浮浪児②
「――おお、戻ったかアオイ!」
寝起きしている仮宅に帰ったアオイを相好を崩して出迎えたのは白髪白髭の老人――オルグレッドだ。
わざわざ王城に呼び出してグチグチと嫌味を零す旧知の言葉を適当に聞き流し、肩を揉み解しながら自宅に戻った老爺。しかしそこにいるはずの黒髪の少女の姿はなし。
部屋には荒らされた様子もなく、おそらく自分から外に出たのだろうが心配で仕方がない。探しに行くべきか、それとも人手を使って人海戦術に出るべきか。
とはいえあの少女の出自を考えると大事にするのは不味い――と悩んでいたところで、当の本人が特に怪我もなく帰ってきたのだから喜ばないはずがない。
「アオイや、その連れておる童は一体どうしたんじゃ?」
しかし、流石の老爺もアオイが片手を掴んで引き摺るようにして連れてきた少年の姿には、眉根を寄せて皺だらけの顔に怪訝な表情を浮かべた。
見たところアオイよりも更に幼い十にも満たない少年。薄汚れた赤毛に擦り切れた衣服、拗ねたような眼差しには不満の感情が色濃く表れている。
「街で拾いました」
「いや拾いましたって……犬猫じゃないんじゃよ?」
「拾われてねーよ! このイカレ女に無理やり連れてこられたんだ!」
赤毛の少年――ヴァンはたまらず叫んだ。確かに自分はろくな育ちをしていないが、犬猫と同列に扱われる謂れはない。まして力ずくで引き摺るような相手であればなおさらだ。
ちなみにそのイカレ女呼ばわれたオアイは、表情にこそ出ないものの密かに落ち込んでいた。
「……と言うとるが、こりゃあ人攫いじゃないのかの?」
「少女誘拐犯のオルグさんが何を常識人みたいなこと言ってるんですか?」
それもそうじゃのうワハハハハ、などと笑う両者の横でヴァンは人知れず戦慄していた。
(人攫い!? 誘拐犯!? やっぱヤベェ奴らじゃねえか!! 人買いか何かなのかよクソがッ!)
今すぐにでも腕を振りほどいて逃げ出したいが、万力の如く掴む腕がそれを許さない。その腕の持ち主が年若い少女だということが、尚の事不気味さを助長する。
そして先程の二人の会話内容。きっとこのような犯罪行為は日常茶飯事なのだろう。だからこそ子にのように気楽に語り合えるのだ。
(畜生め。そりゃあオレだって、まともに生きてきたわけじゃないから覚悟はしてたけどよ……!)
だからといって大人しく商品になるつもりなどない。こうなれば隙を見て逃げ出すしかあるまい。
相手は二人。得体の知れない怪力女とヨボヨボの爺。女の方はともかく爺の方を人質にでも取れば――などと盛大に勘違いした少年の思考は、かなり物騒な方向に向かっていた。
そうこうしているうちにアオイとオルグの話が終わる。
「――それではオルグさんはこの子に服を用意してあげてください。別に上質な衣服である必要はありませんが、他人に不快感を与えないような服をお願いします」
「ふむ、それは構わんのじゃが……お前さんはその間どうするつもりじゃ?」
「それは勿論決まっています――」
涼やかな眼差し一瞬ギラリと輝き、ヴァンを鋭く貫く。
「まずはこの子の身包みを剥ぐのです……!」
「――――ッ!?」
その宣言を聞いた赤毛の少年は、思わず漏れそうになった無様な悲鳴を、どうにか喉の奥で飲み込むことで堪えた。
◆ ◆ ◆
オルグ邸の奥に存在するとある一室。ごく限られた用途でのみ使用されるその個室に幼い少年の悲鳴が響く。
「や、やめろオッ!? 離せこらアッ!!」
しかし嫌がる少年を連れ込み、一切の容赦なく衣服を剥ぎ取った悪魔のような少女に躊躇はない。
まずはお湯攻め。栄養不足で齢のわりに痩せた少年の身体だけでは飽き足らず、顔に赤毛と間断なく熱湯をぶちまける。
「へ、変なところを触るんじゃねぇええええっ!?」
更には薬品でもってその全身を汚染し、硬めの布を使い垢塗れの肌を激しくこする。
なんという残虐極まる虐待行為。下手人たる少女は悪魔の誹りを免れまい。現に個室より響き渡る悲鳴を耳にした老爺は思わず目頭を熱くした。
「このイカレ女が! てめぇ痴女か!? 変態か!? 男の裸を好き勝手しやがって何考えてんだオイ!!」
「――子供が何を生意気言ってるんですか。蒙古斑が無くなってから出直してきてください」
「そんなもんあるかぁあああああッ!!」
まぁ単に浴室でヴァンの身体をアオイが洗っているだけなのだが。
「このチビ女! 怪力馬鹿! 人形野郎!」
思いつく限りの罵声を浴びせるヴァン。何気に標準より少し低めの小柄な背丈を気にしていたアオイの額に青筋が浮き上がる。
「君の方が小さいです。怪力でもないです。そして私は野郎ではありません」
仕返しするつもりなど微塵もないが、少し強めにゴシゴシゴシ。
「いだだだだだっ!?」
ヴァンの衣服の用意をオルグに任せたアオイはそのまま浴室に直行。往生際悪く逃走の機会を窺う少年の衣服を剥ぎ取り、問答無用で叩き込んだ。
悪意は全くなくむしろ善意全開の行動であったが、年上の女性に全身を撫で回される少年の羞恥は推して知るべしである。
「身体くらい自分で洗える! だから今すぐ出てけ!」
「駄目です。出て行ったら逃げる気でしょう?」
「うぐっ!? ……あぢいッ!?」
魔道具で温められた少し熱めのお湯がかけられる。ヴァンの浅はかな思惑はバレバレだった。
◆ ◆ ◆
「――もう少し普通の服はなかったんですか?」
「そう言われてものう。いきなり子供服を用意しても困るわい。……あとその言い方じゃと儂の服が普通じゃないみたいなんじゃが」
老爺の後半の台詞は華麗にスルー。私の服はすぐにでも用意していたような? と疑問に感じるがそれはそれとして。
二人の前にはブカブカの黒ローブを着込み、袖や裾を捲って長さを調節する少年。
拗ねた目つきはそのままだが、汚れた顔に頭、そして身体を念入りに洗ったことで受ける印象はだいぶ変わっていた。とはいえ当人がそれを喜ぶかどうかは別問題。
(若いうちにあんな妙な体験をして、変な性癖に目覚めんといいんじゃがのう)
その赤毛に負けず劣らず顔を真っ赤にしている少年に同情の視線を送るオルグ。彼が真っ赤になっている理由はお湯で逆上せただけではあるまい。年上の異性に素っ裸を見られた挙句、全身いたるところを撫で回されたのだから無理もない。
今さらだが自分とアオイの役割を逆にするべきだったかもしれないと悔いる。
「それでこの童をどうするんじゃ? 小間使いにでもするのかの?」
「そんなことしませんよ。ヴァン君にはこれから勉強をしてもらいます」
「……勉強? なんでオレがそんなことしなきゃいけないんだよ」
「さっきヴァン君は言いました。スリ以外に生きていく手段があるならその道を選ぶと」
口を尖らすヴァンにアオイは平然と返すが、その返答に少年は顔を顰めた。
「頭がイカレてる上に馬鹿なのか? 文字だの何だの勉強したって生きていけるはずないだろうが」
確かに勉学が結びつく職業はある。しかしそれだけの知識を蓄え見識を修めるには相応の時間と努力がかかる。今すぐにでも生きていくための手段になるはずもない。
「イカレてなんていませんし馬鹿じゃないですよ。ヴァン君にはもっと向いている勉強があります」
「オレに……向いてる勉強?」
意味がわからない。学も経験もない、取り柄と言えばスリくらいなものの浮浪児にいったい何が向いているというのか。今となってはその唯一の取り柄さえ失くしてしまったというのに。
しかしその取り柄をどうやってか奪った少女にはまるで迷いを感じられない。
「……つーかそもそもオレ名前を名乗ったっけ?」
「……名乗りましたよ?」
簡易情報から読み取ったとは言わない。
「なので今日からは私のことは先生と呼ぶように」
「……なに言ってんだこのイカレ――あだっ!?」
「先生です」
赤毛の脳天に勢いよくチョップ。
「こ、この怪力――いでっ!?」
「先生です」
腕組みして、むんっと見下ろしてくる黒髪の少女。
「うぐぐぐぐ……せ、せんせい?」
ヴァンは悟る。この女、見かけは清楚っぽく見えるが中身は結構な暴君だ……力づくでこの家に連れ込まれた時点で分かりきっていたことだが。
涙目で不承不承ヴァンが口にした呼称にうんうんと頷いてオアイは続ける。
「それではこれからヴァン君には絵の勉強をしてもらいます」
「……はあ?」
言われた言葉を理解できなかった少年は口をポカンと開いた。
◇ ◇ ◇
名前:ヴァン
性別:男性
年齢:9
職業:浮浪児
人格:中庸
行動:悪
才能:描画1/74
備考:まだまだ未熟。環境次第で何色にでも染まる