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 信じられないことが起きた。

 私は、うつぶせだった体を反転させると仰向けになる。あの無機質な天井、それから例の通気口が視界に飛び込んできた。


 「生きているのか……」


 生還したことに喜びはない。死ぬつもりだったはずが、目覚めた先も地獄には変わりない。

 体を起こすとズキンと頭を刺すような痛みがした。多少なりとも例の煙の副作用のような物が出ているようだが、考えていたものに比べればどうということはない。

 どうして生き返ったのかも分からぬまま、立ち上がれば、異臭が漂ってきた。

 あまりの臭いに口と鼻を押さえ、嫌な予感を感じて臭いの先を探す。

 私はこれによく似た臭いを知っていた。そして、それがつい最近嗅いだことのあるもので間違いない。

 吐き気を感じ、もう二度と無様な真似を見せるものかと歯を食いしばったが、私の背伸びのような勇敢さはいとも容易く崩される。


 「神様……どうして、こんなことを……。私達は、何か悪いことをしたのですか……」


 吐き気すら忘れて、私は部屋の中央の惨劇にただただ涙を流した。

 部屋の中央では、潰れたザクロのように人間の体が粉々に壊されていた。

 両手、両足は天へと手を伸ばすようにして、切断面が地面に密着して辛うじて倒れないように手足が地面から生えるように伸びていた。

 ぱちゃんと飛沫が上がったかと思えば、程よく膨らんだ太股だけが地面から生えた足の膝下だけを残して血溜まりに滑り落ちた音だった。

 大小様々な血まみれの手足は、ある種の生け花のように中央の蕾を彩る花びらのようだ。潰れたザクロの実は、きっとどこにも見当たらない彼らの胴体をミキサーにしたものなのだろう。

 裂かれた頭の半分がぬかるんだ血のジャムから飛び出し、真っ赤に染まったピンポン玉のような塊が転がれば床に落ちてゼリーのように弾けた。

 現実感の無い光景を前に、死んだ心で私の足は歪なザクロに向かう。

 足を滑らせて、靴の下を見ると長い髪の毛に気づく。しかし、それは頭皮ごと剥がされただけで、顔と頭はバラバラにされているようだった。

 もう何の感情も湧いてこない。ただ私は涙を流す。こんな理不尽が許されていいものなのかと。

 ぬかるみから立ち上がって私が覗き込んだザクロの花。その中には、明らかに一人以上の体の部位が詰められていた。

 耳が三つ内一つは耳の先に何か管が付いていた。

 口が二つ、肉に歯が張り付いたままだ。誰の物だろう、八重歯が流れ落ちる。

 どうやら、指もバラバラにされたようだ。小指が二本に親指が三本。よほど苦しい目にあったのだろう、どの爪の間にも肉が詰まっていた。

 切り取られた乳房と思わしき物体が三つ、他の肉片に絡みつきグロテスクな人形のようにも見える。


 「もう駄目だ」


 目の前が真っ暗になっていく、救おうとした人達が死んでいく。

 もっと生きていかないといけない人達だけが、私を残して消えてしまう。

 ここまでして生きることに意味なんてあるのか、理不尽に死んでいくその前に、私には生きている理由なんて見当たらない。

 どうして、彼らが惨たらしく死ななければならないんだ。疑問と呼ぶにも愚か過ぎる発想だった。


 「またか」


 ボロボロになった私の視界の先には、扉が一つ出現していた。今度は薄明かり点っているお陰で、通路の中が確認できる。

 このまま死んでしまう方が楽だった。いっそのこと、このままここで餓死してしまおう。そこまで考えた私は、思いもよらぬ人物を発見した。

 壁の隅でうずくまっている人物に駆け寄った。そして、抱き起こして顔に耳を近づければ、幸いにも息があることに安堵する。


 「ユウ、君は生きていたのか……」


 どうやらユウは眠らされているようだ。

 ユウの姿を見て、私は何故か生き残ったのか気づいた。

 私とユウは勘違いをしていた。あの煙は毒薬の類ではない、私達を眠らせる為の催眠ガスのようなものだ。それを吸った私とユウが生き残り、残された二人が何らかの方法で無残に殺された。


 「そうか、あの後……君も私と同じように煙に飛び込んだのか……皮肉なものだな」


 辿り着いた正解は、何と後味の悪い結末なんだろうかと絶句した。

 そんな私の目を覚まさせたのは、時折、小さく声を漏らすユウの姿だ。まだ全部を失ったわけではない、何度も言い聞かせたことを今一度言い聞かせてユウをお姫様抱っこのようにして抱えた。

 ずっしりと重さを感じるが、ユウはそれほど重くない。むしろ、今の私からしてみれば、この人の熱を含んだ重さが何よりも気持ちを落ち着かせた。


 「ユウに、この景色を見せるわけにはいかないよな」


 後で教えよう。この光景を見せるよりは、ただ事実を知らせた方が幾分かマシに思えた。




                              ※



 ユウを抱えたままで進んだ先には、階段があった。ここを上がれば、外に出るような都合の良いことはないだろう。

 手すりも無い階段を上がれば、再び一回り細くなった通路に出る。下の通路とは違い、そこはちゃんと蛍光灯の明かりが点っている。だからといって、蛍光灯は古く雲の巣も蛍光灯にべったりと張り付いていた。

 今まで地下に居たようで、ようやく私達は地上に帰ってこれたようだ。

 ただ翻弄されるだけだったが、どうやら私とユウは確実に脱出に近づいてる。これだけが唯一の救いである。

 もう奥には扉は無かった。私は現像室のような暖色系の僅かばかりの明かりが支配する大広間のような場所に出ていた。

 立ち入り禁止の柵を乗り越えて、ぐるりと見渡した。

 私が出て来た手前の場所にはカウンターがあり、そこには『受付』と書かれたプレートが天井から錆びたチェーンに繋がれてぶら下がっていた。

 離れるのは少し抵抗があったが、調査するためにも奥に設置された壊れた自動販売機の隣にベンチを見つけて、そこに私はユウを座らせた。ずるりとユウの体は傾き、ベンチの上で横になったようだ。

 中央に進んだ私は今出て来た出口を振り返った。結論から言えば、そこは出口ではなかったのだが。


 『~ようこそ、ドリームキャッスルへ~』


 おどろおどろしい文字で、今私が出て来た道からアーチ状になった看板にはそう書かれていた。

 事態が全く飲み込めない私は、探索を始める。目に飛び込んできたのは、ブックラックに掛けられた冊子だ。開いてみると、どうやら遊園地のパンフレットのようだ。

 パンフレットにはお勧めのルートや案内図が載っており、このドリームキャッスルの名前もそこにはあった。園内のマップには、おばけやピエロが城から飛び出した子供騙しのドリームキャッスルのイラストが描かれていた。

 もしかしたら、凄く制作費のかかったテレビ番組ではないのだろうかと淡い期待を抱いてしまう。

 だが私は、首を横に振る。

 私の触れた人の死は、紛れも無く私の中に現実として生きていた。死を受け入れるしかなかったのだ。

 遊園地のパンフレットをポケットの押し込み、扉を探そうと決めた。外に出てしまえば、どうとでも解決できる。

 ドリームキャッスルというお化け屋敷の性質上、窓は作られていないようだが、紛れも無くここは遊園地の一角であり、扉の先が外なのだという現実が私を高揚させた。


 「なっ……」


 扉を見つけるのは非常に簡単だった。嬉しいことのはずが、私の心臓を早める光景が視界に現れた。混雑時は開けたままにしていたであろう大きな扉の前に子供が一人立っていた。

 年齢は六歳ぐらいか。長い前髪で目を隠し、子供らしい丸い鼻が窺える。そして、少年は淡い水色をした病衣を着ていた。

 私の中で、少年を見つけてから止まったままだった時間が口が動いたのを見て動き出す。


 「こんばんは」


 少年は口角を曲げて微笑んだ。

 愛らしい姿のはずだが、私はどうしても少年に恐怖を感じていた。

 こんなところに子供が居るはずがない、それだけではない、この子は孤独で泣くこともなく平然とそこに立っている。


 「何者だ……」


 ようやく口にできた言葉はそれだけだった。

 少年が扉の前の小さな三段の階段を下りてくる。歩み寄ってきた少年は、手を伸ばせば届く距離まで近づいてきた。

 一瞬、突き飛ばして逃げ去りたい衝動にも駆られるが、少年の見た目がそれをギリギリのところで押しとどめた。


 「僕のこと、覚えているかな」


 ぐい、と顔を近づけた少年は私の顔を覗き込んだ。


 「あぁ――!」


 口から少女のような悲鳴が吐き出される。

 少年の前髪の間から確認できた顔には目が無かった。代わりにそこはぽっかりと穴が空いていた。

 両目が入っているはずの顔のその位置は空っぽで、それなのに私は少年の目と私の目が合っているようなおかしな感覚に陥った。


 「忘れさせられているんだろな。でも、大丈夫だ。僕の目をよく見るんだ」


 少年の目の中には、どこまでも空洞が広がっていた。肉と皮と血管と薄い暗闇の空洞が、少年の二つの目なんだ。

 少年の声とこの目のことは、どこかで聞いたことがある気がする。

 私は痛みで声を発した。思い出そうとしたら、強い激痛が頭を駆け巡る。何となく気づき始める。これ以上思い出そうとしたら、私は確実に意識を失うことだろう。


 「記憶から逃げないでよ、君はどうしても思い出さなくてはならない。気を失っても絶対にだ。……お膳立てはしてあるんだ、この遊園地のこと覚えていないのかい?」


 目が、目が、目が、目が。

 少年の目の奥で何が蠢いている。一匹のサソリが少年の目の中から顔を出したかと思えば、次はゴキブリが、それを追うようにして芋虫が這い出してくる。

 サソリが私の頬に噛み付き、ゴキブリが髪の中に飛び込んで私の頭を這い回る。芋虫はといえば、芋虫の姿をしたまま背中から蛾のような毒々しい色の翼を生やして、頭上をぐるりぐるりと回る。

 ここが本当に現実なのか夢の中なのかもはっきりしないまま、少年の怪奇の目から目が離せない。


 「ドリームキャッスル、廃園した遊園地……。幼い頃、君はここである悲しい経験をしたはずだ。君だけじゃない、そこにいる女性もだ」


 「あ……あぁ……」


 少年の目の奥に獣の輝きを見た。

 廃れた遊園地、暗いドリームキャッスル、獣の目。

 そうだ、ここで悲劇が起きた。その悲劇の先に、私は、僕は、僕達は出会った。




                    ※




 とある施設の少年と少女が施設を抜け出した。

 それは、少年と少女が絵本を書くよりも前の話だ。



 少年と少女は仲が良く、施設に居た時もずっと一緒に居た。よく似た『心の病気』を患っていた為に、互いの心境を理解し合えたのだろう。

 夢見がちな少女がある日言った。


 ――お城が見たいな。


 少女の悩みなら何でも叶えてあげたいと思っていた少年だったが、それは非常に難しい問題だった。

 施設を出る時は、必ず大人と一緒に外出しなければならない。施設の人と一緒に向かったお城なんて、日本のお城しかない。だけど、少女の望むお城はシンデレラが憧れていたものと同じ西洋のお城に違いない。

 悩みぬいて思いついたのは、昔出かけた時に行った遊園地だった。あそこには、ドリームキャッスルという名前のお城があった。

 少年はある時、消灯時間を待ってから少女と抜け出した。

 お城に連れて行くよ、と言えば少女は二つ返事でOKをした。

 王子様のような気分で、少年と少女は近くの公園のトイレで服を着替えてバスに乗り込んだ。

 怪しまれないように遊園地の手前である街中でバスを降り、そこからは徒歩で向かうことにした。

 それから、ようやく遊園地に到着する頃にはもう真夜中だった。


 ――ごめん。


 謝るしかなかった。その遊園地は、既に廃園となっていたのだから。

 怒られることを覚悟で、近くの公衆電話から施設の人を呼ぼうとしていた少年の手を少女が掴んだ。


 ――だったら、お城だけでも見に行きたいな。


 少年の為に言った言葉だったのか、それとも本心から願ったのか少年には一度は雲ってしまった少女の顔に笑みが浮かんだことが心の底から嬉しく思えた。

 空振りに終わった剣を握る騎士のように、いや、愛馬から降りた王子様の前に馬車がやってくるように、少年は今一度姫の笑顔を取り戻すことを決めた。

 外で雨風に曝されていたパンフレットを手にして、少年と少女は城を目指して歩き出す。

 暗闇の遊園地とページの間が雨水に濡れてこびりついたパンフレットに悪戦苦闘しつつ、ようやく城に辿り付いた。


 ――ここが、ドリームキャッスルか。


 ――入ってみようよ。


 ぼんやりとする少年の手を少女が引こうとするが、少年はそこから動こうとしない。

 そもそも不思議だった。他の施設は扉のドアノブ等をチェーンでロックされており、そう簡単には開かない仕組みになっていた。そのはずなのに、ドリームキャッスルの扉の前にはチェーンが落ちており、ドアノブ斜めに歪んでいた。


 ――誰だ……。


 男が城から出て来た。四十代か五十代、少年達には大人の年齢なんてよく分からないがそれぐらいに見えた。

 巨大な埃のような髭を生やし、真っ黒に汚れた帽子を被った男の手には空のバケツが握られていた。

 少年も動揺していたが、男も幽霊でも見たように腰を抜かしていた。


 ――おじさん、ここで何しているの? ここは、お姫様のお城だよ?


 人懐っこい性格の少女が近づき、男に声をかけた。最初は呆けたように少女の顔を見ていた男だったが、少女が幽霊の類ではなくただの子供であることに気づいたのか、その顔は打って変わっていやらしい笑みが浮かんできた。

 少年はその瞳の奥に獣の光を見た。


 ――に、逃げるよ!


 少女の手を引っ張って逃げようとした少年だったが、その体は容赦なく吹き飛ばされた。

 最初は何が起きたか理解できなかったが、男に殴られたことにようやく気づいた。

 男は少女を羽交い絞めにして、城の中へ引きずり込もうとしていた。


 ――やめろ! その子を離せっ!


 自分が頭から血が出ていることなんてお構いなしに少年は少女を追いかけて、城へと踏み込む。

 あまりにも迂闊に飛び込みすぎた少年の顔を激痛が迸る。

 今まで経験したのことのない痛みに少年は泣き叫び、何とか見えた光景は鉄の棒で殴りつける男だった。もう一度、男は少年の腕を鉄の棒殴り、それから、足を叩きつけた。

 気を失いそうな痛みに悲鳴も出ず、ただただ恐怖で失禁をした。

 どんどん意識が遠くなっていくのを少年が感じながら、血まみれの景色で必死に少女の姿を探した。

 逃げろ、と言ったつもりだったが、口がうまく動かない。自分が殴られている間に逃げればいいのに、少女は少年を助ける為に向かってきていた。

 少年の目からポロポロと涙が溢れてくる。そうだった、自分が好きになった女の子はこういう子だったのだと。

 少年を庇うように覆いかぶさった少女の頭を鷲づかみにした男は、少女を床に叩きつけた。

 カチャカチャと少年の視界の上から音が聞こえて、何事かと思っていると、男はズボンを脱ぎ捨てていた。そして、男は少女に覆いかぶさる。


 ――あ……あぁ……!


 少年なのか少女の悲鳴なのか分からない。

 舐める、吸う、しゃぶる、噛み付く、破る、刺す、挿す、射す?

 獣が少女を襲うのを目の前で見せられながら、少年はただひたすら願った。

 こんな景色、見たくない。僕はこんな景色を見せられる為に、ここにいるんじゃない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、誰か僕の目を奪ってくれ。こんな景色を見せられる現実なら、僕はいらない。頼むよ、誰か、僕の目を奪ってよ!


 だからなのだろう、どこからか少年の声で「いいよ」と聞こえた。

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