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 咳き込みながら、彼は目が覚めた。


 「げほっ! ごほっ!」


 埃の塊を口の中に押し込められたような、息苦しさ。喉の奥に痰が絡んでいる事に気づけば、室内だということも忘れて吐き出せば、濃い霧の中に立たされたような感覚で、目を開けることすら億劫になってしまう。


 「目が覚めたみたいだな」


 男の声が聞こえたのをきっかけに、重たい瞼をこじ開けた。


 「ここは……?」


 コンクリートのグレー一色の壁に囲まれ、天井には頼りなく裸電球が三本だけ垂れ下がる。

 薄暗い部屋の中は、やけに埃っぽく、それでいて非常に狭苦しい。だというのに、窓も無く裸電球が等間隔に三個だけ垂れているという心もとない明かりにも関わらず部屋全体を見渡せる程度の明度は確保できている。

 声をかけられて目覚めたことを思い出して顔を横に向けると、そこには男が一人居た。


 「よう、調子はどうだ?」


 「最悪だよ」


 初対面だというのに、軽口が出てくるのは男がやけにフランクな感じだからなのだろうか。

 男の年齢は二十代前半というところで、短く揃えられた髪や親しみやすい笑顔からは好青年といったイメージを与える。老若男女、外見で人に不快感を与えることのないタイプの典型のような顔をしていた。


 「それ、なんだ」


 目が行くのは、男の顔ではない。その長い手足の先に付いている手錠や足枷だ。壁に太いボルトで打ち込まれた鎖の先には手錠が付いており、それが男の両手の自由を封じていた。


 「見たことないか、手錠だよ」


 あっけらかんと答えてはいるが、手首の赤くなっているところを見ると、既に抵抗した後らしい。


 「ここはどこだ、それに……なんで俺達は手錠に繋がられている?」


 まさかと思い、ぐっと両手を引いてみれば、どうやら自分も男と同じ格好をしているのは間違いない。


 「分からないよ、俺だって気が付いたら、ここにいたんだ。それより、アンタは何か覚えていることはあるのか?」


 覚えていること、と言われるまで考えもしなかったが、何も思い出せない。本当に何も思い出せないのだ。

 何か無いのかと辺りを見回すが、相変わらずの牢屋のような無機質な空間だ。

 なんて言うことだ、何も知らないままでこんな所に閉じ込められてしまったのかとついついうなだれてしまう。

 

 「……その様子だと、俺以上に何も思い出せないようだな。しょうがねえ、俺のことだけでも話をしてやるよ。俺の名前は、ケイタ。二十一歳の大学生」


 何かヒントになるのではと、頭の中でケイタと繰り返してみる。


 「ケイタ……何だか聞き覚えがある気がする……」


 「マジで!? もしかしたら、同じ大学だったかもな」


 「俺は大学生なのか?」


 「あ、そっか……アンタて自分の顔も分からないんだよな。うーん、大学生に見えないこともないけど、俺より年上に見えるよ」


 ということは、自分の年齢は二十代中頃から後半ぐらいだろう。それに、ケイタという名前には何か懐かしい響きを感じさせる。

 胸の奥に棘の突き刺さる何かに気になるが、ケイタとの会話に専念することにした。


 「ここに来て、大体どれぐらい経ったんだ? 携帯は?」


 「携帯どころか財布もねえよ。まあ、時間は……少なくとも一時間は経っているかもしれないな、俺が気づいた時には隣にアンタが居たし。ぐーすか寝ていたから、何となく緊張がほぐれて助かったよ」


 ケラケラと笑いながらケイタが言うと、何となく自分まで緊張が解れていくような気がする。能天気な男だが、目覚めた時にケイタが居てくれて良かったと心から思った。

 場が落ち着いてくるのを見計らうように、ずずずーと音が部屋に響いた。


 「な、なんだ!?」


 目を向けると何も無いはずの右の壁に切り込みように線が一本入った。そのまま線が、左右に裂かれていくと、ようやくその線の正体が判明する。どうやら、その壁は隠し扉になっているようだった。

 こちらの部屋の暗さとは比べ物にもならない暗闇が、隠し扉から先に続いていた。そして、次に聞こえてくるのはカツンカツンという高い足音。


 「おい、誰か来るぞ……」


 ケイタの恐怖が感染したように、背中を冷たいものが流れ落ちる。

 少しずつ大きくなる足音に、頭の中では恐怖のイメージが増大していった。

 イメージの一つは、異常なまでに足の長いピエロがこちらを覗き込む。その顔は歪み、きっと耳まで口が裂けることだろう。

 イメージの一つは、様々な凶器を携帯する異常者。ありとあらゆる凶器で、じっくり嬲り殺すのだろう。

 イメージの一つは、スモッグのように実体を持たぬ化け物がカタカタと音を立ててやってくる。

 イメージの一つは、ハイヒールの女。拉致誘拐した俺達に拳銃で風穴を開けるのだ。

 音が大きくなるにつれて、体の震えが止まらなくなる。それと同時に、自分が思った以上に想像力が豊かな人物だということを知る。しかし、今はその想像力は恐怖を駆り立てるスパイスにしかなりえない。

 ケイタと二人して、その恐怖の正体を目を皿のようにして待ち続けた。


 「あれ?」


 意外なことにひょっこりと頭だけ隠し扉から顔を出したのは、一人の少女だった。

 セミロングの黒髪に、小柄な体。十代後半に見えるが、幼い顔立ちを見るともしかしたらもっと若いかもしれない。大きな目はくりくりとさせて、ケイタと自分を交互に見ながら部屋に入る。

 どこかの高校の制服だろうか、全体像は明らかに女子高生だ。その手には、どこで入手したのか懐中電灯が握られている。


 「えーと、君は誰……?」


 三人とも無言で見詰め合っていては埒が明かないとばかりにケイタは会話を切り出す。しばし呆然としていた自分も、その一声で我に返る。


 「あう、私は……カリンです」


 「……それが、君の名前なのか」


 「……はい、学校帰りに意識を失って……気が付いたら、こんなところに……」


 「そうか……。君も直前の記憶は何も思い出せないのか……」


 懐中電灯を点けっぱなしだったことに気づいたカリンは、電源を切るとケイタと自分に向き直った。


 「俺達も君と同じ状況なんだ。俺の名前はケイタ、隣の兄ちゃんは記憶喪失。差があるみたいだけど三人とも似たり寄ったりてことか」


 いきなり現れた少女の言葉を疑うことなく受け入れるケイタ。若いからか少しも疑うことを知らないようだ。


 「その懐中電灯はどこで手に入れたんだ。もしかして、君も最初はこういう部屋で目覚めたのか?」


 訝しがっている気持ちが分かったのか、カリンは慌てて手を振った。


 「いえいえ、私は倉庫みたいなところで目覚めたんです。周りには演劇に使うようなお姫様の衣装とか、作り物の剣とかあったりして……。部屋にはいくつか出入りできそうなところはあったんですけど、どこも閉じられていました。そこで、何か役立つ物が無いかと探したんです。そして、懐中電灯が見つかったと思ったらほぼ同じタイミングで一箇所だけ扉が開いて……そこをずっと歩いてきたら、ここに出たんです」


 「倉庫の先が、隠し扉だって? まるで忍者屋敷みたいな作りだな」


 何気なく吐き出したつもりの言葉だったが、カリンは申し訳なさそうに視線を落とした。


 「お役に立てずに、すいません……」


 申し訳なさそうな顔をしたカリンに気付けば、そういえば棘のある言葉に聞こえなくも無い。たった数分間の間に自分自身、記憶も分からぬまま次から次に予期せぬ出来事に巻き込まれて苛立っていたのだろう。

 内心で反省しつつ、謝罪の言葉を述べようとした。だが、それはまるで最悪な現実へと引き戻すようにして起きる。何の警告もなく、ただただ奈落へ突き落とすかのように。


 ギャアアアアアンとけたたましい音が自分とケイタの両サイドの壁から聞こえた。あまりの音の大きさに、はっきりとは聞こえないがカリンが悲鳴を発しているようだ。

 壁から飛び出したのは、ノコギリの刃。円形の刃が壁に半分埋まり、チェンソーのようにして高速回転をしている。右側には自分の胸元辺りの高さ、左膝の辺りに、僅か三十センチ程度しか離れていない。

 手を広げれば当たってしまう間隔で、チェンソーが回転するのだ。容易に痛みを理解できてしまい、死ぬよりも苦しい痛みが待っているのだと嫌でも理解できてしまう。

 ケイタもかなり慌てているようで、身をよじり手錠を引っ張り意地でも逃げ出そうとするが、両手首の皮はとうの昔に破れて血をだらだらと垂れ流している。ケイタを見ていれば、抵抗が無意味なのだと思い知らされた。

 助けようとしたのか、カリンは自分達に駆け寄ろうとする。


 「来るな!」


 身を挺して助けようとするカリンを一喝した。どうやらちゃんと聞こえたようで、前進しようとしていた足を急停止させてそろそろと後退した。

 カリンの目を見て制止させる意思を伝え、必死に周囲を探してみるが、脱出するきっかけになるようなものなんて何一つ無い。まるで、最初から自力で逃げ出すことなんて不可能に作られているようだった。

 悪意しか感じさせない犯人のやり方に忌々しい気持ちになるが、あることに気づいた。

 先程からチェンソーが全く動こうとしていない。動いていれば、既に膝下と胸から上だけ繋がれているだけの無残な姿になっているはずだった。


 「どういうことだ」


 狼狽していたケイタもさすがに違和感に気づいたようで、青ざめた顔でいつ動くかもしれないチェンソーを凝視していた。

 ただただ恐怖を振り撒いただけのチェンソーがゆっくりと回転の余韻を残しながら停止していた。


 『――生き残りたいか?』


 聞いたことの無い声がとつぜん響いた。肉声ではない、何か機械を通して声質を変えているようだった。

 とっさにカリンを見るが全力で首を横に振る。ケイタも、声のした方向を探しているようだ。


 『ポケットの中だ』


 はっとして、ズボンのポケットに意識を集中させれば、太もものポケットには四角形の物体が足に密着していた。どうやら携帯電話が入っているようで、そこから最大音量のスピーカーで流れているようだ。

 自由の利くカリンはスカートのポケットから携帯を取り出せば、画面を注視している。ケイタも携帯を所持しているのだろう。じっと声に耳を澄ませているようだった。

 失念していた。カリンが身動きできる内にポケットを探してもらえばよかった。両手足の拘束ばかりに意識が集中してしまって、ポケットに何か入っているという発想すら浮かばなかった。


 「何者だ」


 『名前はない。だが、そちらからして見たら、それも不便だろう。そうだな、私のことは……メディスンと呼んでくれ』

 

 メディスン、直訳すれば『薬』という意味だ。どう考えても、薬は薬でも毒薬にしかならなさそうだった。


 『この名前も、それなりに意味のある名前なんだ。頭の隅にでも置いていてほしい』


 「この際、名前なんてどうでもいい。お前が俺達を監禁したのか」


 『さあ?』


 「じゃあ、そこで何をしている。何が目的なんだ」


 『お答えできません』 


 出てくるだけ出てきて、一方通行の会話だ。携帯のスピーカー越しだというのに、メディスンの突っぱねるような喋り方が癪に障る。


 「俺達が何を聞いても教えるつもりがないなら、用件を早く言え」


 芝居掛かった口調にじれったさを覚えて、言葉を急かす。


 『……単刀直入に言いますと、私はそちらの男性のどちらかを殺すつもりです』


 「はあ!?」や「え!?」と声を荒げたのは、カリンとケイタだ。自分はといえば、極限状態で放たれた一言に頭が真っ白になっていた。パニックなんてものではない、許容できる範囲を超えたことでこれ以上考えることを放棄しようとしているのだ。急速に遠くなっていく思考で、いかんいかんと頭を横に振った。


 「何かの冗談か、それともテレビの企画か何かか? 殺すだ死ぬだなんてのは、あまりにも……」


 『突飛で非現実的だとおっしゃいますか? いえいえ、これは現実であり、一人が死んだとしても、騒ぎになることはありませんよ』


 背筋にツーと冷たい汗の玉が流れるのが、神経が敏感になったことで恐ろしいぐらいに感じられた。

 この電話の主は、人一人を殺すのを隠蔽するほどの力を持った者だ。そもそもここは、どこなんだ。もし逃げられたとしても、ここが船上や無人島だったら、逃げ出すことは不可能に等しい。


 「何が目的だ! 俺達に殺し合えとでもいいのか!」


 あくまでケイタは正義感の強さからメディスンを糾弾する。


 『タイムリミットは五分。選択権は、君達全員にある。多数決だろうが、暴力行為だろうが、好きにしたまえ。自由が利く者が一人いるね? その人物が殺害という形で決めてくれても構いません。純然たる多数決です』


 「……他者の命と自分の命を天秤に掛けろというのか」


 『――始めてください』


 まるで学校のテストの時間が始まったかのように、自分達の戯言を無視するように死の宣告が告げられた。




                    ※



 少年と少女が、とある施設の中庭に居た。

 その施設には、年齢もバラバラの人達が生活をしている。

 最初、少年は親と離れ離れになったことで寂しくて毎日泣いていた。そんな時、一人の少女がやってきた。


 ――ねえ、○○○君。遊ぼう?


 少年は最初に不審に思った。こんな少女が、ここに居たのだろうかと。だから、少年は友達に聞いた。


 この子は、怖くないのかな?

 怖くないよ、優しい感じがする。

 そうか、君が言うなら信じよう。


 少年は友達との会話を止めると、少女に手を伸ばした。


 ――よろしく。

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