貳 細波澪 ──失踪事件から六十四日
私はあの言葉を吐き出してからとても辛い思いをした。友達のいなかった私を気遣ってくれたのは砂納だった。そして、友達になったのに。私は、簡単に、裏切ってしまった。理由は簡単だ。自分が犠牲になりたくないから。何て、弱いのだろう、私。
楓様との取引で私は繰祢様派から退く事となってしまった。私だけではない。楓様のあの発言に影響されてか、大多数の人が繰祢様のことを話題にしなくなった。入院して会えないのだから派閥の人は普通かなり心配すると思うのだが、全く違った。
──皆、冷めてしまっている。楓様を、恐れるあまりに。
放課後。私は楓様と待ち合わせをし、繰祢様のお見舞いに行くことにした。楓様は最近、繰祢様とまともに話せていない事もあって話せるか分からないと言われた。だから私がついていくのだ。
「繰祢、大丈夫かしら……。このままだと女学院を辞めないといけないかもしれないわ……」
「大丈夫ですよ、きっと」
私は楓様に利用されているのだろうとは分かっていたが、繰祢様に会えるのは現状、四家のみ。つまりどれだけ私が繰祢様の側に居て可愛がってもらっていたとしても無関係と見なされ、会えない。この機会は逃せない。
病院のベッドに横たわる繰祢様はあちこちに包帯を巻いていた。どうやら目もやられたらしく、包帯を巻いている。あまりの惨さ(むごさ)に私は口を覆いたくなった。しかし、更に惨いのはこれからだった。
「繰祢、お見舞いに来たわ。私と会話したくないのなら、澪とだけでもいいわ」
「……」
「──繰祢様? 」
「お母様からはまだ聞かされていなかったのだけれど、精神面にも問題を抱えているのね……困ったわ」
傷のない片目は虚ろ。自分の身に起きたことがはっきりと理解できていないのだろうか。
──しかし。繰祢様は布団をぎゅっと握っていた。まるで、何かを堪えるかのように。
いつの間にか、繰祢様は楓様を睨んでいた。
「また来るわね、繰祢」
「……でよ」
「え? 」
「もう二度と来ないでよ! あんたの差し金で私はこうなったのよ!? なのに、私の大事な後輩を言い含めて連れてきて私を心配するだなんて、最低だわ! 」
「……分かったわ。その言葉どおりに私は来ないわ。あなたのお父様にでも澪のことは勝手に説明したら? そうでもしなければ、澪は来れないわよ」
「最低! 」
繰祢様はあまり両親の事を話されない人。何かがあるのだろうか。
楓様は無表情になり、帰ってしまった。私は帰るべきなのか迷ったが、とりあえず居る事にした。
「彩龍慈家はあまり良いお家ではないのよ。権力、権力って。私、お父様とはずっとお話していないの。お母様とは少しお話する程度。私が唯一の跡継ぎでありながらも女学院で立派に権力を維持していない事から避けられているの。なのに、私がこんなに大怪我負ったら心配したのよ。上辺だけの、ね」
「……」
繰祢様は私に初めて家族について話した。私はそれをただただ聞いていた。
たとえお金があっても幸せにはなれないのだと分かってしまった。他の三家も似たようなものだろうか。
「──ねえ、澪。明日も来てくれない? 」
「……はい」
私は、簡単に、嘘をつく。
病院を出た後、私は何となく、近くの通りを散策することにした。ここは華京地区だが、かなり北の外れにあり、軒を連ねる商店は女学院のある中央より派手さは劣る。
私はここには来たことがなかった。私の住む名塚地区は華京地区の南にあるので、真反対だからだ。
「値段を見るとやっぱり華京地区だなあ……」
目に入った喫茶店に入り、何か注文しようとメニュー表を開く。値段設定は華京地区の中央と同じで、かなりお高い。お店の見た目の雰囲気は貴族っぽくなくて商人の娘の私も入りやすかったのに。これは悩んでしまう。
……洒落た洋風なメニューが少ない。これも違う所だ。
「そりゃあ、ここは笹本家の管轄内だからよ」
「うわ、びっくりした……って、あなたは」
「こんにちは」
雫石仕立屋の現在の看板娘、莢。おっとりとしており、とてもあの葵の母親には見えない。莢さんは娘とは呼べない年齢だが、自由気ままに出歩いている所が子供っぽい、つまり年頃の娘みたいだと多くの人は言っている。
「あの、なぜここに……」
「私のお家の近くとか、華京地区の中央にはこういうお店がないの。あと、夫が連れて行ってくれる場所はいつも貴族が好む派手な場所ばかり。だから、こういう庶民的な所でたまに落ち着くの」
「あなたは商人でありながら貴族に足を踏み入れている雫石家の奥様ですよね? こういうの、好きなんですか? 」
「ええ、そうよ。私が幼い頃、まだ小さな仕立屋だった時に祖父がよく連れて行ってくれたの。お値段が高いから、月に一度だけのお楽しみだったけれど。今では笹本家だけが庶民的な物を好んでいるわ。三石家や彩龍慈家はお金を手に入れてころりと変わってしまったわ……私のお家も、だけれど」
莢さんはきっと、変わってしまった自分の家が嫌だったに違いない。だからこそ、未だに少女の様に振る舞っているのだろう。自分だけはいつまでも変わらない、と──。
「──ところで、そのお酒は何ですか? 」
「あ、ああ、これはね、雲雀地区に住む知り合いにあげるの。酒豪だからすぐ飲んでしまうの」
「へえ」
お酒の瓶が三本。これを全てあっという間に飲むとはどんな酒豪なのだろう。きっと、素敵な男性だ。
「今日は奢ってあげるわ。ここのお饅頭と緑茶、とても美味しいのよ」
「ありがとうございます」
メニュー表で両方の値段をちらりと見たが、とても私に払える値段ではなかった。何か、助かったというか何というか。
「その代わり、私のお店に是非来てちょうだい。小物でも何でも良いから買ってくれたら嬉しいわ」
「流石商人ですね」
「祖父から色々と教わったの」
その後、しばらくの間莢さんとの会話を楽しんだ。四時半を告げる店内の時計の鐘が鳴り、私は帰ることにした。
「それじゃあ、お店に来てくれることを楽しみにしているわ」
莢さんはそう笑顔で告げた。
店の外に出ると、どしゃ降りの雨だった。私は少し待ってから帰ろうと思った。
その間に、私は砂納と出会った頃を思い出していた。中等部になり、丁度3年生だった華京貴族四人娘(私の父親がそう呼んでいる)の影響もあって皆がそれぞれ派閥に分かれた。
彩龍慈派は笹本派に次いで人数が少ないと知ったのは派閥に入ってからだった。繰祢様が私ばかり構ったのもあったが、私は派閥の中で友達が作れずにいた。派閥に属しているはずなのに、教室では孤立していた。
それを心配してくれたのは、砂納だった。私は悪魔と呼ばれていた彼女がどんなに恐ろしいのかよく分からなかったから、最初は黙って彼女の話を聞いていた。
でも、彼女は普通の少女だった。
好きな食べ物の話とか、
好きなお店の話とか、
休日にしていることとか、
とにかくたくさん話した。
ああ、彼女は普通の子なんだと分かった。それからはもう毎日のように話をして、いつしか友達になった。
「……私、謝らないとなあ」
「誰に? 」
ふと横を見ると、見たこともない人がたあらいた。茶髪、派手な柄の和服。
誰だろう、この人。
「君のしてることは正しいよ? そのまま突き進んで正解だよ」
「貴女は……」
「素性は聞いちゃあだめだからね。桐朋砂納にはもう会うことは無理かな。この先、天文学的な確率でしか会えないだろうねえ」
「……」
胡散臭いこの人。何なの、本当に。
「ほら、帰ろう。あたしは誰の味方でもあるからさあ」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず傘を借りる。見た感じ、かなり高級そうだ。
「それは返さなくていいよ。君と出会えた記念品、みたいなものだから」
胡散臭いお姉さんは私に傘をくれた後、そのままどこかへと去っていった。




