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猫舌

作者: Machina

初投稿です。

拙い文章ではありますが、お楽しみ頂けましたら幸いです。


 ぼくは猫舌だった。


 薄明るく、アダルティックなジャズのながれる、行きつけのバーで、だされたばかりのコーヒーを啜りながら、ふとそう思った。


 ぼくがはじめてコーヒーを飲んだのは、中学一年生の冬。別居している親父と毎週土曜日、仕事で不在の母の代理で外食に連れて行ってくれた夜の帰りだった。「コーヒー飲んで帰るか」という親父の誘いで、帰り道の途中、商店街にある喫茶店で持ち帰ったアメリカン・コーヒーがはじめてだ。


 ぼくの隣――時には斜め前――を歩く親父が、コーヒーを啜る。それを真似てぼくも啜ろうとしたが、手から伝わる熱ですぐには飲めなかった。お互い、黙々と夜道を歩いた。ぼくの家までの、長く真っ直ぐな道のりを。時折通過する車の音と、すれ違う人の足音と、コーヒーを啜る音だけが、そこにはあった。啜る音が聞こえる度に、ぼくも啜ろうとフタの飲み口を覗くが、飲み口からは、ふっ と湯気がたつだけだった。


 次で飲んでみよう。次の啜る音で飲んでみよう。飲んでみれば、きっとすんなりと飲み込めるはずだ。そうぼくを勇気付けて、啜る音、今だと飲み口からコーヒーを口内へ流し込もうとした。


 だが、流れ込むよりも早く、唇に触れた途端ぼくは飲み口から口を離してしまった。


「熱い。まだ熱かった」


 親父は僕を笑った。ゆっくり飲め、と言った。


「猫舌だから」


 だから仕方ない、まだ飲めない、と僕は言い訳をした。


 それから結局、ぼくと親父が家に着くまで、親父が飲み干したコーヒーを、ぼくは飲めなかった。


 コーヒーカップは喫茶店で貰った時と――温度以外――何も変わらなかった。


 家に帰り、リビング、親父はカップをゴミ箱へ、僕はカップを机に置いた。お互い向き合って座り、ぼくはパソコンを弄り、父はケータイを弄った。


 そして親父は物足りなかったのか、


「コーヒー、淹れてくれるか」


と、ぼくに頼んだ。


 まぁ、初めての事では無い。淹れると言っても、コーヒーメーカーのポッドにフィルタを入れ、粉末の豆を大さじ二杯と少し、タンクに水を注ぎ、あとはスイッチを押すだけだ。暫く待つと、コーヒーが出来上がる。カップを取り出し、ポッドからコーヒーを注ぎ、親父の前に置く。


 親父はそれをすぐさま取り、啜ると、


「ありがとう。お前の淹れるコーヒー美味しいよ」


そう親父は決まってぼくに言う。その頃のぼくは、コーヒーの味も分からなければ、自分の為に淹れてくれるコーヒーの美味さも知らなかった。


そしてそれを、時間を掛け飲み干すと、少しの時間を置き親父は――カフェインの利尿作用か否か――トイレに寄ってから、ぼくの家を出た。


 それからまた少しして、冷めて冷たくなったコーヒーを、ぼくは飲み干した。慣れていなかったので、酷く苦かった。勿論、飲むのに時間を掛けた。


 それから時は流れ、ぼくが中学三年生の時の事。別居していた親父が家に居候をしに来た。親父は家を無くしたらしい。その時のぼくは、詳しい事がよくわからなかったので、ただただ家を無くしてきたとしか分からなかった。後に知っても、親族間のよくわからないトラブルだったとしか、理解できなかった。


「ごめんな。暫くの間、宜しく」


 親父はぼくにそう言った。


 その頃のぼくは、いじめ等が原因であまり学校に行っていなくて、週に一度スクールカウンセラーに会いに――そして趣味で書いていたライトノベルを見せに――学校へいっていたのと、学校とは別の『適応指導教室』というものに時たま向かうだけの生活をしていた。


 生活リズム自体めちゃくちゃで、昼夜逆転や、その半々、丸一日起きていた事もあった。その時僕は、人間は朝起きて夜に寝るのでは無く、起きてから一定時間後に眠気が訪れ、その時間を元に寝る時間を自分で決めるのだというバカな発想を抱えていた。実際は、ただ体内時計が崩壊していただけなのに。

――そう気づき、〝少しだけ〟後悔したのは、高校に入ってからの話だ――


 親父は不定期に仕事へ向かっていた。少なくともぼくには、どういう法則で仕事に向かっているのかわからなかった。


 その頃のぼく……いや、そもそものぼくは、親父が嫌いだった。小学校の頃は毎日の様に母と喧嘩し、仕事から帰ったときは決まって酒臭く、家でタバコは吸うし、怒る時はとことん怒り、本能的に恐怖を感じる様に僕がなるまでだった。(そして何より、親父のおかげで髪にワックスをするが苦手になった)


 加えに、母から毎日毎晩の様に聴かされた親父の悪口で、ぼくの中の親父の印象は、概ね悪そのものであり、母が善そのものだった。


 だが、時が流れ、進み、中学入学と同時に別居し、前々から母が口々に言っていた離婚もし、新居で母に「これで幸せだね。ゆっくり過ごせるね」と言われてから段々と、その考えは……いや、先入観は、変わっていった。まぁ元々、なんだかんだ親父が落ち着いて話す時の話は、今でも覚えている程に好きだったし、ぼくの思考の基礎を築いてくれた話だと感じている。


 親父は別居してから、そして、居候生活を始めてから、昔と大分変わったとぼくは思う。例えるなら、不良が丸くなった様に。今思えば、不登校になってから考え方や価値観が変わったぼくと少し似ていて、笑えた。手元で揺らす様に混ぜていたコーヒーに、一瞬波紋が出来た。


 親父が居候を始めてしばらくは、学校について度々問われたし、『適応指導教室』も、たぶん良くは思ってくれていなかっただろう。


 その頃のぼくは、自分の、〝自分だけの〟時間が削がれて、甚だ不快感を覚えていた。


 未だ仕事や親族間のトラブルを愚痴り、相談し……ストレス故にか、少しの事でまるでぼくが犯罪でもしでかしたかの様に怒鳴り叱りつける母。


 それから解放され、お世辞にも同年代とは思えない様な同級生らからも解放され、ただ一人の目も耳も無く……。


 母が仕事から帰宅するまでの間、そこにはぼくだけの時間があったのに…………と、苛立ちを募らせていた。


 だが、妙な処世術をどこからか仕入れた僕は、それを表に出さず、ただただ何も触れず親父の言う通り「宜しく」していた。


 僕からは何も言及せず、質問せず、ただただ親父が話を振って来た際に軽く受け答え、時たま笑ったり……まぁ、話の内容次第では学んだりもしていた。


 その頃ぼくは、ようやく自分の中でいびつに出来上がっていた二面性を認識した。



 ぼくは、ぼくは確かに、確かに親父が嫌いで母は好きだった。だが、だがぼくは、ぼくは母が嫌いで、父が大好きだった。


 自分でもよくわからない。考えれば考える程、どっちが正しくてどっちが間違えで、どちらが善でどちらが悪か、どこが好きでどこが嫌いか、よくわからなくなっていた。


 まるで古いロボットアニメの、敵も味方も正しく、そして間違えている様な。戦争では、お互いにお互いの国が掲げる正義があり、互いに互いを悪と決めつけていた様な、ややこしくて、よく分からない状況。


 その後のぼくはこの事に対して「親父は、やっている事は悪いけど内面は良い。母は、やっている事は正しいけど内面は悪い」と結論付けていた。


 それから、中学を卒業し、高校を決め、オープンキャンパスだトライアルだ、ついには入試届だ入学届だ、制服や鞄の注文票だ採寸だ、とトントン拍子でそれまでとは一転した生活を送った。


 それまでの交友関係と一転した環境を築き上げて、挙句には新入生代表での入学を果たした所で、その反面、親父は段々と家にいる時間が長くなり、ついには買い物と喫煙以外の大体を家の中で、ケータイを弄り、飯を食べ、風呂に入り、またケータイを弄り、眠るに費やしていた。


 当然、その分母からのあれこれは多くなり、時折母の怒鳴り声が家に響いた。


 母もストレスからか仕事等でもトラブルを多く作り、「私は悪くない」の一点張りで事を大きくし――実際確かに悪くないのかもしれないが――それに伴いストレスもまた多く溜め込み……と、悪循環に捕らわれていて、当然その影響をぼくも受けていた。


 ぼくは、ただでさえ今までと違い過ぎて、陰ながら神経をすり減らしながら、なるべく悟られず適応する事に専念して、時折降りかかるトラブルもなるべく穏便にあしらい、やった事が無い事に挑んでみたりと、お世辞にも疲れていないとは言えなかった。


 結果、ぼくはまた少し、不登校になった。前よりマシとはいえ、不登校である事に変わりはない。


 生活リズムはいとも簡単に崩れ、寝る時間も起きる時間もコントロール出来ず、遅刻、午後登校、最初から学校に来る為に徹夜をし一日二日寝ず……なんてことも、ざらだった。


 結局、友人関係も崩れ、ぼくに対する『不信』という名の先入観が広まり、挽回を図ろうにも「どうせ」で一蹴された。


 新入生代表……とは、とんだ酷い笑い話になり、ぼくは段々と下手に動かないようになっていった。


 何事も、あまり上手く行かず。強いて上手く行った事を言うならば、ぼくが立ち上げた同好会から、ぼくにとっての最高の友人と知り合えた事くらいだ。今でもよく会い、話し、仕事も共にしている。その他は、ぼちぼち、か、あんまり、だ。



 そしてその後、ぼくは当然、出席不良により進級が危うくなった。


 だが、ぼくが選んだこの学校では、出席不良者へ『出席不良課題』という物を課し、欠席時間分の課題を修了させる事が出来れば、最低限の成績で進級を認められる……というシステムがある。他校では、出席不良ならばその時点で留年となるのにも関わらず、ここではそれを回避する事が出来る。


 ぼくが欠席した時間、それは、あまりにも長かった。手渡された紙の束が、厚さが、それを物語っていた。その現実を、突きつけていた。


 だが……だが、その時の、その頃のぼくは、若かった。無謀だった。馬鹿だった。でも、今思えば、必要な『間違い』だったと思える。結果論ではあるが。


 ぼくは、その紙束を前にして、期限を告げられて、半ば例えるならば戦意喪失をしていた。期日間近になるまで、手を動かさなかった。


 期日三日前、それは、ぼくの最初で最後の『三徹』という掠れた思い出(経験)の始まりだった。


 ぼくは無謀にも「理論上、三日=72時間――学校は休むので考慮しない――そこから諸々を抜いて仮定最低60時間。一枚一時間だとしたら、数時間お釣りが出る位だから、余裕で完遂出来るだろう」と決めつけ、ようやくゆっくりと筆を走らせた。


 始めてから数時間、当然指が痛み、手の側面は薄汚くなり、早々に休憩に入った。


 幸先、自分というハードウェアのパフォーマンスの低さを実感んしているとそこへ、――眠っていたかケータイを弄っていたかは定かでは無いが――親父がリビングへ来て、こちらを見るや否や一笑い。


「なんだ。コレあと何枚だ?」


 ぼくは苦笑いを浮かべつつ、『出席不良課題』の概要がまとめられた用紙を手渡した。


「どうするつもりなんだ?」


 ぼくは素直に「今から寝ずに、全部終わらせる」と無駄な自信と共に親父へ言い放った。


 親父はまた笑い、そうかそうか、と台所へ向かうと、


「……コーヒー、淹れるか」


「……うん。お願い」


 ぼくは初めて、親父を心から『親父らしい親父』と心から感じた。


 だいぶ前から、ぼくが初めてコーヒーを飲んだ時から、時折缶コーヒーを飲み続けていて、初めてからそう間もなくしてコーヒーの〝苦さ〟は克服しており、寧ろ好んでブラックを飲む程だった。……アイス・コーヒーだが。


 親父は、コーヒーメーカーのポットにフィルタを入れ、粉末を大さじ二杯入れ、タンクに水を入れセット。あとは待つだけだった。


 でも、それだけの事だったが、今のぼくにはそれがとても嬉しく思えた。


 それまで、あまり〝親父が協力する〟という経験やイメージが無かった故か、とても新鮮な感覚だった。


「持ってくるから、頑張れ」


 そう励まされ、ぼくは伸びを一つ。深呼吸の後、シャープペンシルを手に取った。不思議と、筆が進んだ。課題を進めていると、早速ぼくの横に、コーヒーが置かれた。


 白く湯気がたつカップの中には、氷が二つ浮いていた。


 ぼくはそれを軽く円を描く様に揺らしてから、少し啜る。だが、そう早く冷める訳も無く、思わずまた口を離してしまった。


「慌てるな。欲しければ幾らでも入れてやるから」


 親父は相変わらずの様にぼくを笑った。だがそれが、なんだか頼もしかった。安心して背中を預けられる様な、そんな感じだ。


 課題は、進むに進んだ。時折気分転換にシャワーを浴び、親父の作った飯を食べ、軽く目の休憩を挟んでは、それ以外を課題に費やした。


 親父は、時折自室に戻るが、それ以外はぼくを見守る様に――まぁケータイを弄りながらだが――ずっとリビングで、ぼくと向かい合わせに座っていてくれて、時折コーヒーを入れ直してくれていた。


 ……それを、何度か繰り返し、何教科か課題数の少ない――又は内容が簡単な――モノを終わらせ、残り3教科、うち1教科は残り数枚、2教科は少し数が多いので後回しにしていた所だった。


「……書きながらで良いから、聞いてくれないか」


 ぼくは一瞬視線を送り、小さく頷いた。


「俺の、まぁ失敗だよな、俺の失敗した経験からも言うが、お前ってやっぱりやる事を先延ばししたり後に回したりするよな。解ってる事だろうけど、やってく事今のうちにやってかないと、将来何もやり遂げられないぞ」


「…………」


「それで後回しにし続けたらどうなるか、今回でよく解ったよな」


 ぼくは、一方で(偉そうに言うな)とは思ったが、もう一方では強く共感を覚え、ぼくは強く頷いていた。


「だからこれを、次どう活かすかだよな。勿論または無いのが一番だし、お前自身どう意識を持つかだよな」


 相づち程度に頷き、冷ましたコーヒーを飲む。


「な。『権利の主張、義務の遂行』って言葉解るか? お前が例えば、ゲームをする権利を主張するなら、それ相応にちゃんと義務は果たさなきゃいけない。学校に行ったり、宿題だってそうだよな」


 ごもっともだ。ぼくも、世の中はギブ&テイク、商売と同じで商品を買いたければ対価を支払うのが世の常だと思っている。


「俺自身、それに当てはまる事をやれているとは思っていない。寧ろ逆だと思う。それは事実だし、結果こういう事になっていて、本当に申し訳ないと思う」


 ぼくは、以外にも素直な事を言われたので少し動転したが、息子として、首を横に振るべきととっさに思い、横に振った。


「だからまぁ、俺はもう色々とどっかで冷めちゃっているから難しいけど、お前ならやろうと思えば幾らでも道は切り開けるんだから、俺みたいな失敗は……まぁするなとは言い切れないけどな。してみないと分からない事だってあるしな。でも、避けれるものは避けていこう。一度失敗した事は何度だって失敗しちゃうもんだけど、大事なのは『じゃあどうすれば失敗しないか』っていう事でもあるけど、一番は『失敗しても諦めない』事だよな。今回だって、そこが大きいだろ?」


 ……図星だ。確かに、これまでにやってこなかったあれこれを急にやろうとして、失敗する事は多かった。立ち上げた同好会も、同行会長らしい立ち振る舞いが出来ているかと言われれば、努力はすれど失敗を恐れて立ち振る舞えていなかったと言える。そこから生じるストレスを真に受けて、休む。なんて事も無かったとは言えない。


「俺はお前が何になりたいのか分からないし、何を目指しているのかも知らない。ゲームの仕事に就くのか、物書きになるのか、どちらにせよ、俺はもう出来ないが、没頭出来るのは、打ち込める事があるのは良い事だと思う。だからそれを今度、どう活かしていくか考えて欲しい」


 俺は出来ない俺は出来ない、聞いていて正直苛立った。


 ぼくは、ほくの親父は、ぼくの知る限りではそんな卑屈過ぎる男だとは思っていなかった。


 無駄にプライドが高く、仕事をやらせれば、巧みな話術と客観的に見れる視点で、接客や人事、それこそお店の経営等をやらせても、必ず成功させられるスキルがあるとぼくは思っていた。


 だが、それを親父に対して言う事は出来なかった。


 ぼくは今までずっと、親父に対しては『聞き手』側の姿勢でいた。母に対しては『話し手』の時もあるが、親父に対してはそうでは無かった。


 そしてそれがふと、何故なのか、今理解した。


 冷めたコーヒーの残りを一気に流し込むと、ぼくは「おかわり。お願い」と親父に頼んだ。


 親父は保温状態でポッドに残っていたコーヒーをカップに注ぎ、氷を入れようと冷蔵庫に手を掛けたのでぼくは、


「もう大丈夫」


 と親父に静かに言い放った。


 親父は、「そうか」と呟いてから、またぼくの向かいに座り直した。


「なんで最近俺が、お前に対して怒らないかわかるか?」


 そう言われればそうだ。昔はあんなに事ある毎に怒鳴り散らし、頬を強く叩かれた事もあった。


 ぼくは「そういえば、何故?」と問うと、親父は少し口角を上げ、


「お前はもう、わかっているからだ。まだ上手くそれを出せていないだろうが、俺が怒って言おうとする言葉は、お前自身でもう予想が付いちまうだろ。正しい事が何故出来ない? 言う事が何故聞けない? そんなのは、もう十分だろ」


 ……これだ。


「正しい事が解っていても、上手くその通りに出来ないから困っているんだろ。言う事が聞けないのは、もう自分で考えられるからだろ。だったら、俺が親として出来る事は、こうしてコーヒーを淹れてやる事くらいだろうよ」


 ……そう。親父は、ぼくの親父は、置かれた状況は最低で、やっている事も言ってしまえばニートそのものの最低野郎には変わりなかったが――――


 ――――それでも、ぼくの大事な、かけがえのない、〝最高の親父〟だった。


 今、ぼくの手元にある熱いコーヒーを啜る事が出来れば、ぼくは親父に初めて『話し手』になれると思った。なんなんだよアンタ、って、どうしてそんな考えが出来るんだよ、って、なんで親父はここに居るんだよ、って、反面教師のつもりかよ、って、どうしたらアンタみたいな頭持った人間になれんだよ、って。教えろよ――――


 ――――アンタの事、何も知らないから教えろよ、って。


 ぼくはカップを口へ運び、例え熱かろうと堪えて、啜って見せようとした。


 カップのフチに口を付け、躊躇せずに、コーヒーを………………啜った。


 飲めたぞ、どうだ見たか、猫舌なんか克服して見せたぞ。そう言わんばかりにぼくは、それまで下げていた頭を上げ、口を開いた――――――


 ――――が、口を突いて出たのは、


「……親父の淹れるコーヒー、美味しいよ」


「そうか……ありがとうな」


 親父の、見慣れない表情に――


 ――冷めているとは言いつつ、未だ残り火の様に儚く、熱く、残るソレに――


 やはり僕は口を噤んでしまった。涙を堪え、飲み込む様に。




 それから結局、ぼくは課題を何とか間に合わせ、無事に進級できt...



「……あんた、ここに居たのか」


 後ろから、聞きなれた声がして手を止めた。しかし、振り返る事は、出来なかった。


「何だ。態々探してくれたのか」


「あたりまえだ。あんたの親父さんの葬式だって聞いたから、駆けつけてやったのに」


 視界の隅に居るバーのマスターが、気を使っているのか、そっと目を伏せたのが見えた。


 足音が近づき、先ほどの声の主が、隣の席に座った。


「……あんた、ホットなんか飲めたのか。今まで「猫舌だから」と言って、アイスばっかり飲んでいたじゃないか」


 ぼくは、視線を下に落とし、また小さく円を描く様にカップを揺らした。


「まぁ……飲もうと思えば、だいぶ前から飲めたけどな」


「なんだそれ」


 笑い無くして、しかし笑いあっているかの様な間が、少し空いた。


「……結局、何も知らないまま、終わってしまった」


「どういう事だ?」


「おまえ、親はまだ居るな? ……今すぐ帰って、話して来い」


「何をだ?」


「なんでもだ」


 ぼくは、カップに半分だけ残るコーヒーを一気に飲み干し、震える下唇をなんとか制して、こう続けた。


「……俺は、結局、『猫舌』が克服出来なくて、『親父』という存在の味をちゃんと知る事が出来なかった。あとは口を付け、啜るだけだったのに。あと少し勇気を出すだけだったのに。……今も昔もずっと、冷めた味しか知れなかった。熱い時の味はもう、知る術が無くなってしまった」


 込み上げるソレに堪らず口を押え、堪え、押し殺した。


「だから、だからお前は、そんな後悔をするな。自分に最も近い人間だというのに、何も何も知らないというのは、どれだけ寂しくて、悲しくて、辛いか。そしていざそのまま、知らないまま、知る術を失う…………」


「…………あんた、ソレ、ずっと書いていたのか」


 ソレ。僕が常に持ち歩くノート・パソコン。テーブルの上に置いたソレの画面には、文章作成ソフトの画面、そしてつらつらと書かれた『思い出』……。


 この、この画面に映る作品は所詮、正しくは、実話を基にしたフィクションだ。


 記憶力に乏しいこの頭で、しかし鮮明にも覚えている数々の思い出を、書き出せる部分を抜いては纏めて、一つの作品として、書き連ねたものだ。


 よって、客観的に見れば微妙な話にも見えるだろうし、馬鹿げた話にも見えるだろう。


 だが理解してほしい。


 ぼくがこうして親父を、父を慕うのは、実際に会って長い時間共に生活したからだ。


 長い時間共に過ごし、〝ぼくの知る父はまだ片鱗でしか無い〟と理解したからだ。


「あぁ。俺が心から尊敬して、得られるならば得たいと感じる人間性を持った、最高にダサくて、最高に格好良い、親父の話だよ」


 書きかけのソレを最初のページまで戻し、隣に座る彼へ画面を向けた。


「……マスター、コーヒー、もう一つ」


 マスターは小さく頷くと、慣れた手つきでコーヒーを淹れる作業に取り掛かった。


 ……あんたの淹れたコーヒー、やっぱり美味かったよ。


 そう、心で呟くと、


「さて、探してくれた礼に一杯奢ろう。少し休憩してから帰ろう。コレをもう少し練れるだけ練ってから、俺らの短編集に加えて出すぞ」


 彼へ向けて、軽く笑顔を作って見せた。


「いやあんた……大丈夫なのか? 強がってないか?」


 ぼくは「ふっ」と不敵な趣で、




「いいんだよこれで。泣いていいのは母の前だけだ。父の前なら、強がって見せるであってるんだよ」

 


 ぼくは、ヒリつく下唇と舌の先端に懐かしさを感じつつ、そう言い放った。


ここまで読んで頂き、誠に有難う御座います。

初めて小説チックな文章を書きましたが、中々楽しかったです。

ちなみに言うと、フィクションではありますが、ノンフィクションの部分が大半です。

あと、親父は生きてます(スマホ弄りながら

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短い時間でサラッと読めて楽しめました [気になる点] 人物の外見的特徴も知りたかったです あると物語により入り込みやすくなると思います [一言] 次の投稿楽しみにしてます
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