職業相談店
大陸南端に位置するエルトリア。豊かな土壌に恵まれ良政と言える統治によって平和を保つ王国。
この国に仕える青年騎士、アルフレッド・オリバー。剣才に恵まれ若くして部隊長を任され、将来を有望視される彼には悩みがあった。
それは――
「俺は本当は騎士じゃなくて料理人になりたいんだよ……!」
一般兵士からは憧憬の眼差しを、貴族のご令嬢からは好奇の視線を向けられる才能溢れる騎士。そんな彼の偽りなき本心であった。
騎士という職務に不満があるわけではない。やりがいはあるし給料も悪くない。何よりも自分には才能があった。
しかしだからと言って、幼い頃からの料理人の夢を早々に捨てることも出来なかったのだ。
だが困ったことにアルフレッドには致命的なまでに料理の才能がなかった。
子供の時分から練習し、非番の日には同僚に隠れて料理を作ってみるのだが、どれもこれもとても食えたものではない。
その上なぜか望みもしなかった剣の才能はあったらしく、トントン拍子に出世してしまう。
この理不尽に彼は思わず運命を司る神に呪いの声をあげてしまった。
そんなアルフレッドの悩みを笑うことなく聞いてくれたのは、入隊時から世話になった先輩の老騎士だけである。
「ここか……」
そしてアルフレッドはその老騎士の紹介で現在とある店の前にいた。
高齢に伴い騎士職を引退した老騎士は退職後、生花店を営んでいた。
これがかなり上手く営業出来ているようで、騎士以外の道でも成功できた先輩に羨み混じりの愚痴を溢してしまったアルフレッド。
酒臭い息を吐きながらぼやく彼に、元騎士の生花店店長が紹介したのがこの店である。
曰く――騎士を止めて本気で料理人を目指すなら訪ねてみろ。
店の詳細については教えてもらえなかったが、世話になった先輩の言うことでもあるし、物は試しと店に赴いたアルフレッドであった。
「『あなたの適性見極めます』……か。占い屋か何かなのか?」
元来占いというものを信じていないアルフレッドは胡散臭げに店の看板を見る。
とは言え折角ここまで来たのだからと店の扉を開けた。
「――いらっしゃいませ」
チリンと涼しげになる鈴の音。
雰囲気作りのためなのか店の中は薄暗く、若干手狭な印象を受けた。
眉をしかめたアルフレッドを出迎えたのはレースの多い黒服に身を包んだ一人の女性。
青年騎士よりも更に若く、まだ少女と言っても通じそうな黒髪黒目の華奢な女性だ。
(……異国人か?)
少なくともその容貌はエルトリア国民には見かけないものだった。
しかし見慣れないながらも整った容姿の少女で、肌の白さもあって人形のような印象を見る者に与える。
「こちらへどうぞ」
アルフレッドを出迎えた彼女は店の奥の席に座っていたのが、彼が入店すると立ち上がり、机を挟んで置かれた椅子を彼に勧めてきた。
耳に届いたのは容姿に似つかわしい澄んだ声。抑揚には欠けるものの、逆にそれが神秘的な雰囲気を強める。
「ようこそいらっしゃいました。店主のアオイと申します」
席についたアルフレッドに少女は名乗る。
礼節を弁えた丁寧な一礼。ニコリともしない無表情は客商売としてどうかと思うが、不思議とそれを不快には感じさせない奇妙な納得があった。
名乗られた名前の響きに、やはり異国人なのかと思いながらもアルフレッドも名乗る。
「王国騎士アルフレッド・オリバーだ……不躾で恐縮だが、ここは占い屋でいいのだろうか?」
「そうですね……占いとは少し違いますが、お客様の持つ才能を見極め、より適した職業に就くお手伝いをさせて頂いております」
アルフレッドの質問に、アオイと名乗った少女は少し考え答えた。
(……なんだ、やはりただの占いではないか)
少女の答えにアルフレッドはやや拍子抜けする思いだった。
世話になった元老騎士が、悩むアルフレッドにわざわざ勧めてきたのだから、もっと劇的な何かを想像していたのだ。
とは言えここまで足を運んでおいて、何もせずに帰るというのも馬鹿馬鹿しい。
「ならば俺の才能とやらを見極めてもらおうか。料金はいくらだ?」
「はい、一回の見料につき銀貨一枚となります」
示された料金は十分に適正、むしろ良心的価格設定と言えた。
どうやら胡散臭い詐欺師が尊敬する先輩を騙しているわけではなさそうだ。……勿論まだ油断は出来ないが。
「わかった。では頼む」
「はい、拝見させて頂きます」
アルフレッドが机の上に銀貨を一枚置くと、アオイは黒曜石のような瞳で彼をじっと見つめる。
その漆黒の瞳は青年騎士の全てを見透かすかのようで、言い様のない不思議な感覚がアルフレッドを襲う。
「……占い道具か何かを使うのではないのか?」
「必要ありません。これは占いではありませんので」
アルフレッドが居心地悪く問いかけるが、アオイは素っ気なく答える。
事実、道具などなくとも彼女の瞳には必要な情報が映っていたのだ。
◇ ◇ ◇
名前:アルフレッド・オリバー
性別:男性
年齢:22
職業:騎士
人格:善
行動:善
才能:剣技23/60 掃除10/20
備考:真面目で義理堅い性格
◇ ◇ ◇
「お客様には剣技の才能があるようですね。このまま経験を積み重ねれば達人と呼ばれる領域に達するでしょう。それと……掃除の才能もあるようですね。こちらは秀才くらいにはなれると思います。職業としては戦うことを生業とされるのがよろしいかと」
「……料理の才能はないのか?」
「拝見する限りその才能はないようですが……料理の才能が欲しかったのですか?」
アルフレッドの見極めが終わり、アオイが告げた言葉に青年騎士はガクリと肩を落とした。
嘘か本当かは分からないが、やはりこうもハッキリと言われると辛い。
「ああ、俺は幼い頃から料理人になるのが夢でな。実を言えば今日ここに来たのも、その夢について相談した先輩に勧められたからなのだ」
無駄に終わったがな、と力なく笑うアルフレッドを前にアオイは思案するように目を閉じる。
「その先輩というのは……ひょっとしてマクレインさんですか?」
「ああ、そうだが……先輩もここに来たのだから知っていて当然だな」
「そうですか……オリバーさん、どうしても料理の才能が欲しいですか?」
「……当たり前だろう。そうでなければ悩んだりするものか」
自分を馬鹿にするのか、とアオイを睨むアルフレッドだったが、黒髪の少女は怯むことなく続ける。
「――それはあなたの剣の才能を失うことになっったとしてもですか?」
「なっ……!?」
アオイから発せられた言葉にアルフレッドは息を飲んだ。
いきなり何を言っているのだ、この少女は。
しかし目の前の少女からはふざけた様子は窺えず、どこまでも真剣に青年騎士と相対していた。
「――もしも覚悟があるのであれば金貨を50枚用意し、もう一度ここに来てください」
そう言ってアオイは呆然として言葉を失ったアルフレッドを店から送り出した。
◆ ◆ ◆
それはまさに悪魔の取引だった。
望み焦がれていた料理の才能が手に入る。しかしその代償は剣士としての才能だ。
差し出せと言われて、はいそうですかと渡せるはずもない。
だが、同時にこうも思う――これは幼い頃から捨てきれなかった夢を叶える最後の機会ではないか、と。
「――来てしまったな」
再び訪れてしまった店の前でアルフレッドは呟いた。
この数日、悩みに悩んでそれでも結局ここに足を運んでしまった。しかも金貨50枚という大金を抱えて。
未だに彼の心の中には迷いがあった。しかし迷いながらも行動してしまったことこそが、彼の本心を物語っていた。
「邪魔をするぞ」
少女の言葉が真実である保証はない。しかし詐欺の類いであれば、それこそ斬って捨てればすむ話である。
故に今日のアルフレッドの腰には愛用の長剣が携えられていた。
「――いらっしゃいませ」
黒髪の少女――アオイは驚く様子もなくアルフレッドを先日と同じように出迎えた。
こうなることを予期していたとでもいうのだろうか?
心迷う人間の前に美味しい餌をぶら下げ誘惑する――なるほど、悪魔の所業である。
「こちらの内容を確認し、よろしければサインをしてください」
アルフレッドの内心など気にもせず、アオイは懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
(絶対強制証文だと……!?)
その羊皮紙を手に取ったアルフレッドは、思わず漏れそうになった呻きをどうにか堪えた。
絶対強制証文――その名の通り契約者に絶対の制約を強制する魔道具だ。
もしもこの羊皮紙にサインをし、その内容を破ったならば命でもって対価を支払うことになる。
(内容は……)
『1.この店の中で行われた行為を外部に漏らすことを禁じる。
2.自身や周囲が危害を加えられない限り、店の関係者へ危害を禁じることを禁じる
3.1・2に類似する言動を禁じる』
(これは……)
アルフレッドは戸惑った。
要は店の事を他者に話さず、自分から危害を加えるようなことをするなということだ。とても貴重な絶対強制証文を使うほどの内容だとは思えない。
しかも危害に関しても反撃であれば認めているの。何か落とし穴でもあるのではないかと、疑いを持ってしまうほどに簡単な内容だ。
しかし何度アルフレッドが見直しても、他に要望らしい要望はない。
(この程度のことでわざわざ絶対強制証文を用意するとは……よほど情報を外部に漏らしたくないのか?)
疑いながらアオイの顔を窺うも、真意の読めぬ瞳で少女はアルフレッドを促すのみ。
「――どうされますか?」
「いいだろう。サインしてやる」
逡巡を残しつつもアルフレッドは羊皮紙に自分の名前を記した。この証文へのサインはただ書くだけでは意味はない。あくまでも当人が自分の意思で、証文の内容を遵守すると誓いながら書くことで初めて効果を発揮する。
アルフレッドがサインを終えると羊皮紙が光り輝き、書かれた文字が浮き上がりアルフレッドの体内に吸い込まれる。これで契約完了だ。
「――これで本当に俺は料理の才能を手に入れることが出来るのか?」
「はい……というか既に終了しました」
――ふざけているのか、こいつは。
アオイから返された答えに、揶揄われていると思ったアルフレッドは兇眼で少女を睨む。
何も変わったようには思えないのだから仕方があるまい。
「そうですね、試しにその剣を軽く振ってみてください」
しかしアルフレッドの気迫に押されることもなくアオイは言った。
顔を顰めたままではあるものの、青年騎士は言われた通りに腰の剣に手をかけ軽く振り――
「なっ!?」
そのままスポンッとアルフレッドの手から剣がすっぽ抜けた。
「――天井の修理をしないといけませんね」
天井に刺さった剣を見上げつつアオイはポツリと呟く。
「き、貴様ッ、一体俺に何をした!?」
「以前言った通り、お客様には剣の才能を失っていただきました」
「――――ッ!?」
確かに言われていた。
だが、本心から信じていたわけではなかった。そんなことが出来るはずもないと思っていた。
しかし現実はアルフレッドを容赦なく裏切る。
「こ、これは……ッ!」
今まであって当然のものがない。その恐怖と不安は想像以上だった。
許されるならば今すぐアオイに掴みかかりたい。だが青年の憤りを先程の契約が阻む。
「――ではこちらに」
顔色を千変万化させるアルフレッドに構うことなくアオイは奥の扉を開ける。
アルフレッドは言われるがままにその背を追う。
完全に主導権を握られてしまっている。ここは大人しく従うしかない。
「ここは……キッチンか?」
案内された先はごく普通の家庭用キッチンだった。
ご丁寧に幾つかの食材と調理器具が用意されている。
「それではどうぞ存分に調理をなさってください」
「貴様……ふざけるのもいい加減にしろよ……ッ!」
アルフレッドの顔を憤怒に染まる。もはや我慢の限界だった。
契約により危害を加えることは出来ないが、怒鳴ることぐらいであれば許されるだろう。
しかしアルフレッドの動きはアオイの次の言葉で止められてしまった。
「ご満足頂けないようであれば直ちに剣の才能はお返ししますが」
「ぐ……ッ。いいだろう、やってやろうではないか!」
半ばやけになりつつアルフレッドは包丁を握る。
彼にとってこの調理器具はある意味挫折の象徴だ。剣は自在に扱えるというのに、なぜかまるで使いこなせなかった経験はトラウマとして刻まれている。
しかし、
「ど、どういうことだ? これはいったい……ッ!?」
動く動く自在に動く。
まるで使いこなれた剣の如くアルフレッドの握った包丁が躍る。
かつて彼がが振るった時のように、食材という名の産廃を量産することなく形よくきざまれていく。
火加減を間違い鍋の中身を焦がすこともなく、アルフレッドは無事に料理を完成させた。
「……ごくっ」
出来上がったのは野菜たっぷりのスープ。思わず喉を鳴らしてしまう出来栄えだ。
本当にこれを作ったのが自分なのかと未だに疑念を捨てきれない。
「――折角作った料理なのです。温かいうちに食べてはどうかと」
「あ、ああ」
アオイに促されアルフレッドは恐る恐る器に盛ったスープにスプーンを沈める。
掬い取ったスープをそっと口に運ぶ。
(~~~~~ッ!?)
これだ、これなのだ。
――思い出す。自分が料理人の夢を抱いたその日の事を。
幼い頃、父が寂しい懐で無理をして連れていってくれた食堂。そこで口にしたスープ。
決して極上に品だとは言えなかっただろう。しかし温かく美味かった。何時か同じように美味しい料理を作りたいと思っていた。
騎士となって自由に食事出来るだけ金を手に入れてもそれは変わらなかった。
だからこそ抱いてしまった夢をずっと捨てきれなかった。その夢が今こそ現実のものとなっていた。
食事を続けるアルフレッドの瞳からボロボロと涙が流れる。それを拭う気にもならない。
「――さて、どうなさいますかお客様。今ならばまだ剣の才能を取り戻すことも可能ですが」
「いや、これで……このままでいい。俺は剣ではなく料理の道を選ぶ。……ありがとう、礼を言わせてもらう」
食事を終えたアルフレッドにかけられた確認。それに答えた彼に迷いは一切なかった。
◇ ◇ ◇
名前:アルフレッド・オリバー
性別:男性
年齢:22
職業:騎士
人格:善
行動:善
才能:調理18/52 掃除10/20
備考:真面目で義理堅い性格
◇ ◇ ◇
己のこれから先の道を決めた青年を見送った店内にて。
「これ……どうしましょうか?」
店の片付けをしながら少女はぼやく。
対価として受け取った『剣技23/60』。しかしアオイ自身にこれを保有する気は更々ない。
剣など使うつもりも機会もない自分がこれを持っていても宝の持ち腐れだ。
「そういえば騎士を目標としているお客様がいましたね」
人格も善良でしたし、今度連絡を取ってみましょう――手に入れた才能の処遇を考えつつ、少女は一人呟いた。
◆ ◆ ◆
――三日後。
引き留める上司に辞表を叩きつけ、街の食堂で見習いコックとして汗を流すアルフレッドの姿があった。
先輩料理人に叱咤される立場であったが、彼の顔は喜びに溢れ、騎士を止めた後悔など微塵も感じさせなかった。