1-1 さらば,僕の日常
初物です.どうぞよろしくお願いいたします.
[さらば,僕の日常]
闇夜月彦は,この上なく憔悴していた.
今週は,肉体的,精神的ダメージをひたすら受け続けた.
金曜日の期日に間に合わせるべく,1週間ほぼ飲まず食わず,ノー睡眠で論文を仕上げた.
肉体的に疲弊し,へろへろであったが,翌土曜日には,大学時代の友人の結婚式に出席して打ちのめされた.
いや,新郎も新婦も大学1年生の語学の授業で出会い,共にとても仲良く付き合った親友であったから,もちろん月彦も,2人の結婚はとても嬉しかった.是非,これからますます幸せになって欲しいと心から思っている.
ただ,月彦も新婦に片思いしていたというだけで.
月彦が告白する勇気を持てないうちに,新婦(因みに,あきえちゃんという)から「貴君が好きなんだ」という恋愛相談を受けることになり,(本当に3人は仲の良い友人だったのである),告白するタイミングを逸してしまっただけである.特に,禍根は無い.2人の結婚するまでをまとめたムービーを,涙と大いなる精神的ダメージなしに見られないというだけである.月彦の当時の淡い恋心を知るものも,彼自身しかいないだろう.まぁ,それは良いのである.おめでたいことであるから.
むしろ,彼が真に回復困難な精神的ダメージを受けたのは,新郎新婦の友人として呼ばれたメンバーの中で未婚だったのが,月彦のみだったという事実である.闇夜月彦29歳,大学院生,彼女または彼氏いない歴年齢,童貞.アルコールの偉大な力を借りて,やっと親友2人の門出を,明るく祝福することができた.笑い上戸で,悪酔いしない体質で良かったと強く感じた瞬間であった.そして,素面で親友の結婚をお祝いできなかった事実に,ますます精神的ダメージを負うことになった.
加えて,極め付けが日曜日の家庭教師バイトである.背も低く(160センチもない),童顔で(未だに高校生に間違われる),コミュニケーション力もイマイチである月彦であったが,なぜか家庭教師としては人気があった.不器用ではあるが,真面目で,生徒を子ども扱いしないからかもしれない.もしくは,ただ単に学歴がやたら良いからかもしれないが.彼は一応名門大学の学生であるから.日曜日の生徒さんは,井上六花ちゃん,10歳.花も恥じらう小学4年生である.その日2人は,文章題に勤しんでいた.六花ちゃんも,多くの小学生が通る道である文章題で躓いていたのである.月彦は,図やら線分図やらを使って,懇切丁寧に説明した.そんなこんなしている内に,1時間が経過した.すると,六花ちゃんのお母様が,ココアとクッキーをおやつに出してくれた.何を隠そう月彦は甘いものが好きである.(ついでに言うとぽっちゃり体型でもある.)月彦がいそいそとクッキーに手を伸ばすと,しばし雑談タイムになった.
「ねえ先生,彼女いる?」
月彦はクッキーを喉に詰まらせそうになり,慌ててココアを飲み,舌を火傷しそうになった.
「と,突然,ど,ど,ど,どうしたの?」
明らかに動揺した様子の月彦に微笑みかけながら,六花ちゃんは言った.
「あたしね,同じクラスの裕斗君と付き合うことになって,今度デートに行くことにしてるんだ.」
「そ,そ,そ,そうなんだ.」
「せっかくだから,先生に裕斗君の写真見せてあげるね.先生だけに特別だよ.」
「あ,は,は,それは光栄だな.」
六花ちゃんが見せてくれた裕斗君は,小学4年生とは思えないほど長身のイケメンであった.サッカー部なのだそうだ.
その後,六花ちゃんは裕斗君とのデートプランや,クリスマスパーティーの予定(因みにこの週は,12月の1週目であった)について,大変楽しそうに語り,月彦は最大限の精神力を振り絞って,全力で相槌を打った.
雑談していたのは15分ほどの時間にすぎなかったが,その後の記憶が少し曖昧である.コイルやらヘチマやら理科のテストの復習をした.したはずである.…ウソを教えてなければよいのだが.
3時間の井上邸での滞在を終え,いつも通り六花ちゃんとお母様に笑顔で見送られた後,月彦はどうやって家に帰ってきたか覚えていない.気づいたら服も脱がずにベッドに倒れこんでいた.
友人は悉く結婚し,いわんや若干10歳の少女ですら純粋男女交際を楽しんでいる.仲の良い友達はあれども,年を重ねるごとに連絡が取りにくくなり(もちろん,みんな就職し,結婚し,子どもが産まれつつあるからである),3年前に定年退職した両親も瀬戸内海の小島に移住し第2の人生を仲良く楽しんでいる.月彦に兄弟姉妹はおらず,歳が近い親戚もいない.
対して,闇夜月彦28歳,未だ大学院生で童貞.嗚呼,嗚呼.なんだか,ものすごく虚しくなってきた.肉体的にも精神的にも,もう限界である.ホントは今晩,歴史史料を読み進める予定にしていたが(月彦は古代史を専攻していた),もうムリ.さっさとお風呂にでも入って寝てしまおう.月彦は倒れこんだベッドから立ち上がろうとした.しかし,立ち上がった瞬間,酷い目眩を感じて床にぶっ倒れた.今,自覚したが,結構,熱も出ているようだ.あー,着替えて,布団入って寝ないとヤバいなー.こういう時に,呼んだら来てくれる彼女がいたらいいのになー.そんなことを考えている内に,月彦は意識を手放した.
ついに卒倒してしまった月彦の運命やいかに!第2話に続く.