ピンタの話 2
喉がぽっかり開いて死ぬなんてのは嫌ですね。
『最近死体が増えています。狼藉者がいるのかもしれません! 島民の皆さんはご注意を! 死体を捌くのに人手が足りません! アルバイトを募集します! ご連絡は死体売りまで』
ひげじぃのジャンクショップの掲示板によじれた文字でチラシが張ってあった。文字を読めない奴もいる。それに気が回らないくらいに忙しいのだろうか。
死体売りの処理能力がパンク寸前らしい。小銭稼ぎにそこで働くのもいいかと思ったけど、以前ケンカして気まずいままだったのを思い出した。
雲が流れるのがとても速い日。まだ雪は溶けていない。
風が冷たい日は川の方が温かい。僕は塵食い魚にかじられるのはごめんだから、川で水浴びはしないけど。
こんな日っていうのは、くず拾いもはかどる。
暑いよりかは寒い方がいい。上着を着こんでしまえばいいから。
だけど、今日も僕はサボる。
姉さんが遺した金もまだあるし。
働く理由がなかった。
姉さん愛用の安全靴を履いて、下流の岸へと向かう。
この前、姉さんの匂いがまだ残ってるか確認するために靴の香りを嗅いでたらニーニャに見られた。不覚。
僕が姉さんに拾われた場所。
この島のことを皆は「掃きだめの島」という。
塵食い魚の食べ残しが上流から流れ着く。
下流の岸にはなにもない。
砂しかない。
なにかが流れていたら目立つ場所。多くのスカベンジャーが一度は下流に訪れる。
訪れた後に何もないこと。無意味なことを理解して足を遠ざけるようになる。
だから、珍しい。
サボろうとしたら、こんな大物が取れてしまうとは。
女だった。
服は剥がれて、ほとんど全裸に近い。申し訳程度に服が引っかかってる。
島には珍しい白い肌。
波に乗っかって岸に流れ着いたか、泳いできたかはわからない。
もしも、ゴミなら塵食い魚が食べてるはず。生きてるから、食べられていないのだ。
検分を繰り返したところ、服以外にもいくつかかじられているのが分かった。
それなら、こいつは死んでるのか? 上下する胸を見ると呼吸はしているので生きている様子だ。
そして、それ以上に僕が目をむいたのは女の周囲に転がる死体だ。
首から顎にかけてがぽっかりなくなっている。
明らかに死んでいる。
男の死体が二つと生きてる女が一人。
僕は判断を迫られている。
こいつを処分して、三体とも死体売りに渡す。
丁寧に介抱して、恩を売る。
放置して、様子を見る。
新鮮な死体っていうのは人気がある。しかも女ならなおさらだ。
姉さんが死んだと知って、死体を買いに来た奴らを追い返したのも記憶に新しい。
「死んだらモノなんだからさ。別に売っぱらってもバチはあたらねえじゃねえか!」追い返された死体売りはこんな捨て台詞を残して去っていった。
とは言っても、他人の死体なら売るのも抵抗はない。
……ひどい追い返し方をした。だから今更頭下げて死体を売りに行くのも気に食わない。
それにもう一つ大きな問題があった。
僕は死体を作ったことがない。
困った。
姉さんの死体とばいばいした後に、他人の死体未満と対面である。
不確実なことができない。
死体売りの案は却下した。
丁寧に介抱することについてだけど。
この女が危険人物ではないと確信が持てない。
寝起きざまに何かされたら! それはそれで恐ろしいので勘弁したい。
僕は当初の予定通り岸で水面を眺めて過ごした。
女とは距離を置いてだ。
幸いこんなところには僕くらいしか来ないから、他の人に横取りをされないはず。
……横取りされたら、されたで潔く諦める。
女の呼吸は安定していた。じきに起きるはずだ。多分。
僕は流れていく川を見ながら、姉さんのこと。ニーニャのこと。
島の外の世界のこと。とりとめもないことを考えては、捨てて、また別のことを考えた。
考えてもしようのないようなことを考えた。
僕は油断していた。
女から目を離すべきではなかった。
そこにいると思っていた女はいつの間にか起きだして、僕を見下ろしていた。
長い髪の毛は砂と一緒になって肌に張り付く。髪を伝っておりていく水滴が見えるほど。
「お兄さん。はじめまして。ちょっと汚いけどわたしをかいませんか?」
女は僕を見下ろしたまま売り込んできた。
「……お兄さんを噛むようなことはしませんし、家事全般をします。今はちょっと汚いですけど、身体を洗えばいい匂いがします。夜のお相手だってこなしてみせましょう。むしろそっちがわたしの本職です。満足させますよ。無理にかってくれとはいいません。ちょっと味見をしてもらっても結構です。それで合わないと思ったら捨ててくれてもかまいやしません」
とても魅力的な提案のようにも思えた。
姉がいないベッドは一人ではさみしい。
買うのか。
飼うのか。
「……飼うってんなら、餌を与えるだけでいいの? 雇うような立派な稼ぎはしちゃいないんだ」
嘘だけど。
「結構です。お兄さんのお名前を伺っても?」
「ピンタ。きみは?」
姉からもらった名前を僕は名乗った。
「……今のわたしは名乗る名前はありません。名前をください」
名前を欲しがる女だ。きまぐれだった。なぜ、あの名前をやったのか。
「じゃあ、マリアにしよう。僕の死んだ姉さんの名前だ。大切にしてください」
「承知しました。わたしはマリアです。捨てられたセクサロイドのマリアです」
訂正。女じゃなかった。人間でもないみたいだ。
せっかく死体があるのだから、金にしないのも勿体無い。
そういう考えもあって、僕はマリアに協力をお願いして、死体を死体売りの元に運ぶ。
道中、マリアになぜ唐突に売り込んできたのか訊ねた。
「……怒りませんか?」
「内容によるさ」
「無礼を承知で申し上げます。ピンタさんが性的に未熟な男性だったからです。寝込みを襲うような男性なんて相手していられません」
顔こそ見なかったけれど、マリアは笑っているように思った。
至極当然なことなんだろう。
人を殺せるセクサロイド。
それは捨てられるのも道理だろうさ。
多分こいつは僕に敬意なんて持ってない。
とんでもない奴を拾った。
どこかで寝首をかかれるかもしれない。
それこそ、首から顎にかけてぽっかりと。
その時はその時だ。
「この死体を作ったのはマリアか?」
「まさか? わたしはセクサロイド。人を傷つけるなんてことできません――」
僕が先導して歩いているから、マリアの顔は見えない。言葉が追う。
「――わたしはマリア。あなたのマリアです。嘘などつきませんよ」
嘘のように感じるのは僕が嘘つきだからかな。