものだった。
「では約束していただけますか。できればそう、契約書。契約書を作ってください。私、エメリィ・フォンストはジェード・アロッタ公爵閣下の寵愛を求めない。それを守っていれば自由にしていい、と」
私があまりに必死だったからだろうか。
公爵はほんの少し戸惑ったような、驚いたような顔をしてから言った。
「そんなに遊びまくりたいのか? ……まあいい、わかった。そこまで言うなら契約書を書いてやろう。契約は絶対だ。後で覆すことはできないぞ」
「もちろん理解しております」
使用人の一人が運んで来た契約書。アロッタ公爵が書き入れ、「これでいいだろう」と手渡して来たそれに、婚姻届と同じようにサインする。
その瞬間、今まで背負って来た全てから解き離れたような解放感を得た。今なら何でもできる気がするほどだった。
「ありがとうございます、公爵閣下。これからどうぞよろしくお願いいたしますね」
私はきっと、今までの人生の中で最高の笑顔を浮かべていたことだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私はお飾りの妻。
夫と夜を共にすることも、公爵夫人として社交などを行うこともない。
だって好きにすればいいと言われたのだから。
愛さえ期待しなければ、何でも許される。それならば求められてもいない仕事をする必要はない。
だから私は、私の自由に生きる。
「ごめんなさいッ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。わたしが全部悪かったわ。ごめんなさい、何でもするからぁっ。だから許して、許してぇ……!」
ジルが私の前に跪き、可愛い顔をぐしゃぐしゃにして泣き喚いていた。
私は彼女のその醜い姿をじっと見下ろしていた。頬に悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
「許して? 何を言っているんですか、ジル。
覚えていますか、八歳の頃のこと。あなたが私の婚約者を奪ったあの時の話です。
私はあなたに、泣きながらお願いしましたよね? 何でもするから彼だけは奪わないでって。
それをあなたは聞きましたか? ねぇ、どうなんです?
――死になさい、ジル。あなたに救いなどないのですよ」
牢屋の中にうずくまって謝罪を繰り返す義妹を見るのは、とても愉快だった。
過去に私を虐げ続けた存在。しかし今はその立場はすっかり逆転しているのだ。これが嗤わずにいられるだろうか?
お飾りの公爵夫人として私がまず行ったこと――それは十年間溜まりに溜まった生家への意趣返しだった。
公爵家の馬車を拝借し、複数の貴族家に『挨拶回り』を行って、そのついでに少し噂をばら撒くだけ。
正確には、噂というよりフォンスト伯爵家の醜聞の暴露と言った方がいいだろうが。
そしてその数日後、フォンスト伯爵家は取り調べられ、どんな墨より真っ黒だという事実が世に露呈した。
当然ながら伯爵家は取り潰し。伯爵、伯爵夫人、そしてジルは揃って投獄され、後日処刑されることになったのだった。
かつての私なら到底できなかったことだ。
お飾りだったとしても公爵夫人という地位を手に入れたからこそできた復讐。
多くの者には非道と言われることだろう。しかし、私に責められる謂れはなかった。
「だって私、公爵閣下から『好きにしろ』と言われたのですもの。私は私の勝手にさせていただいたまでです」
誰にともなくそう呟きながら、まだ私に縋ろうとしているジルを見捨てて牢獄を去る。
そして今度は公爵家を私好みに改善することにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アロッタ公爵家の使用人は、私に優しくない。
でも私は仮にも公爵夫人。着替えは一人でできるし、伯爵家での暮らしのおかげで家事全般はできたから困りはしなかったけれど、食事も出されずお茶の一つも運ばれて来ないこの状況はおかしいと思う。
だって私にはもう、虐げられる理由なんて何もないのだから。
「職務放棄によりあなたたちを解雇します」
使えない使用人たちに終わりを宣告する。
公爵閣下が雇っている者たちだから解雇する権利は本来は持っていない。けれど、あの契約がある限り私の言動は全て公爵閣下に認められているのだ。私の発言は公爵閣下の言葉と同等の価値を持っていた。
無論使用人たちは私に反抗したし、なんなら「悪女だ」と面と向かって罵り、殺そうとまでしてきたけれど。
痩せ細った体で出せる全力で私が暴れたら、それだけであっという間に使用人たちは逃げて行ってしまった。
(こんなガリガリの小娘一人に勝てないなんて、ナヨナヨし過ぎです。もっとしっかりした使用人を私が選ばないと)
かつてフォンスト伯爵家で働いてくれていた、心優しい使用人たち。
今は一体どれだけの人が残っているだろう。できれば彼らを全員ここへ呼び寄せたいと考えるが、さすがに十年の月日が経っているのでそうはいかないだろうと考え直す。
そして考えた挙句、私は使用人を雇うという案を断念し、結局、私だけでこの屋敷を回していくことにした。
それに、もうここには私をこき使う継母やクズの父親、義妹はいないから、煩わされることもない。
これから伸び伸び過ごせるのかと思うと、とても清々しい気持ちになった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ところで私には、好きな人がいる。
一度は諦めた夢だった。彼と添い遂げられる未来などないのだから、せめて公爵閣下と幸せに暮らせればそれでもいいと思っていたのだ。
しかし公爵閣下は私を愛することはなく、好きにしろと言った。
ならば彼のお言葉通り私は好きにさせてもらう。
(……初恋を叶えるために戦争の一つくらい起こしたって構わないでしょう?)
かつて私の婚約者だった、アルト・ウィルソン侯爵令息。
彼の現在の婚約者であるシェナという筆頭公爵家の令嬢がいるのだが、彼女を潰す口実を探すために人を雇って調べていたら、隣国と通じていたという重要な情報を掴んでしまったのだ。
これを国王にこっそり教えると彼は激怒し、公爵家の者たち――それには宰相も含まれていた――を貴族籍から除籍すると発表。
そこから隣国も絡めての戦争に発展し、国は荒れに荒れているのだった。
(ですが、私にとってそんなことはどうでもいいのです。大事なのはシェナ嬢とアルトとの婚約が無事に破棄されたこと……。これでもう彼に近づいたって文句は言われませんよね?)
公爵夫人のくせに侯爵令息に婚約を申し込もうだなんて非常識にもほどがある?
確かにそうかも知れない。けれど、そう言われれば私はこう答えるだろう。
『でも私、亡き夫から好きにしろと言われておりましたので』
ジェード・アロッタ公爵は戦禍の中、領地を守るために体を張り、戦死した。
だから未亡人となった私を咎める者はもういない。アルトだって私が会いに行けばきっと喜ぶはずだ。
(もしもアルトが私を忘れてしまっていたら、時間をかけて再び好きになってもらうまでですけれど)
虐げられ続け、かと思えば愛さないと言われてしまった私。
振り返ってみれば不運続きの人生だったが、これからの私の未来は明るい。
今度こそ、本当に愛する人と幸せになってみせる。そう心に誓って私はにっこりと笑ったのだった。
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