ピンタの話 4
ピンタ君が疲労困憊の体ですね。疲れているのだと思います。彼には頑張っていただきたいですね。
雪もそろそろ溶けるか。
そんなころ。ドクターに呼び出された。言伝を受けたのはマリアだ。
マリア姉さんが死んでから、ドクターとは会う機会がない。
というか、コンドームやらピルやらを必要としなくなったのだから、当然だけど。
もう姉さんはいないんだから。
「しかし、何でまた?」
「とても険しい顔つきでした。ピンタと話す必要があるのです! と仰ってましたよ」
マリアの物まねはうまい。ドクターにそっくり。
行きたくない。なんだか、説教でもされそうな雰囲気だ。
ああいったお小言というのは僕は嫌いだ。ニーニャでもいっぱいなのに、これ以上何を聞けってんだ。
僕がぐずぐずしているとマリアが重ねて訊ねる」
「どうします? すぐに行きますか? お昼ご飯食べてから行きますか?」
無視する選択肢がない。
「すぐに行く。ちゃっちゃと終わらせてくる」
「終わるんでしょうか……」
「終わらせるんだよ」
僕は外套を巻き付けて家の外へ飛び出した。
雪が湿り気を帯びてきている。あと少しで雪はなくなるだろう。雪が溶けたら、あっというまに島は暑くなる。気温もつらいが、なにより日差しが痛い。
薄手の外套は外せなくなる。今は厚手の外套。
もうぼちぼち綿を抜く必要があるか。
ドクターの診療所は何を燃やしているのかわからないけど、ストーブに火が入っていて、室内に入るとちょっと暑いくらいだった。
「マリアに話を伺ってまいりました」
「遅い!」
診察室のカーテンの向こうから、ドクターの声が刺さる。
急いで来たというのに。なんて言いぐさだ。
「言伝を伝えたのは今朝ですよ!」
マリアが帰ってきたのは昼前なんだよ。マリアはどこで道草を食っているのか。
「自分の持ち物でしょうが。管理しときなさい!」
ドクターはいつも厳しい。
「なんでいつも怒鳴るんですか?」
ちょっと怖いんだけど。
「怒鳴りたいからです! ピンタ、ちょっとこっち来なさい!」
僕はこわばった足に気合を入れて、カーテンの向こう側へ足をやる。体が追い付く。
ドクターは両腕を胸の前で組んでいて、威圧感がたっぷり。
胸がある。今日は女だ。
ドクターはしばらく会わないと性別が変わる。
「性別をそんなにぽんぽん変えてたら、わからなくなりませんか?」
「なりません! 性別選択はあたしのポリシーです。あたしのことはどうでもよろしいです。今日呼びたてたのは他でもありません。ニーニャのことです――」
じゃあニーニャに話せばよいだろう。しかし、僕はくちごたえせずに話の続きを促した。
「――ニーニャがピルを買いにきました! あたしは診察を申し出たのですが、彼女は受けてくれません。どうしたことでしょうか?」
「ドクターに身体いじくられるのが怖いんだと思います」
「黙らっしゃい! あたしは男としてのピンタの責任を問うているのです。ああ! 胸くそ悪い。出ていけぇ!」
叫びだしたドクターは椅子を蹴り飛ばす。椅子が僕にあたる。驚いた。
呼び出すやいなや追い出す。さすがだ。
ドクターは僕の外套のポケットというポケットにコンドームを押し込み、追い出す時にはさらにコンドームを箱ごと投げてきた。
僕には何が何だかわからなかった。
なにか怒られたようだけど。怒られた内容もよくわからん。
多分、僕が何か足りないから。怒られた。
皆、もっと親切に怒ってほしい。これだから、ドクターは苦手だ。
隣接しているジャンクショップからひげじぃが顔をのぞかせていた。僕はどうしたもんかと思いながら、目を合わせた。
「ちょうどいいや。ピンタ。こっちこい。面白いもんあるよ」
今日はいろいろと呼び出される。
お昼ご飯が遅くならないようにしたい。
遠目に見える僕の家からは白煙が見える。
何を作ってくれてるんだろうか。この前教えた塵食い魚のカルパッチョを作って欲しいな。今度お願いしてみよう。
さっさと用事を終わらせよう。
「何があるのさ?」
「ユタカを覚えてるか? ほら、夏の時にやってきた。記者だよ」
「……うん、覚えてるよ。あいつがどうかしたの?」
「生きとったよ、記事書いてた」
驚きだ。
ユタカはこの島で死んだ。死んだはずだけど。生きてたのか。そりゃよかった。
いつの間に記事を書いていたんだろうか。
最後の死に際なんてのは頭吹っ飛ばされたというのに。
吹っ飛ばした奴はまだ誰かわかっていない。
どういうことだ?
死体は死体売りに売ったっていうのに。ちなみにユタカの肉は大人気だったらしい。食べ応えがあるって。
「シティの奴っていうのはまあそういう奴もいるんだよ。念には念を入れるような奴がね。ユタカはそういうのだったってことさ。で、面白いのがこれだ。シティネットのペーパーブック」
開き癖がいくらかついたそれをひげじぃはくれた。
紙媒体の本っていうのはあまり見たことがない。
シティにはあるのかもしれないけど。紙とかっていうのはそれこそ塵食い魚がすぐに食べちゃうから。ゴミくずのなかではレアだ。レアだけど、そもそも値段が付かない。暖炉の燃料にするくらい。
僕が読む本とかって、電子ペーパーキャッシュに載ったコミックを触るくらいだ。それもすぐに他の子どもの回し読みに流れる。
「活字じゃん。コミックの方が好きなんだけど」
「文章に触れろ若者。お前たちの事書いてるぞ」
ひげじぃに進められるままに僕はそれを読む。
ユタカの文章がうまいか下手かそういったのは知らないけど、なんだかとてもケンカを売った文章だった。僕を誰かによって表現されるというのがこそばゆい。ちょろっと読んだあたりで脇の辺りがムズムズして本を閉じた。
「どうだった?」
僕は思った通りのことを述べた。
ひげじぃはひとしきり笑った後、僕にペーパーブックをくれた。
「もう、読んだからそれやるよ。耐水性のペーパーブックなんてのはな、やろうと思えばシャワー浴びながらでも読めるよ」
すごい本だ。電気がなくても本が読めるんだ。
「……お金の持ち合わせはないよ」
「だから、やるって言ってるだろ」
「姉さんは言ってたんだ。タダってのは一番厄介だ。愛があるかと勘違いさせるって」
「よくわかってるじゃねえか。じゃあ、頼まれごとを言うよ」
僕はひげじぃからの頼まれごとを受けた。
厄介ごとだった。
こういうのは重なる。
僕は内容について了承して、ひげじぃのジャンクショップをあとにした。
気持ちが乗らない。
帰りがけに死体売りの元に話を聞いた。
さらに胸糞悪くなった。
家に帰ってからは、マリアと適当にごはんを食べて、ペーパーブックを読んでイライラした。なんか、いろいろわかった。それがしんどかったのかも。
そして、家探しをして、ユタカからマリア姉さん宛の手紙を読んでさらにダメージがあった。
なにもかも蚊帳の外。
僕はこれまた疲れてしまった。
不貞腐れて狭いベッドではばからずも真ん中で堂々と眠るマリアを隅へ押しのけて、隣で眠った。
マリア姉さんとは似ても似つかない。肌の色のマリアが隣で眠るのにも慣れてきた。