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不揃いな花達

Framboise

作者: シグ沢

 夏休みという長期休暇は私にとっては非常に無駄な時間だった。

 窓の向こうに見える木々から蝉の大合唱が響き、その向こうには雲一つない青空が広がっている。

 その景色は私が夏にいることを教えてくれた。黄色く花開く向日葵達も見えればさぞ綺麗だろうな、と思うけれど、コンクリートで固められた町にはそんなものは望めるはずもなかった。

 この暑さの中、課題に手を付ける気力もあるわけもなく、私はただ何もせず外を眺めていた。

 家の外に出たところで用事もなければ、どこに行こうかも思いつかずまた家に戻ってしまうのが目に見えて分かっている。

 両親も揃って仕事へ行ってしまっている中、私は口を開くことすら減っていた。

 空虚な日々を抜け出したいけれど、術が分からない。

 高校生にもなって随分と子供染みた苦悩だな、と一人笑ってしまう。

 開いた窓から吹き込む微風が長い髪を攫う。

 こうやって髪を触られたのはいつの話だろうか。


 ――綺麗で好きだけどな、僕は。


 ふと、愛していた人の指先が髪を撫でてくれたのを思い出す。

 熱く、窓も開けたまま冷房も付いていない部屋の中で2人だけ、時間も忘れて愛したあの日。

 私はあの日から抜け出せない。


 唇をなぞる指が愛おしく、その指が身体に触れられる度に、胸の奥は募る想いに溢れそうになった。

 言葉にするにも恥ずかしく、してしまえば安直に聞こえてしまうそれを喉元に押し止めた。

 お互いに溢れる想いのままに触れて、求めた。

 今以上に知識のない、愛し合いは傍から見れば酷くぎこちなかったかもしれない。


 「葵……」


 愛した人――青野あおの あおいの名が零れる。

 恋愛映画で見た濡れ場を見よう見まねで演じ直すように触れ合った記憶は私をまた、あの優しい彼に縛り付ける。

 もう、彼は私の人ではない。

 それでも、私には彼しかいない。

 酷く盲目で思い出に染まり過ぎていると、自分でもわかってはいても、それは変えられなかった。


 *


 「馬鹿だな」


 夏季休暇中に関わらず、制服に着替え部活もない私は学校に来ていた。

 携帯と財布だけを手に散歩感覚で来るのが学校とは場所を選べと言われてしまいそうだけれど、私には思いつく場所がなかった。

 夏季休暇中でも図書室は開いているから、そこで涼もうと自分に嘘をつきながら歩を進める。


 ――何してるんだか。


 そう、嘘だ。

 図書委員として学校に来たように見せかけて、葵に会いたかっただけだ。

 そして一言、言ってほしかった。

 もう関わるな、と。

 拒絶の言葉を投げかけられれば私はどれだけ楽になるだろう。自分で離れられない甘さを彼の優しさの所為にしながら、私は夏の校舎を歩く。

 人の少ない校舎はまるで自分ひとりの物だと錯覚させられそうになる。

 崩壊寸前の文化系部に宛がわれている部室、いつ使われているのかも分からない視聴覚室や化学室。

 偏差値も低く、学に関心の薄い形だけの空き部屋だらけの校舎を見ていると一つぐらい部屋をくれないだろうか、と幻想すら抱いてしまう。

 

 「あれ、円?」


 「豊和先生?」


 不意にすれ違った初老の担任、豊和先生との遭遇に私は驚く。


 「あれ、お前さんもしかして補習か?」


 「いえ」


 「部活?」


 「違いますよ……」


 そう、先生が意味が分からないと頭を掻く理由もわかる。用事もなく夏休み中にフラりと校舎をうろついているのだから。


 「何かあったのか?」


 「別にそういうわけではないんです、ただ……」


 「ただ?」


 「することが無くて」


 そう言うと、豊和先生はゲラゲラと笑った。

 

 *


 家に居てもすることがない、と私は豊和先生に連れられた化学準備室で2人話していた。

 担任とこうして話すとは、予想していなかった私は何を話していいかわからずにいたが、豊和先生は心配してくれてこうして相談の場を用意してくれたのだろう。


 「お嬢さんな、若いのにすることがないって学校をうろちょろせんで……何事かと思ったぞ」


 小さな丸椅子に腰かけて、私は用意してくれたアイスコーヒーを飲みながら話を続ける。


 「ごめんなさい」


 「いやな、何でもないならよかったけど……」


 先生は言葉を詰まらせて遠くを見つめた。

 

 「まぁ、気が済むまでゆっくりしてけ。話相手がいないなら相手するからよ、俺みたいな年寄でもよければな」


 良い人なのだろう、こう言って先生はゲラゲラとまた笑うのだ。私の様な生徒を目前としながらも。


 「ありがとう。豊和先生」


 「おう。コーヒー欲しかったら言ってな?」


 「紅茶の方が好きなんですけど」

 

 「そんな、わがまま言うなや……」


 こんなバカみたいなやり取りでも、私は話相手が出来て少しだけ嬉しかった。

 窓の向こうに見えるグラウンドに散る運動部員と、防砂林を眺めながら私はくだらない一時を楽しんだ。


 「先生、私ね好きな人に嫌われに来たんです」


 窓の向こうを見たまま私は話す。 


 「なんだそりゃ」


 「別れた彼氏の事、忘れられなくて――この前も会いに行ったんです」


 いつしか、葵との過去を先生に話してしまっていた。かつて苛めから守ってくれたこと、そして中学時代にも同じ暴力沙汰を起こしていたことと、それを受け入れてくれた彼の事を。


 「良い子と逢えたんだな」


 先生は『何故、別れた』とは切り出さなかった。

 

 「優し過ぎる人でした」


 そう、優し過ぎたのだ。

 勉強が出来ないと知れば、時間を割いて教えてくれた。

 心が寂しいときは抱きしめてくれた。

 私もそんな彼に応えたいと背伸びをしては失敗を繰り返した。それでも彼は私の手を取ってくれた。

 今、この高校に通えているのも彼のおかげと言っても過言ではない。

 同じ高校に通えることになった時はどれ程嬉しかったか。

 でもその彼の選択は彼の両親の臨む選択ではなかった。


 「――私より彼は断然に頭がいいんです。それでも私と一緒に居たいと偏差値の低いここをわざわざ選んだんです」


 私の存在が彼を狂わせた。

 葵の両親は揃って私を非難し、引きはがした。

 それでも、彼は変わらず私を愛した。

 それは私も同じだった。

 でも、私を取り将来を犠牲にはしないでほしいと言っても彼は聞いてくれなかった。

 

 「深い愛だな」


 「そうなんでしょうか」


 「恐ろしいよ」


 先生は話を聞いて溜息混じりに言った。


 「本当に恐ろしい程、自分で言うのもどうかわかりませんけど、確かに愛してました。ううん今でも愛してるかも」


 結果、私は葵からは親を通して引きはがされた。

 しかしながら受験自体はこの高校を受けて合格していた為、同じ高校に通うことになりながら恋人の関係でいることは許されなくなったのだ。

 

 「私は彼とは逢うべきではなかったんです。私と逢わなければもっといい人生が――」


 「そうでもないんじゃないか? それもお前さんの決めつけかも」


 「そうですか?」


 「うん。確かにお前さんの彼氏は若気の至りでこうした人生を取ってしまったかもしれないけれど、それも彼の選択だろ。後悔していたら君を責めて拒絶してると思うがね」


 「だと、いいですけど」


 「お前さんの想うことも確かに分かるんだ。もっといい高校に行くべきだったというのもな――ったくお前さんも愛が重過ぎるんだよなぁ」

   

 「ふふっ、確かにそうかもしれません。嫌な女ですよね」


 「嫌な、とは言わないがね……」


 すっかり温くなったコーヒーを飲み干して、一息。

 吹き込む潮風は涼しくはないけれど、心のどこかを爽やかにさせた。


 「先生、コーヒーごちそうさま」

 

 「おう、もう行くのかい?」


 「はい」


 空いたコップを渡して、私は化学準備室を後にする。


 「その彼氏さんの所かい?」


 「そうです」


 「剣道部の練習は昼までだから早めに行けよ」


 「はい……え?」

 

 扉で投げかけられた言葉に私は驚く。

 

 「お前さんの彼って青野だろ? あのイイとこから来てるとか言う」


 「知ってたんですか?」


 「いや、頭が良いって言うもんだしそういえば場違いな程に頭がキレる奴がいたな、と思ってな」


 「なるほど、ね」


 私は思った以上に自分の住む世界が狭いことに少し怖くなってしまった。

 

 「青野には今回の話はせんよ」


 「お願いしますよ、先生」


 「おう」


 私は化学準備室を後にした。

 向かう先はもちろん彼のいる道場だ。


 *


 練習場に着いたとき彼――葵の姿はなかった。

 鍵も閉められ、剣道部員の姿すら見当たらない。


 「いない、か」


 もう帰ったのだろう。

 なら、用事もないからもう帰ろうと思った時だ。


 「優梨?」


 「葵……」


 部活帰りだろう、道着を収めたバッグを背負った葵がそこにいた。


 「どうしてここに?」


 「それは、その……」


 会いたかったから、と言うには勝手すぎる来訪に私は他の理由を頭から引きずり出そうとした。

 でも、それも無理だった。


 「何でもないの、ただその……」


 間を繋ごうと雑な言葉が零れ続ける。

 やっぱり彼と逢うべきではなかった。

 詰まる私の手を、彼がそっと握る。


 「え?」


 「逢いたかった」


 「そう、なの?」


 変わらず想いは一つだった。

 幾ら離されようとも。

 私は葵の手を取って、人目につかない影へと向った。そして今まで思っていたことを全て話した。

 私の所為で偏差値の低い高校へと進学したのではないか?

 そのことを後悔していないのか?

 それでも彼は柔和な笑顔を向けたまま言ってくれた。

 「後悔なんかしてたらこうして優梨とは話してない。勉強なんか自分で幾らでも出来るよ」


 「相変わらず出来が良いんだから……」


 自信満々に語る葵に私は嬉しくなる。


 「幾ら親がなんと言おうと自分の道は自分で決めるよ」


 「馬鹿なんだか、頭いいんだか……」


 私は彼の変わらぬ想いに、胸が一杯になる。

 何倍も成績が良いくせに、馬鹿と言いたくなるほど自らに素直な彼に、私は離れられない。

    

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