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 「そうか……そうだった……」


 全てを思い出した私を少年が子供のものとは思えない力で突き飛ばした。


 「僕の名前を思い出せるかい?」


 「シゲルだね」


 頷いたシゲルは前髪で目を隠すと、私からゆっくりと離れていった。


 「今なら、自分のことを語れるだろ。僕に教えてよ」


 忘れていた理由さえも思い出した私は、記憶の修復と回想を同時に始める。


 「私は、幼い頃から精神病院に入院していた。それは、重度の多重人格者だからだ」


 そうだね、とシゲルは私に言葉を促す。そうして、シゲルの望むままに私は喋り続けた。


 「記憶しているだけでも、あの段階で私の人格は百を超えていた。そりゃ、幼稚園程度の子供の中に大勢の人格が居るなら、両親だって気味悪く思うさ。ただ、彼らのことを私は不快に思うことはなかった。それどころか、友のように思っていたんだ。……両親が病院に来なくなってから、もっと増えていた気がするけどね」


 自然と恐怖は消えていた。その代わり、胸の奥底は大事な物が抜け落ちたかのような空虚感があった。


 「病院で過ごす内に、私はある少女に出会った。綺麗な子、不思議な透明感のある子だった。私は彼女と遊ぶ内に、彼女も同じように多重人格者であることを知った。より一層、私は彼女のことが気になるようになったんだ」


 私の人生の中で、彼女とただ他愛も無く遊んでいた時間が一番幸福だったのではないかと考えてしまう。実際、その通りなのだろう。たった一晩の過ちが、私と彼女の人生を大きく狂わせてしまったのだから。

 息が詰まりそうになりながら、私は「そして」と続けた。


 「お城が見たいと言った彼女を連れて、私は夜中に施設を抜け出した。ここ、ドリームキャッスルに着いた後、ここをねぐらにしていたホームレスに襲われて、私は一生消えない傷を負い、彼女は強姦されたショックで心を閉ざした」


 幸い犯人は逮捕されたが、かなり大々的に報道されたらしい。施設まで押しかけて取材をする記者も居たぐらいだ。

 苦い過去を思い出した私は、自分の額の部分に触れた。凸凹とした手触りは、あの日ホームレスに殴れた時から消えない傷跡となっている。今度は、シゲルの顔を見ながら「そして」と強い口調で言う。


 「シゲルが生まれたんだ。私の無意識に漂っているだけのはずの多重人格は一つとなり、私の心を守る為にシゲルを生んだ。既にシゲルは多重人格の枠組みを超えて、他者には視認できることのない友人イマジナリーフレンドとして私の前に現れたんだ」


 イマジナリーフレンドとは解離性同一性障害と間違われることが多いが、それとは別物である。

 幼い子供が、人形に喋りかけたり見えない友人と話をして、自我確立を行う。病気のようで病気ではないが、空想上の友人と会話する姿は他者から見ればかなり異常に見えることだろう。それでも、大体は子供の時に知らず知らずの内に見えなくなってしまうものだ。

 私のイマジナリーフレンドはシゲルなのだが、そもそも持っていた多重人格者としての性質が強く発揮されて、シゲルはイマジナリーフレンドの中でもかなり強力な存在として生まれた。もしかしたら、一種の霊的な存在とも呼べるかもしれない。

 

 「うん、そんな僕らの前に彼女も現れた」


 「だけど」と、シゲルは声のトーンを低くした。


 「彼女は僕らの記憶を失い、その代わり、僕らと同じイマジナリーフレンドを連れていた。それが、彼女なりの対処法だったのさ。最初は戸惑っていた僕らだったが、次第に彼女を受け入れた」


 そう、イマジナリーフレンドを持つ者は極稀に互いのイマジナリーフレンドを認識することもある。それが、私と彼女の例だ。

 互いのイマジナリーフレンドを実在するように認識し合った私達は、二人ではなくイマジナリーフレンドも友人達として遊んだ。事件を知っている大人達は、奇妙な私達の行為をおかしいと思いながらもあまり強く止めることはできなかったのだろう。


 「でも、決定的に違うところがあった。昔の彼女と今の彼女では、性格が違う。根本的な部分でだ。彼女の中の別人格が弱った彼女の主人格となり、イマジナリーフレンドを生み出していたんだ。単なる多重人格で四六時中肉体の操作を奪うことかできない。唯一可能性があるのは、シゲルのように強力なイマジナリーフレンドだけだろう」

  

 「そう、彼女は別人格に乗っ取られた。だから、私と君は互いに協力して元の彼女を取り戻す決意をしたんだ」


 彼女の描いた絵本は、明らかにドリームキャッスルでの悲劇をモチーフにしたものだった。

 心の深い所に閉じ込めていたはずの記憶を嬉々として作る彼女は、どう考えても私の知っている彼女とは別人に思えた。

 私の持っていた全ての多重人格がイマジナリーフレンドのシゲルに統合された結果、私の病気は快方に向かったことにされ、小学校高学年程度の年齢で退院することになった。

 それからの私はただ彼女を救うために勉強を続け、成人を迎える頃には若き心理学研究の第一人者として広く名前が知られるようになった。そうして、研究に研究を重ねて、私はイマジナリーフレンドを殺す薬の開発に成功する。

 まずは幻覚作用のある薬品を処方すれば、薬物中毒患者のようにあらゆる不快な感覚に襲われる。そして、次に処方するのはイマジナリーフレンドを具現化しやすくさせる薬で、イマジナリーフレンドという想像の産物をより実体化させて、主人格が体験している幻覚を共有させるのだ。これだけでは、まだ足りない。イマジナリーフレンドを持つ者同士で近づき共鳴させる必要性が出て来たのだ。

 その為、私は自ら実験に参加して、彼女のイマジナリーフレンドを引き出して殺害する計画を企てた。

 メディスンというのは、私が録音していた音声。危機的状況によって煽られることで、私の催眠効果は増す。そして、私を守る為に生まれたイマジナリーフレンドの人格なら、ケイタが自分の命を捨ててまで私を救ったのも納得だ。

 薬を服用の際に、私の中には、ケイタとカリンというイマジナリーフレンドが過ごしていた。ほぼ無意識で生み出した存在だろうが、彼らの感情と記憶が複雑に刺激し合い私を一時的な記憶喪失にさせたのだろう。

 ケイタは私の正義感が生み出した人格であると同時に、面倒な大学生活の友人関係を彼に代わりに務めてもらっていたのだ。

 カリンは思春期の私が無意識に抱いた少女の願望。どこか幼い頃の少女の面影と重なっていたのは、きっと成長した彼女のイメージを重ねていたのだろう。

 それから、ユウが出会ったユウコとトオルは彼女が自分を守る為に生み出していたイマジナリーフレンドだったのだろう。

 ようやく、私達のイマジナリーフレンドが消えようとしていた。

 幻想を拷問にかけるこの薬こそ――イマジナリートーチャー。


 「思い出せてくれて、ありがとう。ここまで来たなら、彼女のイマジナリーフレンドも顔を出すだろう」


 礼を言う私の声を満足そうに聞きながら、シゲルはベンチで横たわるユウの髪を撫でた。


 「僕だって、また彼女に会いたいだけさ。僕の仲間達が命を賭けてまで達成しようとしていたことを、諦めるわけにはいかないからね」


 健気なシゲルの言葉に嬉しくなり笑いかけようとしたら、私はシゲルの姿に言葉を失った。


 「そん……な……」


 シゲルの背中を貫通して胸と胸の間から、ガラス片が飛び出していた。そのガラス片を握った人物こそ――ユウだった。

 ユウは目を血走らせながら、シゲルの背中越しに私を睨みつけていた。


 「よくも私の友達を殺したな! あの施設で過ごす唯一の友達だったのに! 彼らが私の唯一の友達だったのに! 友達を、どうして殺したっ!」


 自分の手が傷付くことなんてお構いなしに、ガラス片を抜いてはシゲルに突き刺し、再び抜いては突き刺すことを繰り返す。小さな体のシゲルはガラス片が体を貫通する度に、ビクビクと壊れた人形のように跳ね上がる。

 最終的にはユウは我慢できなくなったように、手に持ったガラス片を持ち替えて怒りのままにシゲルの脳天に突き刺した。シゲルは白目を剥き、泡を吹いた。頭の中からトマトの果肉のような黄色の塊がちゃっちゃっと音を立てて噴き出す。

 頭の中から脳漿を散々撒き散らせば、ユウはシゲルの背中をめいいっぱい蹴りつけた。

 絶句したままの私の足に、シゲルの脳みその一部が付着する。ぼんやりとした思考で、足に付いたのは白色だが、さっきの黄色は何だったのだろうかと阿呆のように考える。だが今一度私に現実感を与えたのは、今までうるさいぐらいに感じられたシゲルの気配が消えていく感覚だった。


 「あははぁ……幻でもぐちゃぐちゃになるんだぁ」


 シゲルを惨殺していた時の鬼の形相とは違い、悦に浸るような顔でユウは笑う。

 高揚した頬のまま、射抜くような眼差しでユウは私を見た。


 「……私はただ、君を救いたかっただけだ。いや、正直言おう。もう一度、君に会いたかったんだ」


 「馬鹿ね、彼女は心が狂っているの。それでも会いたいと願う? 狂った彼女を正常に見せる為に生まれたのが、私達だったのよ?」


 ユウがそう言うなら、きっとそうなのだろう。もう一度会ったとしても、彼女は男性に怯え、発狂し、私を傷つけるかもしれない。だが、それでも彼女に会いたいと抗い続けた思いを無駄にはしたくなかった。


 「どうして、記憶喪失のフリなんてしていた。君は、今の彼女の主人格なんだろ。友人達を守るつもりなら、さっさと私を殺してしまえばよかったのに」


 「主人格は私ではあるけど、ご主人様は彼女よ。幼い頃の仲良しの男の子の面影を持つ貴方を傷つけないように、ブレーキをしてくれていたのよ」


 守ることのできなかった私を無意識に助けようとしてくれたいた彼女の優しさに目頭が熱くなる。今すぐにでも殺されてしまう状況だというのに、私の願いのほとんどは叶ったようなものだった。


 「今は……?」 


 「今は眠っているわ、彼女にとってもこのお城は、あまりにも怖すぎるのよ。無意識に守る気持ちを、本能が殺してしまったのね」


 一歩ずつ一歩ずつ着実に、ユウは私に鋭く尖ったガラス片を構えて距離を縮めてくる。だが、私にはもう逃げる気力なんて湧いてこない。

 何よりも心が満たされていた。ずっと罪の重さに苦しんでいたが、先程のユウの話では彼女は私のことを守ろうと動いてくれたのだ。それだけで救われた。救ってくれようとした彼女には申し訳ないが、ユウという別人格ではあるが彼女に裁かれるのも悪くは無いとすら思ってしまう。


 「一言だけ言わせてもらってもいいかい? 醜く死ぬ前に少しだけでいいんだ」


 殺人に快感を持っているユウという人格は、きっとあの事件から生まれたサイコパスの部分なのだろう。彼女に何を言っても意味はないが、それでもユウは私が会いたくて仕方がなかった彼女の姿をしている。


 「なぁにぃ?」


 多少、動きがゆっくりなったぐらいで、ガラスの刃は止まることはない。それでいい、下手に待っていられると次から次にいろいろ考えてしまう。


 「キミは、僕にとって初恋だったんだ。それは今も変わらない。愛している、この世の誰よりも。狂った僕らには最初からまともな未来なんて無かったかもしれない。だけど、それでもキミを心の底から愛している。……全てが終わった時に、本当に全てがうまくいった時にだけ言おうと思っていたことがあるんだ」


 ガラス片は既に手を伸ばせば届く距離まで近づいていた。無常な刃と交錯するように、私は彼女を求めるように手を伸ばした。


 「――結婚しよう。お城は無いけど、キミの居場所だけは用意してみせる」


 私の胸をガラス片の先が侵入し、ビリビリとした痛みが広がり、シャツを血で染めていく。


 「あぁぁ!」


 私に数ミリだけ刺さったガラス片を勢いよく抜いたユウは、一切の躊躇なく己の心臓の辺りに突き立てた。


 「あぁ! あぁ! あぁぁぁ!!!」


 何度も何度もユウは自分の胸にガラス片を突き刺す。服は既に真っ赤に染まり、とうとう胸だけではなく腹や足や体の前の部分全部に刃を走らせる。


 「おい! 何をしているんだ!」


 「あっ!」


 細い足から放たれるとは思えないほどの鋭い蹴りをまともに受けた私は、五メートル以上吹き飛ばされた。異常なこの力は、イマジナリーフレンドの能力が働いていた。


 「や、やめろ……」


 立ち上がろうとする私だったが、肉体の疲労がピークだったことに加えて今の致命傷のような蹴りに意識が朦朧としてくる。

 まずいと思ったが、突然崖から落とされるようにして意識は完全に暗闇に落ちていく。


 「あぁ! あぁ! ああああ! 本能か……無意識か……あぁ! いや、これは……あぁ! ――感情か?」






                 ※




 今日だけで何回も意識を失っている気がする。

 相変わらず船の上に乗っているように、視界が大きく揺れていた。前に試験的に軽めのイマジナリートーチャーを試したことがあったが、これは薬が抜けていく感覚に近かった。いや、事実薬が抜けていっているのだろう。

 目覚めた場所はドリームキャッスルで間違いはないが、このロビーには誰の遺体も転がってはいない。ましてや、私の服には血の一滴たりとも付いては居ない。嘔吐したことは事実なようで、そういった汚れは確認できるが。


 「私は、また失ってしまったのか……キミを守ることもできないまま……生き残ってしまったのだろうか……」


 私はイマジナリートーチャーから解放されて、ここに居るんだ。

 そこで私はふとある違和感に気づいた。ユウが死んだはずの場所には、何も残っていない。

 早歩きで、最初にユウを寝かせていたベンチに向かうと、そこには――女性が規則的なリズムで寝息をたてていた。

 この人は、ユウなのか。いや、ユウは私の目の前で息絶えた。それとも別の人物なのか。

 目覚めることに一度恐怖を覚えるが、彼女の為になら死んでもいいとすら思えた私には、その程度の恐怖で足を止めることはない。

 ベンチの隣の壊れた自販機にもたれかかり、彼女が目覚めるまでのほんの短い間だけでもこの寝顔を眺めていようと思った。

 もし目覚めた時に、再び凶悪な殺人鬼の人格が宿るかもしれない。それだけではない、本来のあの子に戻った時には、私を見て発狂するかもしれない。もしかして、自殺を図ろうとして狂った人格を生み出す可能性だって捨てきれない。私と彼女は、本気で願えば何度だって何人だってイマジナリーフレンドを生み出すことができるのだから。

 それでも、


 「それでも、私はキミが目覚めるのを待ち続けるよ」


 ぐっすり眠る彼女の顔を見ながら思うのだった。

 

 ――もう少しだけ、この城から姫を連れ出すのは時間かかりそうだ。

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