ユタカの記事 1
視点が変わります。ちょっとうざい記者の記事です。
シティネットの記事を担当することになったユタカだ。
ご存じの方はお久しぶり。ご存じない方はこれを機会に覚えていただきたい。
全投影ネットが浸透してきた現代、古式ゆかしいウェブブラウザ形式の記事を読もうという物好きに向けて提供していく。評判が良かったら、ペーパーブックとして掲載されるらしい。時代錯誤も甚だしい! 紙媒体を好む者などおるのだろうか。
そもそも活字を読むという人間が珍しい。教科書テキストも映像化、イラストによる最適化がされて久しい。
それだというのに活字オンリーの記事を提供するという意欲的な挑戦を行うシティネットに敬意を表したい。
そして、この企画を強引な力で押し進めた編集長は一度ダイエットをするべきだ。
こんな頭のおかしい企画を行うのは時代に逆行していると言わざるを得ない。
しかしまあ、ここでいくら編集長の悪口を書いてもしかたない。
先に進む。
私は基本的にテーマを選ぶ記者だ。何事も信念をもって取り組んでいたつもりだし、社会的な意義を持つものを書いてきたし、よほど下らんこともしてきた。
しかし、理想と現実が食い違うのは往々にしてある。
本稿の場合も例外ではない。
パンを買うために編集長に信念を金で売った。
「誰かを指さして笑うような記事を書け」
ご注文である。
馬鹿にするな。そういう記事が欲しいなら、他の記者に当たれ! と怒鳴り散らして、帰ろうにも札束で頬をはたかれたら、気持ちも変わる。
せっかく心を売ったのだ。
月三ドルという驚くほど高額な月額料金を払っている読者たちへ、読み応えのある記事を提供していく所存だ。ちなみに私は早速ホットドッグを食べている。二ドル五〇セント也。
初回の記事においては何をテーマに書くべきか。
様々考えた。
我らが市長の不倫のシーンを拾い集めるわけにもいかない。
私は長生きがしたいのだ。ケンカを売ってはいけない相手がいることを知っている。
高所得者向けの星間航行客船のレポを書いてもしょうがない。
親愛なる読者たちはこのシティネットを読むのに月三ドルしか払っていないのだから。そんな貧乏人には無用の記事だ。
貧乏人には貧乏人に似合った記事がある。もしもだが、「私は貧乏人ではない!」という稀有な読者がいればどうぞ反論を投書していただきたい。
面白ければ記事で引用してさしあげる。
私はまるで駆け出しのペーペーの記者のように懊悩を繰り返していた。
わたしがどうしたものか悩んでいると、ホットドッグの差し入れと共に編集長がこれまた指図する。
記事のテーマを決めうちしてきたのだ! 私は激怒した! 記者としての根性の問題だ。そんな無礼なことをされてまで仕事を受けるわけにはいかない! そう言って、椅子を蹴とばして後にするようなことはできなかった。
ホットドッグを食べられなくなるのは困るからだ。
編集長から示されたのは次のテーマだ。
『掃きだめの島』である。
しかし、それはあまりにも危険が過ぎるテーマだった。
さしもの私も命の危険が伴う。
読者諸君はご存じだろうか?
この言葉を聞いて、ピンと来た人は察しがよろしい。
胸がざわめいたはずだ。
貧乏人はさらに貧乏な奴らの話が好きだ。だいたいがそういう風になっている。
上を見たら、上級市民のスカートの中がのぞけるし、汚い下着を見せつけられるだけだ。
なら、どうするか? 自分より下の奴らを見て、慰めるしかないのだ。
大して褒められる趣味ではないし、お上品でもない。
だけど、誰かを嗤いたい。貶めたい。そんな気分になることは多くある。
私なんか頻繁にある。
そして、そういうごっちゃごちゃしたゴミのような黒い感情を捨てる場所として彼の島を提案する。
島をご存じない読者のために文章を少し割こう。感謝しなくても良い。文字を埋めるためだ。
掃きだめの島を知らない読者は歴史修正の敗者だ。
しかし、一方的に敗者と断じられても気分が悪いだろうから、さらに私は時間を割いてやる。
基本的に私たちはゴミをみない。必要がないものだからだ。
ゴミを鑑賞する趣味を持つような友人はそう多くない。
記者でもないのにそういう趣味をお持ちの人はおそらく変人もしくは変態の部類に該当する。
こういう風に断言すると、うるさい団体が声をあげるのだがそういったのは相手したくないので、放念したふりをする。
一般的に人はゴミが嫌いだ。
古来、人々はゴミに悩まされた。
人が集まればゴミの処理が喫緊の課題であった。
私の母方のご先祖は町中に排泄物を投げ捨てていた。しかし、それではいけないと水道を整備し、清潔さを追求してきた。
ゴミの廃棄もそうだ。多くは燃料を使い、灰に変えていた。今想像するに恐ろしい! 大変なカロリーだ。
しかし、転機が訪れる。
私の父が若者で、祖父が壮年のころ。塵食い魚が開発された。彼らはなんでも食べた。分解した。自然に返した。彼らの存在がシティのゴミ処理を変えた。彼らはどんな環境でも、正常に戻したし、どんなゴミですらも分解した。
この夢のような魚はシティ住民に大きなカロリーカットをもたらした。
シティのごみ処理は皆にとってなじみ深い方法で処理される。
ご存じのとおり、人々はゴミを川に捨てる。
シティを横断する川は多くの塵食い魚が放流されており、それは自然界の一部として悠然と泳いでいる。しかし、一万個投げ込んだゴミのうち一つはその包囲網を抜けた。
もっともだ。どこにでも抜け穴はある。
その網を抜けてしまえばゴミはゴミだ。
そのゴミは積もる。下流のある中州に積もったのだ。
多くはその中州にも引っかからずに太平洋上へ長い旅路へ出ることができたというのに! しかし、奇跡は積もる。そして奇跡が堆積して出来上がったのがこの『掃きだめの島』だ。
事態に気づいたのは島の規模がちょっとした野球場になったころ。
最初の住人は誰か。
シティを放逐されたもの?
行く当てがないもの?
ただの物好き?
一説によると狂信的なセックスナチュラリストが集団で住み着いたともいわれる。だけど、それらの多くは噂に過ぎず、真偽は定かではなかった。
そこにゴミを集めて金に換える者が住み着き始めたらしい。私には理解できなかった。
事実、人は暮らしていた。
今回はそこに暮らすある姉弟の話をしよう。
私は読者に代わって、掃きだめの島へ赴き、読者の目となり耳となり情報をお届けする。
今回の記事はここまで。文字数が多いと飽きて、読めなくなる読者に配慮してのこと。記事の回数を増やそうとしているわけでは断じてない。
取材にあたって、シティネットが手配した生命保全プログラムが適用された。
後日、私のバックアップボディが編集長のボイスメッセージと共に家に届いた。
『これで思う存分危険を冒して、取材に励んでいただけるね』
このボイスメッセージの再生を行うのはシティネット広報が売り出している女型セクサロイド。生命保全プログラムの一種としてついてきた。
私がゲイだった場合を考えていない軽率な行いの編集長であることをここに非難したい。